だから。
前回、この城を訪れた時、セツナの必死の忠告を受けていたカナタは、ナナミ料理に関しては、何が遭っても、セツナの言う通りにしようと、固く心に誓っていたのだが。
三度目の訪問となったその日。
セツナや、腐れ縁傭兵コンビのビクトールやフリックと共に、女主人レオナの取り仕切る酒場にて談笑していたら、
「盟主殿、一寸……」
と、シュウに呼ばれ、僅かの間、セツナが席を外したその隙に。
「あれ? セツナは? シュウさんに呼ばれちゃったの? ふーん……。じゃあ、セツナには後であげればいいからー。──マクドールさん、ビクトールさん、フリックさんっ。今日、ハイ・ヨーさんに厨房借りて、女の子達皆で、お菓子焼いたの。食べてみてっっ!」
義弟と入れ替わるかのような形で酒場に姿見せたナナミに、彼は、そう迫られてしまった。
「何……?」
「うん、お菓子っっ。クッキー焼いたの。絶対、美味しいよっっ」
薄紙が敷かれた小さな籠の中に、山程積まれたクッキーを差し出され、ビクトールが仰け反るも。
ナナミはにこにこと笑んだまま、ぐいぐいと、彼等へ、籠を押し付けてきた。
「いや、その。あーー……、俺、は…………」
「あ、ああ。俺、も、その…………」
トン……と、酒場の円卓に置かれた小さな籠を、互い押し付け合う風に、ビクトールとフリックはして。
「ええと、ね。御免ね、ナナミちゃん。僕は一寸……、甘い物は苦手なんだ。折角のお裾分けなのに、申し訳ないんだけど」
カナタは、極力穏便に済むだろう、辞退の道を捜した。
「そ、そう! ほら、俺達も、酒飲みだから。甘い物は。なあ? フリックっっっ」
「そうだ。うん! 甘い物は。なあ? ビクトールっっ」
椅子に座ったまま、ナナミへと向き直り、にこっと笑みつつ、心底申し訳なさそうな顔を拵えてみせたカナタの弁に、傭兵達が便乗する。
「えーー、でも、一枚くらい、いいでしょう? 大丈夫だよ、私達だって、甘い物食べて太るのは嫌だもん、甘さは控え目! クッキーだから、そんなに大きくないしっ。ビクトールさんもフリックさんも、甘い物好きじゃないのは知ってるけど、セツナが作ったお菓子は、何時もちょびっとは食べてるじゃない。セツナが作ったのなら、俺達の好み考えて、とっても甘さ控え目だからー、って。ね? 大丈夫っ。セツナが作ったの食べられるんだもん。なら、私のだって平気だよっっ」
……でも。
ナナミが、手作り菓子を試食させるのを、諦めることはなくて。
「マクドールさんもっ。あの子が作るのと、私が作るのと、そんなに変わりませんから。私達、姉弟だから、味覚も似てるんですよー」
にこっと彼女は、カナタを見た。
「…………あっ、カ、カナタっっ。一応お前は、客なんだからっ。折角だから、お前、どうだっっ?」
「俺達は、うん、一寸なっ!」
少なくとも一枚、籠の中のクッキーが減るまで、この場を立ち去らないだろうナナミの視線が、カナタに向けられたのを見て、生け贄と犠牲者は一人で充分と、ビクトールとフリックは、後の制裁よりも今の平和、とばかりに、これを全て食べたらきっと死人が出る! なクッキーが山盛りにされた籠を、カナタの前へと押し出した。
「へぇ…………」
グッと押し付けられたそれと、押し付けて来た腐れ縁コンビを見比べ、ナナミには決して悟られないように、が、傭兵達二人には充分気付ける程度、カナタは瞳を怒りの形に細める。
二人共、彼女の料理の破壊力を、知っててそういうことをするか、と、細められた瞳は、雄弁に物語っていた。
でも、そんな彼の眼差しを、しらっとわざとらしく、ビクトールとフリックは逸らした。
「ビクトール。フリック。二人共、三年会わなかっただけで……──」
「──マクドールさん、食べてみて下さい!」
だからカナタは、何処までも己を犠牲にしようとする二人へ、追い打ちを掛けようとしたのに、三人の水面下のやり取りに気付かぬナナミは、期待に瞳を輝かせ、カナタへ迫った。
「…………………………。……じゃあ、折角だから、一つだけ、ね」
──自分は今、災厄に見舞われている、そう思いながらも。
期待に満ち満ち過ぎているナナミの視線、顔を背けながらもこちらを気にしている傭兵二人組、この騒ぎを聞き付けて、そっぽを向きつつ、けれど固唾を飲んで成り行きを見守っている風な、酒場に居合わせた人々、その、全ての意識を一身に受けてカナタは、逃げ道はなさそうだなと、籠の中の一枚に、手を伸ばした。
先日、セツナは真剣な顔をして、あんな風に言っていたし。
ビクトールやフリックや、居合わせた者達の反応も、ナナミ料理の凄まじさを物語っているようなものだけれど。
幾ら何でも、高がクッキーを一枚食べた処で、涅槃を見る羽目になるとは、彼には信じられなかった。
セツナのあの態度は、自分を慮っての大袈裟な忠告で、ビクトール達の反応は、ナナミ料理に懲り懲りし過ぎているから、が理由ではないのか、とも彼は思った。
それに、何より。
クッキーという物を、三途の河の向こう側のお花畑を垣間見れる程に、不味く作れる者がいるなど、トラン解放戦争に身を投じるまで、不味い物を食べたことなどない──即ち、料理の腕前が、絶望的に壊滅的な料理人に当ったことがない、その辺りは何処までも大貴族出身、な彼に、想像出来る筈もなかった。
なので、酷い、不味い、『お花畑』が見える、との彼女の評判は、『極普通に不味い』に、尾ひれが付いたものだろう、と、彼は摘まみ上げたクッキーを口にした。
それでも、一応。
最も小さいと思え、且つ、彩りに、小さな飴を溶かして乗せてあるそれを選ぶ、との慎重さは見せたが。
因みに、何故彼がそれを選んだかと言えば、それ程強烈と評判の物を食べるのは、どうしたって少ない方がいい、との人情と、彩りの飴までも、ナナミ達が拵えたとは思えない、との考えが働いた故だ。
要するに。
飴の味で、クッキーの味を誤摩化して、小さいそれを無理矢理飲み込んでしまえば、何とかなるだろう、と。
……だから。
これなら多分大丈夫だろうと、小振りのクッキーを、彼が口に放り込んだ時。
「お待たせしまし……た、ぁ? ……え……?」
「あ、セツナ! 丁度良かった。クッキー作って持って来たの! セツナも食べてっ。マクドールさんにも、味見して貰ってるんだっっ」
「…………………………ナナミ、の作ったクッキー……を。マクドールさんに、味見…………? ……えええええええっ!!!!」
シュウの『魔の手』より開放されたらしいセツナが酒場へと戻って来て、戻って来た彼に、うきうきとナナミはやはり、籠を差し出し。
マクドールさんに味見、との彼女の一言に、セツナは、この世の終わりを知らされたかのような顔付きになった。
「マクドールさんっっ。マクドールさんっっっ! そ、それっっ。い、今直ぐっっ。早くっっっ。お手洗いはあっちですっっっ!」
…………今、正に。
世界の終わりはやって来た、そんな表情を拵え。
真っ青になって。
セツナはワタワタと、クッキーを銜えたばかりのカナタに、混乱しきりの絶叫を放ったが。
時既に遅し、で。
セツナの制止が掛かるより先に、カナタは、ままよ、と口にしたクッキーを、噛み砕いてしまっていた。