カナタとセツナ ルカとシュウの物語

かしずく者』

ぶつぶつと、彼の口の中でのみ呟かれたことを、あっさりと拾ってみせたのは、ハイランド皇国と交戦中の同盟軍内外で、腐れ縁傭兵コンビの片割れとして名高い、ビクトールだった。

「……まあ、そう言いたくなる気持ちが、判らないでもねえがな」

明日、グリンヒル付近に駐屯しているハイランドの軍勢と、戦を構えるつもりの同盟軍では、今、正軍師のシュウの部屋で、数名の要人達が、細かな打ち合わせをしており。

その最中、ふっ……と、思い出したかのようにシュウが小声で呟いた一言に、ビクトールがそう言ったから、そろそろ一息入れようか、と云う頃合いだったその議場は、細やかな、休憩の一時を迎える。

「書物や、諸国で歌われている武勇伝や……。そう云った物を、知ってはいるし。彼の『強さ』をこの目で見たことがない訳ではないから、理解はしているが。正直、今の彼を見ていると、我が師の苦労が忍ばれてな」

ばさり、と。

己が部屋に集まった者達が、手にしていた書類や地図を、放り出したのを受けて。

己が手も休めたシュウは、溜息混じりに語った。

────先程、彼が口の中でのみ呟き、何故か、ビクトールが拾った『一言』は、今を遡ること三年程前に終結した、ここデュナンの隣国の、赤月帝国で起こった解放戦争時の英雄……則ち、かつての赤月帝国、現・トラン共和国建国の英雄、カナタ・マクドールに関することだ。

同盟軍を率いている盟主の少年、セツナを『溺愛』し、時には、トランからわざわざ、デュナン湖畔に建つ同盟軍居城まで、自ら赴き、「書類の決済? そんなこと、担当の大人達にやらせれば?」と唆して、『溺愛中』の少年のみを構い続ける彼。

誰が何を云っても、己の意に沿わぬことは決してせず、大人達を煙に巻くような、小馬鹿にしているような、そんな態度を取り続け、『標的』とした者をからかって歩くことを、最近の生き甲斐にしているような彼。

そんな彼の姿を、日々見せつけられ、剰え、その『標的』とされる機会の多いシュウにしてみれば。

あの彼が、絶対の神秘性を人々に見せつけて、トランの地に起った解放軍を率いていた、と云う事実に、疑いを抱きたくなるのも致し方ないのかも知れない。

だから、先程、ふっと。

数十分程前、明日の為の軍議が終わるや否や、ここの処、立続けにこなした遠征の所為で、疲れているだろうにも拘らず、「マクドールさーーんっっ」……と、己の部屋に待たせておいたカナタの元へ、いそいそと走って行ったセツナの後ろ姿を思い出し、つい、嘆きを覚え。

「……本当に、マクドール殿は、伝えられているような立派な軍主だったのだろうか……」

と、シュウが独り言を洩らしてしまったのも、無理からぬことだ。

だが。

最近のカナタを見ている限り、そう云いたくなる気持ちが判らないではない、と苦笑を浮かべたビクトールは、解放軍のリーダーだったカナタの姿を、嫌と云う程知っているから。

「あいつはな、性格、変わったんだと思うぞ」

傭兵は、何処かカナタを庇うように、ぽつり、洩らした。

「変わった、な……」

ビクトールの呟きに、納得がゆかぬとシュウは云う。

「まあ……今でこそ……って奴だが。あの頃のカナタは、少なくともあんな風じゃなかった。それは、保証する」

が、正軍師と相方のやり取りを、端で聴いていた、腐れ縁傭兵コンビのもう一人である、青雷のフリックも又、昔を懐かしむような顔をして、相方に加担した。

「俺も何度か、見たことがあるから……。マクドール殿が、『絶対』の強さをお持ちなのは理解出来るが……」

シュウと、ビクトールと、フリックの。

三人で交わされていた会話に、その席に居合わせた、元・マチルダ青騎士団長であるマイクロトフが、徐に口を挟んだ。

「シュウ殿同様。納得いかなそうだね、マイクロトフ。でも……あの方は今、『自由』の身なのだから。仕方ないんじゃないのかな、あれも」

親友であるマイクロトフの、不満そうな口振りに、元・マチルダ赤騎士団長であるカミューが、笑いながら云った。

「……昔っから、ああ云う所あったけどね。確かに、性格は変わったのかもね」

打ち合わせを、続けるなら続ける、一旦お開きにするならする、の、どちらかにしてくれない? と渋い顔をしながら。

珍しく、風の魔法使いルックが、彼等の会話に混ざった。

「性格……云々を、兎や角云いたくはないが……。まあ……何処か少々、こう……云いたくなるシュウ殿の気持ちが、判らぬではないな……」

思いの他長引いている打ち合わせの所為で、少々痛み出した腰を叩き、キバは複雑そうな面持ちになった。

「大丈夫ですか? 父上。──でも……あの方はあの方なりに、色々と、思う処はお有りなんでしょう。盟主殿が、そうであるように」

年は取りたくない、と呟いた父親を労りながら、クラウスは、手許の書類を纏め始める。

「…………戦場に立つカナタの奴を、一度でも目にすれば、一目瞭然って奴なんだろうけどな。あいつは『隣国の英雄』だから、叶うことはないんだろうけどよ。──あいつと初めて会った頃は、あいつもな、年相応に、可愛い奴だったが。…………兎に角、凄かった。それだけは言える。シュウ、お前が読んだって云う歴史書に書かれていることよりも、諸国で歌われてる武勇伝のそれよりも。あいつは、リーダーだったよ、確かに」

────人々が、それぞれ。

某かを呟いた後。

見たことのない奴には判らねえか……と、ビクトールは薄く、笑った。

「……まあ……どうでもいい、そんなことは。マクドール殿が真実、解放軍のリーダーに相応しい方だったのか否か、そんなことはどうでも。……問題なのは、マクドール殿の今の性格で、盟主殿に、のべつまくなし遊びの誘いを掛けている、あの現状だ」

けれど、シュウは。

ビクトールが浮かべた笑みを一瞥しただけで、何の感慨も覚えず肩を竦め。

瞑目し、何かを思い出して、痛み始めた胃でも庇うように、微かに身を丸めた。

「片付けるか」

そうして、彼は。

気分を切り替え、すっと開いた眼差しより色を消すと。

中断していた明日の打ち合わせを、再開させた。