カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『この眠りから醒めれば』

ロックアックス、と云う名を冠された、北方の城にて。

ナナミ、と云う名の少女が傷付き倒れてより、そろそろ、一ヶ月近くが経とうとしていた。

あの、堅牢な城で起こった出来事は、十数ヶ月に渡り繰り広げて来た、ハイランド皇国との戦争に、半ば、王手を掛けたと云って良い同盟軍の皆々に、暗く重たい影を投げ掛けたけれど。

それでも、時間の流れと共に少しずつ、同盟軍の居城と、人々を覆った悲しみも、息苦しさも、晴れ…………──否、その悲しみと息苦しさは、晴れずとも晴れさせなければならぬ物だったから、無理矢理に振り切った者が、圧倒的大多数だった、と云った方がいいのかも知れない。

例えあの、北の城にて起こったことの所為で、ナナミ、と云う少女が命を落とそうとも。

命を落とした少女が、彼等の属する同盟軍盟主の義姉で、何者からも愛された、野に咲く花のような、明るい人だったとしても。

たった一人の人間の死に、何時までも悲しみを寄せていて許される程、戦争、と云うものも、彼等の置かれた現状も、彼等の辿っている運命も、優しくも柔らかくもないし。

何よりも、大切な義姉を失って、誰よりも今回のことを嘆いているだろう筈の盟主・セツナが。

……彼が……これまで、この城にて過ごして来た十数ヶ月の日々同様、朗らかに笑いながら、毎日を過ごしているから、段々と、ナナミのことに触れる者も、ナナミを失った悲しみを、あからさまに思い出す者も、いなくなった。

だからと云って、決して、ナナミのことを皆が忘れた訳ではないけれど、ナナミを失った夜は、流石に泣き濡れたらしいが……、それ以降決して、涙も悲しみも、セツナは見せようとしないのだ、自然、人々の口に、その話題は上らなくなる。

悲しもうとも、嘆こうともしないセツナが、義姉を亡くした悲しみも嘆きも、何処かに置き去りにしてしまったと思う者も、居はしないけれど。

それでもセツナは笑っているし、誰よりも、何よりも、彼の支えになっているらしいことだけは明白な存在、隣国トランの建国の英雄、カナタ・マクドールが、セツナの傍にずっといるから、セツナは恐らく、大丈夫なのだろう、そう考えて。

人々が、今までのように、営みを送り始めて…………そう、もうそろそろ、一ヶ月。

「…………あ、そうだ」

もふっと、数時間前、ハイ・ヨーに作って貰ったクッキーを齧りながら。

城の屋上で、カナタと、フェザーと、ムクムク達五匹のムササビ……と云う『大人数』で、風に吹かれながら午後のおやつを楽しんでいたセツナが、ふっと、いけない、忘れていた、そんな風に、渋い顔付きをした。

「ああ、『呼び出し』のこと? ……忘れてた? セツナ」

セツナの隣で、焼き菓子を口に銜えつつ、手にした同じ物を砕きながら、ムクムク達やフェザーに与えていたカナタは、軽い苦笑を浮かべた。

セツナがうっかり失念していたことを、カナタはしっかり覚えていたようで、が、セツナを呼び出した相手は、所詮シュウだから……と云う発想の元、彼はそのことに触れなかったのだけれど、当のセツナが思い出してしまったからには、致し方ない、とばかりに。

食べ掛けのクッキーを、パリンと噛みつつ飲み込んで、ここまで運んで来た茶器にて楽しんでいた、茶の残りも飲み干し。

「ええ。コロッと忘れてました、シュウさんに、二階の議場に来て下さいねって云われてたこと」

「じゃ、思い出したなら、行こうか」

動物達に与えていたクッキーを、全てやり終えてからカナタは、あーはー、と笑って誤魔化したセツナを促して、茶器を手に立ち上がった。

「はい。いい加減行かないと、シュウさん、まーーーた、目、吊り上げて怒り出しそうですから。……あんなに年中、僕にお小言かますことに燃えてて、疲れないんですかねえ、シュウさん。もう少し、おおらかに生きればいいのに」

「……セツナにそんなこと云われたら、落ち込むと思うよ、彼。おおらかなのは良いことだけど……セツナは時々、のんびり屋さんになるしねえ」

「え……。僕、トロいですか……?」

「そう云う訳じゃないけれどね。彼と君では時々、テンポが合わないって云うお話。──先に、行っておいで、セツナ。お茶の後片付けしてから、後追い掛けるから」

「あ、いいですよ、そんなの。僕がやります」

「いいから。……ほら、遅くなると、お小言だよー」

又後でねー、と。

フェザーやムクムク達と、その時最後の戯れをしながら、シュウの元を目指し始めたセツナと、一言二言、交わし。

午後のお茶の後片付けなど、自分がやる、と言い張る彼を退け。

「じゃあ……御免なさい。先、行ってますね。多分、ルルノイエへ攻め入るのがどうたらって云う話でしょうから、直ぐ終わると思うんで……えっと……議場の前で、待ってて貰えますか?」

「ああ、判った」

お先です、と駆け出した少年を見送って。

……行くの? と云う視線を送って寄越した、動物達を一度だけ振り返り、カナタも又、階下へと下りた。

茶器を持って階段を下り、セツナの部屋へ向かう途中、偶然、掃除をしていた女衆と巡り会えたが為、彼女達に、午後のお茶の後片付けを任せることにし。

今日は、棍以外の武器が懐にあるから、別に良いか、と、手ぶらのまま彼は、エレベーターではなく、階段を使って、二階へ向かった。

シュウと、セツナの間で交わされているだろうやり取りは、直接カナタには関係がないそれだし、まあ大体、事の成りゆきは読めるし……と。

一寸今日は、セツナの顔色が余り良くなかった……、それだけを心に留めながら彼は、ふらり、根無し草のような風情で、二階の廊下を歩いた。

アップルやクラウスと云った、軍師達で占められている部屋の前を通り過ぎれば、丁度、廊下の角に差し掛かった辺りで、議場の方角からやって来たシュウと擦れ違い。

何やら考え込んでいるらしい正軍師殿の横顔を、ちらりと観察しながら、けれど無言のまま、その擦れ違いをやり過ごし。

観音開きの、議場の扉の前にカナタが立った時、計ったように、中からセツナが出て来た。

「ああ、セツナ。シュウのお話、終わった? ──………………? セツナ……?」

開け放った扉を、後ろ手でバタンと閉めて、ひょっこり姿見せた彼に、カナタは、にっこり微笑みながら声を掛けたが、眼差しも、言葉も、返っては来ず。

訝し気に彼は再度、少年の名を呼んだ。

「セツナっ!」

…………が、彼のその、訝し気な声は。

次の瞬間、鋭いそれに変わる。

名を呼んでも、答えてはくれなかったセツナが、己の目の前で、崩れるように倒れて行くのを、知ったが為に。

「……セツナ? セツナっ。…………駄目だ……」

議場の入口に立ち尽くし、心持ち、上向いた直後。

すっ……と瞼を閉ざすや否や、糸が切れた操り人形のように弛緩した体が、石畳の上に叩き付けられる寸前、駆け寄り、伸ばした手で以て、セツナの身を掬い上げること叶ったのに幾許かホッとしながら、腕に収まった彼を軽く揺さぶってみたが、ぴくりとの身動みじろぎも返らず。

マズい……とカナタは、舌打ちをした。

セツナの顔色が良くないことは重々承知していたから、もしかしたらその内……とは思っていたけれど、午後も半ばの時間帯、決して、往来の少なくないこの場所で倒れてしまった彼を、誰にも見咎められず部屋へと運ぶのは、不可能に近いと思え。

きっと、騒ぎになる……とカナタは、苦い顔をする。

「仕方ない……。騒ぎなったら、騒ぎになった時、だ」

──が、だからと云って、他に手の打ちようもなく。

片膝を石の床に付いたまま、支えていたセツナを、盟主の自室へ運ぶべく、彼は、小柄な体を抱き直した。