どっぷーーーーん……と。

大きな水飛沫が、同盟軍居城の釣り場より上がったのは、シュウの部屋に集った者達が、明日の打ち合わせを再開させた、丁度その頃だった。

肌寒い、秋のその日。

水浴びをするには相応しくない天候だと云うのに、釣り場にて、フッチやサスケ、チャコと云った、年の頃が近しい者達と、戯れていたセツナは。

「あっ! セツナっ!」

共に釣り場へと訪れていた、カナタの手が伸びるよりも一瞬早く、水面に落ちた。

「げっっっ。悪い、セツナっ。大丈夫かっ!?」

「おーいっ、セツナーーっ!」

ふざけ合っていた際、冗談で背を押した結果、セツナを湖に突き落とす格好になってしまったサスケとチャコは慌て。

「セツナさんっっっ!」

多分、竜の子供だろうと思われる、ブライトを抱いたままフッチは、桟橋に跪いて、水面を覗き込んだ。

「うーー……。平気だけどぉ……」

が、少年達の慌てふためきを他所に、セツナは直ぐに、水面よりぷかりと顔を出し、平気平気、と笑い。

「でも、酷いよー、サスケもチャコもーーっ。急に背中、押すんだもんっっ」

カナタの手に縋って桟橋へと上がりながら、ぶうぶうと、文句を口にした。

「悪かった、って。まさか、本当に落ちるなんて思わなくってさー」

「そうそう。セツナのことだからさ、ちゃんと避けるかなーって」

ずぶ濡れになりながらも、無事な姿を見せたセツナに、御免、と言いながらもサスケとチャコは、誤魔化し笑いを浮かべる。

「僕にだって、出来ることと出来ないことがあるのっっ。……でも、だいじょぶ、一寸濡れただけだから」

そんな二人にセツナは、プッと頬を膨らませてみせて、が直ぐに、あっけらかんと微笑み。

「大丈夫? セツナ。お風呂であったまろうか。今日は、肌寒いし」

あーあ、とカナタは、渋い顔をしながら、水の滴るセツナの髪を掻き上げて、テツの風呂場へ行こうと促した。

「平気ですよ、着替えさえしちゃえば……って……………はっくしゅっ……」

ぐちゃぐちゃに濡れた体を、抱き上げんばかりの勢いになったカナタに、えー? とセツナは言ったが、その途中で軽いくしゃみを彼はして。

「ほら。風邪を引いてはいけないから。明日があるんだろう? だから、ね?」

「……うー、そですね。なら、お風呂行きましょっか。──皆も行こうよ」

心配そうな色を浮かべたカナタに連れられるまま彼は、仲間達と共に、賑やかに風呂場へ向かった。

「…………暖かくして、ホウアン先生に薬も貰ったのにねえ……」

──翌、早朝。

グリンヒル郊外に駐屯するハイランド軍と一戦を構える為の支度を整えなければならないセツナを、カナタは起こしたが。

どう足掻いても、寝台より出て来ること叶わなかったセツナの顔を覗き込んで、深い溜息を零した。

昨日、風呂場で、ほかほかになるまで暖まった後。

ハイ・ヨーのレストランで、早めの夕食を取り、湯冷めをしない内にと就寝したのに。

物の見事にセツナは、熱を出していた。

揺り起こしても、布団の中から抜け出ようとしない姿を訝しんで、セツナの額に手を当ててみれば、異様に熱く。

見張りの兵に、ホウアンを呼んで来て貰えば、カナタの思った通り、医師の見立ては風邪だった。

故に再び、見張りの兵に、今度はシュウを呼んで来て貰い。

今、セツナの部屋には、セツナとカナタと、ホウアンとシュウ、の四人が集っている。

「でも……行かないと……。だいじょぶですよ、マクドールさん……。ホウアン先生に、一寸強めのお薬貰えば……」

──…一度は捲られた布団を、再び首の辺りまで持ち上げたカナタを制するようにセツナは言い、もぞもぞ、寝台より這い出ようとしたが。

「む・り。そんな高い熱を出して、戦になんて出られる訳ないだろう?」

にこっと笑ってカナタは、セツナの動きを止めた。

「だけど……そう云う訳には………。平気、ですよ……多分……。行軍、するんですもん……。グリンヒル行くまで……三、四日は掛かりますし……。ね? シュウさん」

「……本音を申し上げれば。そうして頂けると助かります」

押し留めようとするカナタと、それを振り切ろうとするセツナを見比べて、シュウは抑揚なく言った。

「しかし……シュウ殿? マクドール殿の言う通り、このままでは盟主殿が、戦場に立つのは無理です。戦のことは、私には良く判りませんが……代理……と言うか……そう云う人を立てる訳にはいきませんか」

そのままの体で戦場に立て、と云わんばかりのシュウに、ホウアンは眉を顰めた。

「代理……な……」

だからチロッ……と。

シュウはカナタへ横目を流した。

「冗談」

シュウの眼差しを受けたカナタは、くすりと忍び笑う。

「ええ、判っておりますよ。貴方に、盟主殿の『代理』など、間違ってもさせる訳には参りませんから」

「ま、そうだろうね。僕もそう思う」

「当たり前です。隣国の英雄殿に、盟主殿の代理など……。この軍に、トランの影など、入れられよう筈もない。同盟だけの関係なら兎も角」

「それこそ、当たり前だね。僕はこの戦いに、何の関わり合いもないんだから。僕がここにいるのは、セツナの為、それだけ。…………それよりも。貴方は本当に、セツナをこのまま、行軍させるつもりだと?」

「難しい処ですな。盟主殿が湖に落ちた挙げ句、風邪を引いた所為で行軍が遅れたと、知られる訳には参りませんから、敵うなら予定通り事を運びたくはありますが。高熱を出したまま戦に立たれたら、はっきり申し上げて迷惑ですし」

「…………でも。貴方は、連れて行くつもりなんだろう? 僕は賛成しないけど。ま、僕がどうこう云っても、所詮は『部外者』だけどね、僕は」

「……盟主殿が、『そこにいてくれるだけ』で構わぬ戦を、すれば良いだけのことです。それこそ、部外者の方に、兎や角云われぬ戦をすれは良いだけのこと」

────何かを含んだ眼差しで、カナタを眺めたシュウと。

そんな眼差しに、忍び笑いを返したカナタのやり取りは、セツナとホウアンの存在を忘れたかのように、暫しやり取りされた。

「あーのー……。御免、ね? シュウさん」

何処か、険悪さの漂う二人の言い合いを、セツナは黙って聴いていたが。

シュウとカナタの間に割って入るように、二人が口を噤んだのを見計らって彼は、御免、と詫びを告げた。

「致し方ありません。話に聴いた処では、不可抗力のようですし……。ですが以後、お気を付け下さい」

「うん。……御免ね……? それでね、あのね……。僕なら、平気、だから……。──マクドールさんも……御免なさい……」

ぺこっと、セツナに頭を下げられ。

もう、カナタのことは意識の外へと追い出しシュウは、溜息付き付き、セツナを見下ろし。

殊勝な態度を見せたセツナは、もう一度シュウへと詫びを告げ、次いで、シュウに告げたそれとは意味の違う詫びを、今度はカナタへ送った。

「…………じゃあ、こうしよう。シュウ、貴方なら、『取り繕い』くらいは簡単に出来るだろう? 適当に、建て前でも言い訳でも付けて、ハイランドの駐屯地までの行軍に、セツナが同行しないで済む理由を拵えてくれないか。現地で、盟主殿は部隊に合流するってことにして欲しい。──僕としては、こんなに熱の高いセツナを連れ出すって云うのは本気で不本意だけど……そうすれば、ビッキーの瞬きの魔法で、セツナを先回りさせられる。行軍に、四日……否、例えそれが三日で終わったとしても、三日あれば、熱も下がるかも知れない。馬の背に揺られるよりは遥かに、回復も早いだろうしね」

「……そうですな。それしか、なさそうですな」

「合流するまで、僕が付き添う。……異存はないだろうね、それには」

セツナの詫びに、これはもう、何を云っても耳は貸さないな、と踏んだカナタは。

すっと表情を変え、シュウへと向き直り、そんな提案をした。

「譲りましょう、今回は」

カナタの言い出したことに、シュウは一瞬、何かを考えているような素振りを見せたが。

やがて、致し方ない、と軽く頷いた。