お手洗いは向こうって、何で? と。

きょとん、となった義姉を押し退け制止をしたのに、残念無念、間に合わず。

何が言いたいのかよく判らないセツナの絶叫が消え、やけに、シン……と静まり返った酒場に、幻聴かと思える程大きく、カナタがクッキーを噛み砕く音は響いた。

「……マ、マクドールさん……? だいじょぶ、ですか…………?」

バキっ! と。

貴方が食べているのはクッキーではなく、堅焼き煎餅ではないんですか、と突っ込みたくなるくらいの音を立てて──否、それだけの音を立てさせずにはならなかった程、手強く固かったクッキーを、ポリっと咀嚼してしまったカナタの様子を、椅子に座る彼の膝へと両腕付いて、セツナは窺う。

「マクドールさん…………?」

でも、カナタからの応えは、直ぐには返らず。

どうしよう、と再度、セツナが彼の名を呼んだら、やっと、にこっとカナタは笑んだ。

……でも。

大丈夫、と笑んではみたものの。

彼も、彼をしても、セツナを安堵させる笑みを浮かべるのが、精一杯、だった。

一口で食べられる程小さい、けれど、煎餅よりも尚固い、奥歯に渾身の力を込めて噛み砕くのがやっとだったそれを、無理矢理飲み込もうとしたら、えも言われぬ味が、彼の口の中に広がったのだ。

見た目は何処からどう見ても、クッキー以外の何物でもないのに。

苦いし辛いし塩っぱいし。

焦げ臭い何かを食べていると言うよりは、焦げそのものを食べている、と言った方が相応しいくらい、『炭』、だったし。

彩りの飴からは、何故か、カラカラに乾涸びた梅干し……? な味がして。

口の中一杯に散った、クッキーの欠片一つ一つ、まるで、石か砂の如くで、更にはその一つ一つが、ぷちぷちと、自ら弾けながら、泡を吹き出していた。

………………そう、だから。

己に持ち得る全ての根性と、全ての気力を振り絞って、大丈夫、と笑んでみせるのが、カナタをしても精一杯で。

出来ることなら今直ぐに、これを吐き出したい、と彼は、心底乞い願ったが。

そんなことをしたら、ナナミを傷付け、セツナを泣かせるだろうのが、目に見えたので。

もう、これ以上絞ったら、涸れる、という所まで、気力と根性振り絞り。

「…………ナナミちゃん。御馳走様。……御免ね、一寸セツナに、渡したい物があったの思い出したから、又、後で」

決してナナミと視線を合わせず、相変わらず心配そうに覗き込んでくるセツナの腕を強引に引いて、表情だけは、努めて平静を装ったまま、そそくさと、酒場を後にした。

そうして彼は、足早に、酒場前の廊下を歩き切り、階段を昇り。

「だ、だいじょぶですか? マクドールさん……」

「……………………一応……」

「ホントですか? 無理しないで下さいね? あっ、僕ホウアン先生の所行って、お薬貰って来ましょうか? それとも、横になります?」

「……いや、大丈夫。と言うか、薬を飲んだり横になったりで、何とかなるとは思えない……。……セツナ、井戸、何処?」

「へ? 井戸ですか? レストランの裏にありますよ? そこのが一番近いです」

「そこに、柄杓ある?」

「…………? あると思いますけど?」

「判った。有り難う」

セツナから聞き出した、井戸のあるレストラン裏手を目指して、歩く速度を又上げた。

「井戸で、何するんですか?」

「ん? 飲めるだけ水飲んで、吐いて、を何回か繰り返そうかと」

「何でですか?」

「毒物を嚥下してしまった時は、そうやって対処するのが一番だから」

「……………………そうですか……。マクドールさんにとっても、ナナミのあれは、毒と一緒ですか……。益々、酷くなったのかも、ナナミのお料理……」

「御免ね。君の義姉のナナミちゃんの料理のこと、こんな風には言いたくないんだけど。あれは、一寸……幾ら何でも……。……正直、青天の霹靂だった。あんなクッキーを作れる子が、この世にいるってことが…………」

「あ、いいんです。事実ですから。って言うか、あれ食べても倒れないで、こうしてられるマクドールさん、偉大過ぎです。お腹も丈夫なんですか? マクドールさんって」

「……単に、毒物に対する耐性があるだけじゃない?」

「あははー。さり気なく、直球な一言ですねー。──でも、御免なさい、マクドールさん。ナナミの所為で」

「そう? そんなに直球? ──君が謝ることはないよ。君の所為ではないんだし。セツナの忠告守らなかった、僕も悪いし。……という訳で。もう一寸、急いでもいい?」

「あ、はーーい!」

そうして彼等は、それまで以上に急ぎ足で、レストランの裏手へと向って。

さて、それより数日後。

ナナミのお手製クッキーを口にしてしまった日、何処となく急いでいる風に、生家のある、グレッグミンスターへと戻ったカナタが、その日は自ら、同盟軍本拠地へとやって来た。

本拠地に泊まることなく、黄金の都へと戻った彼が、あの日より今日まで、実の処は寝込んでいたのかそうではないのか、それは当人と、マクドール邸の留守居役・クレオにしか判らないけれど、災厄に見舞われてより数日経った彼は、何時も通り、健康そのものに見えて。

「やあ、セツナ」

「あれ? マクドールさん?」

盟主の部屋の扉を叩くや否や、応えも待たずに滑り込み、にこっと笑いながら自分を呼んだ彼へ、どうしたんだろう、と首を傾げながら、セツナはトトっと近付き出迎えた。

「もう、大丈夫なんですか?」

「ん? 僕は最初から平気だよ。あの所為で、寝込んだりもしてない。あの日、日帰りでお暇したのは、万が一、体調を崩したりしたらセツナに迷惑掛かるかな、って思ったから。だから、心配しなくても良いよ、セツナ」

飼い主を待ち侘びていたような仔犬の如く出迎え、不安そうに、ちょこんと首を傾げたセツナの髪を撫でてやりながら、カナタはそう言って。

「今日はね、一寸、頼みがあって来たんだ」

「頼み、ですか?」

「うん」

ちょいちょいと、小さな彼を手招きながら、ベッドの端に、彼は腰掛けた。

「ナナミちゃんにね、何かお菓子を作って貰えないかな、と思って」

「えっっっ!? マクドールさん、あれ食べても懲りなかったんですかっっ!?」

カナタと並び座り、あの日別れた後も、カナタに何事もなかったことに安堵しながらも、頼みとは何だろうと、セツナはもう一度首を傾げて、告げられたそれに、悲鳴を上げる。

「そうじゃなくて。僕にあれを食べさせて、自分達だけはと避難した、ビクトールとフリックに、『お礼』をしなきゃならないから」

心底仰天した風に叫ばれた、セツナの悲鳴に軽い苦笑を浮かべて、カナタは、そうじゃない、と、『企み』を語った。

「…………な・る・ほ・ど。………………あ、マクドールさん。そういうことなら、良いものがありますよー」

と、セツナは。

聞かされた企みに、えへーーーー、と、嬉しそうー……に笑った。

「良いもの? 何?」

「この間、マクドールさんが食べさせられたクッキーです。僕、未だ持ってるんです。あの日の夜、余ったから食べてって、ナナミに押し付けられちゃって。でも、食べたくはないですし。かと言って、捨てたら勿体ないなー、って思っちゃって。どうしたらいいかなあって、困ってたんです。ビクトールさんとフリックさんに食べて貰えるなら、僕、凄く嬉しいですっ!」

「……ああ、そうだね。味が如何なる物であろうと、食べ物を粗末にするのは良くないし。うん。きっっちり、食べて貰おうね、あの二人に」

「はーーーい!」

だから、うんうんと、カナタはわざとらしく、深く頷いてみせて。

立ち上がったセツナはいそいそと、部屋の片隅に隠してあった、ナナミクッキーを取り出し、『それ』と判らぬように、包み直して。

彼等は連れ立ち、傭兵達がいるだろう場所目指して、セツナの部屋を出て行った。

その日、昼間。

三途の河の向こう側のお花畑で手を振る、アナベルやオデッサの幻影に魘されたまま、ぶっ倒れたビクトールとフリックが、何とか、ベッドから這い出ること叶ったのは、それより、二週間後のことだった。

End

後書きに代えて

ふと。ナナミの料理が強烈なのを、充分承知しているカナタは、果たして身を以て、ナナミ料理を味わったことあるのかなあ、と思ったもので。

私の心に正直に、書きました(笑)。

倒れない辺りは流石です。気合いと根性です(笑)。尚、カナタはホントに寝込んでません。或る意味、鋼鉄の胃袋です。つか、何処までも気合い。

例によって例の如く、最終的な犠牲者は、腐れ縁傭兵コンビの二人です。

御免、ビクトール、フリック(笑)。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。