カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『見えざるモノを』

恐らくそれは、わざとなのだろう、と、彼は看破していたが。

何時も、大抵の場合、殆どの者の目には何処となく頼り無げに映る笑みを湛えて、ほやほやと城内を歩いている少年が。

今日に限って、随分と難しい顔をしているのを、彼、ビクトールは通りすがりに見掛けて。

思わず、声を掛けた。

「どーした、セツナ。んなこ難しい顔して」

「んー……。一寸……」

ポン、と肩を叩き。

ハイ・ヨーのレストランがある側の城壁近くの木の下に座り込んで、何かをじーっと見詰めていた盟主の少年、セツナの注意を、彼は引く。

見遣っていた、紙切れらしい代物を覗き込むように見下ろしてやれば、パッとセツナが上向いて、にこりと微笑み、が、すぐさま又、難しい顔に戻ってしまったから。

ビクトールは今度は意図的に、セツナの手の中の紙切れを覗いた。

「真剣に、何を見てやがる? って……ああ、レシピか?」

「うん、そう」

某かがしたためられている紙をじっと見詰めれば。

そこに書いてあったのは、料理の作り方、所謂レシピ、と云う奴で。

それの何がここまで、セツナに難しい顔をさせるのかと、ビクトールは首を傾げたが。

「……………これ、は……」

レシピのタイトルに、はっとさせられることが一つあって、彼は言葉を詰まらせた。

が、そこは、この男のことであるから。

胸の中に僅か落ちて来たコトなど、お首にも出さず。

「その通りに作ったら、旨そうなシチューになりそうだなあ、セツナ。ハイ・ヨーんトコのメニューに加わるのが楽しみだよ」

にこっと笑ってビクトールは、セツナの頭をガシガシと掻き乱した。

そうしてそのまま彼は、その場を去ろうとしたのだけれど。

胸に落ちて来たモノのことに触れる前に、そこより消えようとしたのだけれど。

「……あのね、ビクトールさん」

敵もさるもの、背を向けようとした彼の服の裾をしっかりと掴んで引き止め。

「何だよ」

「一寸、相談に乗ってくれる?」

先程ビクトールが拵えた笑み以上に、にっっこりとした微笑みを、セツナは湛えた。

「相談……って?」

ぐいっと裾を引かれた瞬間、しくった、『敵』を見くびっていた、とビクトールは後悔したけれど、それは後の祭りで、この城の中核を担う者達が、盟主、と云うよりは、大切な弟、とセツナを見遣っているのと同じく、彼も又セツナのことを、弟分のように思っているから、相談、と云われてしまえば、話を聞いてやらない訳にもいかず。

渋々ビクトールは、セツナの隣に腰を下ろした。

「これ……実はね、マクドールさんの家で見付けたレシピでね。多分、グレミオさんって云う人が書き残した物だと思うんだ」

『相談』と云うなら語ってみろ、と。

ビクトールが肩を並べた瞬間、セツナは。

底なしに懐が広い質であるビクトールでさえ、余り口にしたくない、と思った人物の名を告げる。

「知ってるでしょ? ビクトールさんは。グレミオさんって人のこと。──とっても、お料理上手だったんだってね。マクドールさんの付き人だったんでしょ? ……でね。僕、マクドールさんには何時もお世話になってるから、偶然グレミオさんのレシピも見付けたことだし、このシチュー作って、マクドールさんに……って思ったんだけど……」

「……けど?」

「…………却って、マクドールさんに辛い思いさせちゃうかな……」

「成程…………」

グレミオの名を出したセツナが、一体何を『相談』するのかと思いきや。

彼が洩らしたことは、そのようなことだったから。

確かに正しく、『相談』だな、と。

ビクトールは、木漏れ日の向こう側にある天を仰いで、考え込んだ。

「なあ、セツナ」

暫し、陽光を見上げ。

三年前に消えてしまった、面差しの一つを思い出し。

彼はセツナを呼ぶ。

「なぁに?」

「お前、グレミオのこと、誰に聞いた?」

──マクドールさん。小さい頃から付き人だったって云うのも、お料理上手だったって云うのも、三年前の戦いで…………って云うのも、全部、マクドールさん本人に聞いたよ。お母さんの代わりみたいな人だったって。子離れしなくて困った、って。マクドールさん、笑ってたっけ……」

「……そうか」

三年前の戦いが、如何なるモノだったのか、何を齎したのか。

それを、その目で見て来た者ならば恐らく、今も尚己達の傍にいるカナタ・マクドールのことを思って、容易には口にしないだろうグレミオと云う存在を、何故セツナがそこまで知っているのかと問えば。

カナタ本人から聞かされた、とセツナが云うから。

ク……とビクトールは唾を飲み込む。

「だったら、いいんじゃねえか? 語れるってことは多分……『乗り越えた』ってことに、等しいんだろうから」

「うん。僕も、そう思うけど。……ほら、そろそろ、秋も終わって冬が近いから。暖かい御飯が恋しくなる頃でしょ? マクドールさんも、そうかなあ……って思って……だから……って思ったんだけど。『懐かしい思い出』ってね、時々、痛かったりするかなーって、僕思うし。多分、グレミオさんのシチューを御馳走したら、マクドールさん、喜んでくれるんだろうけど。本当は、『苦しい』かも知れないでしょう?」

「まあ、な」

「マクドールさんの本当の心は誰にも見えないし、覗けないし。だから、グレミオさんのシチューをグレミオさん以外の人が作るのは、本当はマクドールさん、嫌かも知れないし。グレミオさんだって、自分以外の人がこのシチューをマクドールさんに作るのは、嫌かも知れないし……。うん、やっぱり……保留にした方がいいかな」

じっ……と己の瞳を覗き込みながら語るセツナに。

極力、過去は過去だと云う雰囲気を醸し出して、ビクトールが言葉を吐けば。

うん、と何かを決めたのか、手の中のレシピを折り畳んで、セツナは懐に仕舞った。

「変な相談に乗って貰っちゃって、御免ね、ビクトールさん」

ポン、と紙を仕舞った辺りの胸許を叩いて、少年は立ち上がる。

「俺は何も、しちゃいねえよ。──セツナ?」

じゃ、又、後でねー、と歩き出そうとしたセツナを、今度はビクトールが引き止めて。

「何?」

「年の割にゃお前は、繊細に出来過ぎてるよ。気、廻し過ぎても碌なこたぁねえぞ?」

振り返ったセツナの頭を、彼は荒っぽく撫でた。

「年の割には……ってーーーっ。又、子供扱いするーーーっ」

ぐしゃぐしゃにされた髪を撫で付け、ぷっと膨れ。

べーっと舌を出して、セツナは城内へと駆けて行く。

その後ろ姿を見送りながら、ビクトールは。

「もっと、単刀直入な聞き方も出来たろうに……。あいつはあれでいて、苦労性だな」

やれやれと、苦笑を洩らした。