カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『とある日の出来事』
──明朗会計──
デュナン地方北部を領土とする軍事強国・ハイランド皇国と、デュナン地方の命運を懸けての戦いを繰り広げている真っ最中であるにも拘らず、「最近は戦況も落ち着いているから」を建前に、毎度の如く、執務からも、口うるさい正軍師殿からも逃走を図ったら、予想以上に連戦連勝してしまった所為で付けが溜まり、その日、とうとう、逃げ続けた正軍師のシュウに取っ捕まった、同盟軍の『小さな盟主』の少年セツナが、そのシュウの部屋で、懇々と、耳を塞ぎたくなる程のお説教を頭ごなしに喰らっていた最中。
「ちょいと! シュウの旦那っ!!」
同盟軍本拠地本棟一階に位置する酒場の女主、レオナが、目を吊り上げ、帳面片手に怒鳴り込んで来た。
「あ、レオナさん」
「丁度良かった。セツナも聞いとくれ!」
少しきつい感じに整っているその容姿と相俟って、怒ったら、軍内の手足れの兵士達でも尻尾を巻いて逃げ出す、見た目は妖艶、中身は女傑な酒場の女主人が、あからさまに怒り狂っているのは手に取るように判ったが、これ幸い、シュウさんのお説教から逃げられる! とセツナが、ちんまりと腰掛けていた椅子の上でレオナを振り返れば、レオナの方も、セツナが居合わせたのを、これ幸い、と思ったらしく、凄まじい速さで彼の傍らに寄り、仁王立ちになった。
「レオナさん、何か遭ったの?」
「……レオナ。今、盟主殿は執務の──」
「──どうせ、執務じゃなくて、くどいだけのお説教かましてるだけだろ! そんなことより! セツナはここの盟主で、あんたは正軍師なんだから、何とかしとくれ、あの馬鹿共をさ!」
ほんわりと、城に集った仲間達へ振り撒き歩いている常の笑みを浮かべつつ彼女を見上げた小さな彼とは対照的に、珍しく、鉄仮面、又は鉄面皮、と軍内外で評判の、誠、表情に乏しい面に、シュウは判り易い怒りの色を浮かべたが、レオナは、再びの怒鳴り声で、あっさりそれを蹴っ飛ばす。
「馬鹿共?」
「そうだよ、ここの馬鹿な連中だよ! そりゃね、あいつ等はいいお得意様さ。毎晩毎晩、あたしの店で呑んでくれるよ。贔屓にしてくれてるのは良く判ってる。けどね! だからって、溜まりに溜まりまくった呑み代の付けも払わずに、何時までもお得意様扱いして貰えると思ったら、大間違いなんだよ! 催促すれば逃げるし、取り立てに行っても逃げるし!」
罵声で鬼正軍師殿をも黙らせ、バンっ! と彼女は、手にしていた帳面を、セツナとシュウの間に横たわる、大きな執務机の上に叩き付けるように開いた。
「馬鹿共……って、皆のことだよね。……皆が付けを払わないの?」
「……どれ。ああ、勘定書きだな」
その剣幕に押され、セツナは首を傾げながら、シュウは渋々、突き付けられた帳面を覗き込む。
「…………あー……」
「成程……」
と、見遣ったそこには、嫌になる程詳細に、同盟軍の腐れ縁傭兵コンビとして名高い二人組の片割れ、ビクトールを筆頭に、レオナの酒場の常連な、酒豪を誇る彼等が、どれだけ酒場の支払いを溜めてしまっているかが計上されており。
こーーー……んなに、ビクトールさん達が付けを溜めちゃってるなら、レオナさんが怒り狂うのも当然……、とセツナは、思わずシュウと目と目を合わせ、ハハ……、と苦笑を浮かべた。
「だが、そんなことを私に訴えてどうすると。私は、この軍の厄介事引き受け係ではないが?」
「言われなくったって判ってるよ! でも、あんたは正軍師で、セツナは盟主だろうっ!? 馬鹿共の躾と尻拭いは、あんた達の役目じゃないのかいっ! 何とかしとくれっっ。さもなきゃ、酒場は閉めちまうからね!」
「えええええ!! レオナさん、それは駄目! 待って、待って待って! 何とかするから思い止まって!」
苦く笑い、次いで呆れ、そんなことは己が携わることではない、と訴えを退けようとしたシュウの態度にカチンと来たのか、レオナは、だと言うなら、酒場を畳み、城を出て行くのも辞さない、と言い出してしまって、故にセツナは慌てた。
非戦闘員だけれども、レオナも仲間で、ハイランドとの戦いに勝ち抜く為の力を貸し与えてくれる一〇八星の一人で、何より彼女とは、彼が同盟軍盟主となる以前、ビクトール達が任されていた傭兵砦で過ごしていた時以来の仲だから、本当に去られてしまったら……、と。
「あたしだって、そんなことはしたくないよ。でもね、こっちも商売だからね」
ワタワタと慌て出した彼へ、少々だけ表情を和らげながらも、レオナはにべもなかった。
「えええー…………」
「……レオナ。そこを何とか」
──レオナさんに出て行かれちゃったらーーー! と、半ばべそ掻き顔にセツナがなったその時。
怒鳴り込んだ彼女が閉めるのを失念していた扉の向こうから、するっと、一人の『少年』が入室してきた。
以前、バナーという名の鄙びた村でセツナと知り合って以来、自他共に『セツナ馬鹿』と化し、何時でも何処でも、セツナに、べーーーーー……ったりとくっ付いている、隣国トランの建国の英雄、カナタ・マクドールが。
「あ、マクドールさん!」
「マクドール殿。何時も何時も、申し上げている筈です。せめて、ノックくらいは──」
「──はいはい。まあ、いいじゃないの。扉、開けっ放しだったんだし。未だ、貴方の、セツナ相手の無駄に長いだけのお説教、続いちゃってるのかどうか確かめに来たら、レオナの怒鳴り声が聞こえたんだよ。──という訳で、レオナ。話は判ったけど。そこを、曲げて何とか。セツナの為に」
「……そう言われてもねえ…………。今も言ったけど、こっちも商売なんだよ」
不躾にやって来た彼を、セツナは嬉しそうに、シュウは不快そうに、それぞれ迎え、カナタは、部屋主の苦情はさらりと流して、セツナの代わりにレオナを執り成し始めたが、トランの英雄と名高い彼に宥められても、彼女の態度は頑なだった。
「んー……。じゃあ、こうしよう。僕とセツナで、何とかする。馬鹿共に、ちゃんと今までの付けを完済させるから、それで、今回は引いてくれないかい?」
「…………ああ。払う物、きちんと払ってくれさえすれば、文句はないからね」
「そうだね。……それでいい? セツナ」
「はい! 絶対何とかするから、レオナさん、出て行かないでね! 何が何でも、ビクトールさん達に払わせるから!」
……だから。
店を畳んで城を出て行く、とのそれは、単なる脅し文句で、そう言えば、『馬鹿共』に付けを完済させるべくセツナは動いてくれる筈だし、一〇八星を引き止める為の奮闘なら、シュウにも強くは言えない筈だ、とレオナが腹の中で計算しているのを判っていて、カナタは、彼女の望む答えを出し、セツナは、カナタの提案にブンブンと首を縦に振った。
「判ったよ。じゃあ、宜しく頼むよ、二人共」
「ああ。……そうだ、レオナ。すまないけど、その帳簿、置いてって」
彼等から、現状望める最良の科白を引き出せたことに満足し、この二人が動いたら最後、どんな騒ぎが起こるかも判らないけれど、付けさえ払って貰えるなら、そんなことはどうでもいい、とレオナは笑みを浮かべ、カナタに言われた通り、一冊の帳簿だけを残してシュウの部屋を出て行った。
「さて、と。じゃ、行こうか、セツナ」
「はい! 行きましょう、マクドールさん! そういう訳だから、シュウさん、お説教は又今度ねー!」
ちろりと目を走らせるだけで溜息を零したくなる、開かれたままの帳簿を取り上げ、本当に呆れの息を零してから、カナタはセツナを促し、ムスっとはなったものの、文句は言わなかったシュウへ一応の断りを入れてより、セツナは駆け出して行った。