カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『黄金の都にて』

色とりどりの野菜や、卵や、牛の乳を詰めた瓶を入れた、籐の蔓で編まれた一抱え程もある籠を左手に下げながら、隣国の、トラン共和国建国の英雄と人々に呼ばれるカナタ・マクドールは、瓦解したジョウストン都市同盟の後を継ぎ、ハイランド皇国との戦を続けている同盟軍本拠地内を、一人歩いていた。

同盟軍とハイランドとが繰り広げている戦争に、毛筋程の関わりも持たぬ彼の姿が、同盟軍本拠地であるこの古城にある理由──ひょんな偶然から出逢った直後から、彼が、それはそれはもう、枕詞代わりに馬鹿が付くくらい『溺愛』している、同盟軍の『小さな』盟主であるセツナは、珍しく、彼の傍らにはいなかった。

出逢ってよりこっち、カナタとセツナの二人は、年がら年中べーーーーー……っとりと引っ付いているのが常だけれど、無表情鉄面皮正軍師殿なシュウにセツナが呼び出されてしまったから、致し方なくカナタは一人で、本拠地の東棟の外れにある、腕のいい農夫トニーが任されている農園へ行って、収穫したばかりの野菜を分けて貰い、次いで、ユズという、幼いながら酪農の才に長けている少女が切り盛りする牧場へ行き、新鮮な鶏達の卵と、搾り立ての牛の乳をやはり分けて貰い、セツナと落ち合う約束を交わした、本拠地本棟一階の、転移魔法を操る少女ビッキーが管理している転移の為の大鏡前へ向かおうとしていた。

例え実態は、盟主なセツナを、ベッタベタに、これでもか! と甘やかして止まない、過保護にも程があり過ぎる盟主の保護者筆頭だとしても、建前上の同盟軍内の彼の立場は、食客──セツナの為『だけ』に、小規模な戦い等々には手を貸してくれる『お客様』、とでも言い表すのが妥当で、にも拘らず、彼が城内を闊歩する姿は、何処となく我が物顔な風情だった。

だからと言って、正軍師殿辺りは不遜と例えるだろう彼の態度に文句を言う者や、苦言を呈する者はいない。

正しくは、同盟軍内に、そんなことを彼へと面と向かって言える者などいない。

文句だろうが苦言だろうが苦情だろうがおねだりだろうが、セツナに言われれば、カナタは二つ返事で受け入れるだろうけれども、セツナは、『細かいこと』はこれっぽっちも頓着しない、『おおらか』な性格をしているし、我が道のみを歩んで止まない英雄殿が、それでも一目置いている者達も、彼のやることには滅多に文句は付けないし、彼等は、カナタの機嫌を損ねたら最後、後が恐ろしいと身に沁みているので、余程、目に余ることを仕出かさぬ限り、放置・放任の態度を貫く。

……誰だって、可愛いのは我が身だ。

──なので、一見は、どちらかと言えば線が細く感じられる、家柄や育ちの良さが滲み出ている美丈夫、と言えるだろう見て呉れから、風格すら漂わせつつ城内を行った彼は、牧場よりの戻り道、たまたま通り掛かった厩舎近くで、先日起こった、ハイランドとの小規模な戦いの際、臆病風に吹かれて敵に背を向け掛けた兵士達を怒鳴り飛ばしていた、同盟軍の腐れ縁傭兵コンビなビクトールとフリックの大声を聞き付け、足を留めた。

三年数ヶ月前に終結した、トラン解放戦争と名付けられたあの戦争の頃はいざ知らず、現在のカナタの生き甲斐は、セツナをベッタベタに甘やかしまくることで、現在の基本理念は、『セツナが良ければそれでいい』なので、セツナが泣くような事態にさえならなければ、ハイランドとの戦の行方がどうなろうと、彼には興味も持てないし、一般兵士達の五人や十人、腰抜けな様を晒そうとも、「ふーん……」程度でしかないのだが。

聞くともなく聞いていたビクトールとフリックの説教より、件の兵士達が臆病風に吹かれた際、彼等は、セツナがいた本陣の盾になるべく布陣された部隊にいたと知れ、途端、彼は踵を返す。

「ビクトール。フリック。今の話、本当なのかな?」

収穫したての食材が満載の籐籠をぶら下げたまま、暇潰しの城内散策の途中、といった風情でビクトール達に近付いた彼は、にこにこ笑みながら、たった今仕入れた話の正誤を確認し、ふんふん、と頷き、

「……僕に、そこの城壁まで吹き飛ぶ喝を入れられるのと、戦場に立つ者の心構えを説かれるのと、どっちがいい?」

声音だけは穏やかに、「うわ、セツナ様のことになると、人が変わるマクドール様が……!」と青褪めた兵士達へと問うてから、鉄拳制裁より言葉での説教の方が未だ良かろうと、後者を選んだ彼等へ、怒涛の勢いで、懇々と、それはもう懇々と、隣で黙って聞いていたビクトールとフリックが、「そろそろ勘弁してやっても……」と兵士達を庇い出すくらい、感情のかの字も窺えぬトーンの声で、一瞬足りとも直立不動の姿勢を崩すこと許さず、兵士達の性根を叩き直し続けた。

「あ、いたいた! マクドールさーーん!」

けれども。

何時まで経っても、落ち合い先の大鏡前へやって来ないカナタを探しに来たセツナの呼ぶ声が聞こえ、その小柄な姿が見えた途端、兵士達が男泣きするまでの説教をピタリと止め、表情一つなかった、男性であるのに秀麗との表現が相応しい面──故に、表情を消されると凄まじく恐ろしい──に見事な笑みを浮かべ、声音にも温度を取り戻して、カナタは、

「ああ。御免ね、セツナ。一寸、彼等と話し込んでしまった」

トトトトト……、と子供のような足取りで駆け寄ってきた、ほわほわと、何時も通り『頼りなげ』に笑んでいるセツナを振り返った。

「あ、そうなんですか? マクドールさん、いろんな人と仲がいいですねー。……って、そうだ。お話の邪魔しちゃって御免なさいなんですけど、ビッキーが待ち草臥れちゃってますから、行きましょう、マクドールさん。早くしないと、グレッグミンスター着く前に夜になっちゃいますしね。トニーさんとユズに頼んどいたお土産、受け取ってくれました?」

「うん。この通り。有り難う、クレオも喜ぶよ。でも、こんなに貰っちゃっていいの?」

「はい! マクドールさんとクレオさんに喜んで貰えるなら嬉しいです! クレオさんに、宜しくって伝えて下さいね」

「そう? じゃ、遠慮なく。言伝は、ちゃんと伝えるよ。──さ、行こうか」

「ええ、行きましょー。──皆、訓練頑張ってねー!」

「それじゃあね。話の途中で申し訳ないけど、これで失礼するよ。……ああ、そうそう。ビクトール、フリック。野暮用があるから、二、三日、グレッグミンスターに戻るけど、その間、セツナのこと宜しく」

傭兵コンビも兵士達も尻目に、セツナと、和気藹々話し始めたカナタへ、ビクトールとフリックが、毎度のことながら、いっそ天晴なまでの裏表っぷりだ、と言いたげにしているのも、兵士達が、「天の助け……!」とセツナの登場に咽び泣いているのも、綺麗さっぱり無視し、「暫しの不在の間、万が一、セツナに何か遭ったら只じゃおかない」と、一同へと釘だけ刺してから、彼は、『溺愛中』の盟主殿と共に、その場を去って行った。

「……二、三日は、静かだな」

「何事もなけりゃな」

「何事かが遭って堪るか。あいつがいない時に、セツナに何か遭った日にゃ、俺達だけじゃない、同盟軍の人間全員、一人残らず、さっきまでのこいつ等以上の目に遭わされる」

「確かに…………」

去って行く二人を、複雑な顔しながら見送ったビクトールとフリックの小声のやり取りは、幸いなことに、『セツナ馬鹿』なカナタの耳には届かなかった。