カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『傍らの音』

パタパタ、パタパタ、何処か、幼い子供の足音にも似た音を立てながら。

向かった先──『己が城』である、デュナン湖畔に建つ同盟軍本拠地の、レオナの酒場の扉を開いてみれば。

「……うわー……。クサっっ!」

ツン……と、強いアルコールの匂いが鼻を付いて、同盟軍盟主である少年・セツナは、思わず鼻を押さえた。

ふにゅっ……と強く鼻を摘み、きょときょと辺りを見回してみれば、行ってしまう年を惜しみ、来る年を祝おうとしている、同盟軍の面々──但し、『大人』達限定──が、これでもかっ! と言わんばかりに、それはそれは『見事』な酒宴を催していて。

「す、凄いね……、皆…………」

たった一杯の酒精を飲み干しただけで、コロリと寝てしまう程酒に弱いセツナは、ヒクっ……と頬の端を引き攣らせつつ、酒場へと踏み込んだ。

──今年最後の日。

夜引いて酒宴と洒落込むのだろう酒好きな仲間達で、彼が踏み込んだ酒場はごった返していたけれど、それでも、溢れんばかりの人、人、人……と云う訳ではなく。

ひょいひょいと、カウンターやテーブル席に陣取る大人達の脇をすり抜け、セツナは進んだ。

ここに集っているのは、面白可笑しく、騒ぎながら酒を嗜むのを好む仲間達だ。

この、同盟軍の城に集った仲間達の中には、如何に酒が強かろうとも、友や、この戦いに参加するよりも以前から近しかった者達や、家族と、静かに自室で、新年を迎えようとしている人々もいるし。

幼い者達は、起きてるぅぅ! と言い張りながらも、もう夢の中だし。

『少々』、齢を重ね過ぎてしまった者達は、言葉は悪いが、老人会の寄り合いのような風情を醸し出しながら、しみじみと、酒を嗜んでいるし。

少年達は少年達同士、少女達は少女達同士、好き勝手に、菓子や飲み物を持ち合って、何処そこで過ごしているし。

年が行こうとも、年が来ようとも、それこそ槍が降ろうとも、馬鹿騒ぎに興じている暇なぞない、と、黙々、書類と戯れている、正軍師のシュウのような人種もいるから。

この酒場に集っている面子は、何時ものそれと、そう大差はなく。

ごった返しているが、身動きが取れない訳ではない酒場の中を縫って、セツナは、目的の人物が座っているテーブルへと辿り着いた。

「お待たせしました、マクドールさん」

──辿り着いたテーブル席の、一つだけ空いていた椅子にひょこっと飛び乗り。

セツナは、目指していた人の面を覗き込んで、にこっと微笑んでみせた。

「お帰り。……大丈夫だったの? レストランの方は」

すれば。

セツナに微笑み掛けられた人物──トラン共和国建国の英雄、と名高いカナタ・マクドールは、セツナに負けず劣らずの笑みを浮かべ、セツナを見返した。

「ええ。何とか阻止しました。ナナミが、ハイ・ヨーさんがお正月料理作るの手伝うっ! って言い張った、『あれ』。……そんなの、何が何でも阻止しないと、お正月から僕達皆、寝込むことになっちゃいますもん……。も、体張って阻止しましたよぅ。……あー、疲れたー……」

「お疲れさま。……ナナミちゃんには可哀想なことかも知れないけど……新年早々、揃いも揃って寝込む羽目、って云うのは、一寸ね」

己が隣に座って、にこにこと微笑み、が、たった今成して来たことを告げ終えたセツナが、心底草臥れたように、べちゃっとテーブルに突っ伏したのを見て。

カナタは、よしよし、とセツナの頭を撫でた。

────デュナン地方とトラン共和国を隔てる国境の村、バナーの村の池の畔で、偶然出逢ったその日より、セツナのことを、『溺愛』して、猫っ可愛がりして、年がら年中、傍に『引っ付いている』カナタと。

やはり、出逢ったその日より、兄のようなカナタに、懐いて懐いて、それは見事に懐いて止まないセツナが、それまで共にいなかったのは、食したら最後、大男でも一発で昏倒する程に『強烈』な料理を拵える、セツナの義姉・ナナミの、『お手伝い精神』が原因らしく。

セツナとカナタのやり取りを耳にしてしまった、レオナの酒場に居合わせた面々は、一瞬、シン……と水を打ったように静まり返り、が、カナタに、「阻止成功ですっ!」と高らかに宣言したセツナの声を、再び耳にするや否や、又、人々は喧噪の中へと立ち返り。

「お正月からお腹壊して、ずーーーっと寝込むのも、御手洗いとお友達になるのも、僕だって嫌ですもん。ナナミに恨まれようと泣かれようと、こればっかりは譲りませんっ! 僕は、ハイ・ヨーさんの作る美味しいお正月料理が、たらふく食べたいんですっ!」

あは、皆も怯えたみたい、とクスクス笑いながら、テーブルと仲良くなっていた体を、セツナは起こした。

「……それは、まあ……同感、かな……。──処でセツナ、何か飲む?」

がばりと身を起こし、強く握り拳を固めたセツナの姿に、カナタも又、忍び笑い。

「偉い、セツナ」

「……一寸、ナナミのあれはなー。強烈だからなー……」

カナタと同じテーブル席で、酒を飲んでいたらしい、同盟軍の腐れ縁傭兵コンビ、ビクトールとフリックが、顔全体に、安堵の色を浮かべながら、口々に、セツナを褒めた。

「うんと、ジュー…………。────うわー……。マクドールさんも、ビクトールさんもフリックさんも、凄くお酒臭い……」

傭兵コンビに褒められ。

何か飲む? とカナタに言われ。

折角だから、ジュースくらい……とセツナは言い掛けたが。

途端、彼は。

同席した三名が吐き出す、息の酒臭さに、むう……と顔を顰めた。

「あ、御免ね? そんなにお酒臭かった? 今夜は一寸ね、そこの腐れ縁コンビに『唆されて』、強いお酒飲んじゃったから……」

故にカナタは、御免、と苦笑いを拵え。

「……ミルク一つと、んー……。林檎のジュース、一つ」

通りすがった、お運びの女衆に、彼はそんな注文をした。

「マクドールさん、何でミルクなんて飲むんですか? ……それに……強いお酒って、何ですか?」

…………カナタが求めた、ミルクと林檎のジュースが届けられて程なく。

ジュースを飲みながらセツナは、冷たいミルクを飲み始めたカナタを見上げた。

「ん? ミルク飲むとね、お酒臭さって消えるんだよ。──で、僕達が飲んでたのは、これ」

だから、カナタは。

とっととミルクを飲み干して、テーブルの片隅に置いておいた酒瓶を、ドンっ、とセツナの前に置いた。

「…………透明なお酒ですね。……えーーーと……火酒? …………これって、ものすんごく強いんじゃありませんでしたっけ……?」

「強いぞー。試してみるか? セツナ。火、吹けるぞ、ボルガンみたいに」

置かれた瓶を手に取って、まじまじ眺めたセツナが、目を丸くすれば。

愉快そうにビクトールが笑い出し。

「……ヤ。こんなの飲んだら、僕倒れちゃうもん」

ンベー、とセツナは、熊のような体躯をした傭兵へ向けて、舌を出してみせた。

「こんなの飲んで、美味しいのかなー……。わかんないなー……。大人の人って、どーしてこんなの、飲むのかなー……。──こーゆーの飲むのが、楽しいの? ビクトールさんもフリックさんも。……マクドールさんも、そうなんですか?」

「楽しい……。まあ、楽しいな」

「楽しい……と言うか……。んー……。飲む行為が楽しい、と言うか。酔うのが楽しい、と言うか……」

「……僕は、『楽しい』、と云う訳じゃあないんだけどね……」

ペロ、っと舌を出した後。

楽しい? とセツナが、素朴な疑問の浮いた、薄茶色の瞳を向けて来たから。

ビクトールもフリックもカナタも、口々に答え。

「まあ、少なくとも、セツナには楽しくないだろうと思うよ。飲めない人にとって、酒精も酔っ払いも、敵以外の何物でもないしね。…………さ、じゃあ、そろそろ行こうか、セツナ。──又、明日。二人共。良いお年を」

未だ三分の一程中身の入った、火酒の瓶を取り上げながら、カナタはセツナを促しつつ立ち上がり。

「あ、はーーーい。──それじゃ、お休みなさい、ビクトールさんにフリックさん。良いお年をー」

セツナも又、それに応え。

「お休みー、皆。良いお年をー。又明日ねーーー」

カナタに手を引かれるまま、彼は。

集った人々へも挨拶を告げながら、酒場を出て行った。

「…………なあ、ビクトール」

「ん?」

そうして、二人が出て行った後。

徐に、フリックがビクトールを呼び。

あ、カナタの野郎、酒返せっ! と喚きながらも、ビクトールは相方の声に振り返り。

「カナタの奴さ」

「……カナタが、どーした?」

「酒場でミルク飲むなんて子供っぽいこと、もう流石に出来ないなー……とか何とか、この間、ほざいてなかったっけっか?」

「………………あー……。そう云えば、んなこと言ってやがったなあ。……ま、セツナの奴がいたからだろ? セツナに、酒臭いって喚かれればな、あいつだって」

「…………来年も、『溺愛』は続く、ってか……」

「判り切ったこと、言うなよ。カナタがセツナのこと『溺愛』し続けるのも、セツナがカナタに懐き続けるのも、序でに言えば、俺達があの二人に振り回されるのも、変わらねえだろ、年が明けたって」

去って行った二人に、しみじみ思いを馳せて。

彼等は又、酒を飲み出した。