カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『とある日の出来事』
──お料理教室──
紙埃というものは、余り質の良いものではなく。
気分の問題でしかないのだけれども、何となく、大量の紙が堆く積み上がっている様を見てしまうと、水気を奪い取られて乾燥してしまいそうな心地になるから。
出来ることなら、今直ぐ窓を開け放って、紙埃を追い払う為にも、奪われてしまいそうな湿気を取り戻す為にも、換気に勤しみたい、とは思うが。
今ここで、迂闊に窓を開け、同盟軍本拠地の最上階辺りを時折吹き抜けて行く、強い風に見舞われたりなぞしたら、悲劇以外の何ものも齎されない、と。
トラン共和国建国の英雄殿、カナタ・マクドールは、この部屋の、今は唯一の避難所と例えても過言ではない、天蓋付きのベッドの上に腰掛けて、広げた本で目元までを覆い、こっそりと、『孤軍奮闘中』である、同盟軍の盟主殿、セツナの様子を窺った。
──市井の大概の者に、察しが付けられるだろうように。
北の強国、ハイランドと交戦中の同盟軍と言えど、日々、昼夜を問わず、戦争ばかりを繰り広げている訳ではないから。
何とかでしかなかろうとも、他国と刃を交えられるだけの同盟軍の盟主ともなれば、やらなければならないことは、山程あって。
が、この軍の盟主殿は、あちらこちらを元気に飛び回ることが、己が果たさなければならない責務の中での、第一優先事項だと信じており。
大人の人に出来ることは、大人の人がすればいいこと、大人の人がしなくちゃならないこと、と公言して憚らず。
僕は、僕に出来ることしかしないよ、とも言い張りながら、僕の大切な人達の中の一等、と明言して止まないカナタと二人、城を脱走するのが得意な質の、正軍師のシュウ辺りに言わせれば、『困る』と言うか、『曲者』と言うか、な盟主殿なので。
時に、同盟軍盟主が果たさなければならない責務の一つである、一般的には『事務仕事』と言われるそれが、恐ろしい勢いで滞ることがある。
……まあ、それでも。
文官達が、書類が溜まっているな、と感じるようになる頃、ふと気が付くと、何時の間にやらセツナの署名が必要な書類は、全て決済されているのが大抵だったから、必要以上の目くじらを立てる者は、シュウくらいのものなのだが。
ここの処、その手合いの事柄が忙しかったのかそれとも、セツナの『遊び』が過ぎたのか。
ぴーぎゃー騒いで、口先だけの駄々を捏ねて、こんなお仕事やりたくないのにー、と、喚いている処ではない程、セツナが処理しなければならない書類は溜まり。
そんな今日、同盟軍本拠地は最上階の、セツナの自室に入り浸っているカナタが、窓を開けることすら躊躇う程、セツナの部屋は、『修羅場』と化していた。
自室で彼が執務を行う時、使用している机の上は言うに及ばず。
間違っても狭いなどとは言えないその部屋の、床のあちらこちらに、文官達数名が、総出で積み上げて行った、例えば、『農作物に関する報告書類』だとか、『漁獲高に関する報告書類』だとか、『軍備に関する決済書類』だとか、『各地交易所に於ける収益計画書』だとか、そんなメモ書きが載せられた書類達が、見事なまでにきっちり分類されて、小さな山を、幾つも拵えており。
セツナ以外の者の身の置き場は、正しくベッドの上しかない、と断言出来る程の修羅場が、そこには。
…………そんな、『過酷』な様相を呈している部屋に、手伝いもしないカナタのような者が居座った所で、何の益もない処か、邪魔になるのが相場なのだが。
カナタは、己の意思でセツナの手伝いをしないのではなく、シュウや、副軍師のクラウスやアップル総掛かりで、「盟主殿に懲りて頂く為にも、今回だけは手伝わないで下さい」と、固く固く念を押されてしまったから、手伝わないのではなくて、手伝えないというのが真相で、別段、ここから出て行けと告げられた訳ではないから、と。
無駄口一つ叩いている余裕さえないらしいセツナの様子を、じっと、広げた本の影から窺っていた。
あの調子では、そろそろキれる頃だな……と、予測を立てつつ。
「………………あのですねえ、マクドールさん」
──すれば。
ああ、そろそろ……と考えた、カナタの予感の的中を告げるように。
それまで、止まることなく動かしていた、ペンを握る手を休め。
少々、前後の境を見失ったような、虚ろな割に迫力の籠った、『据わった』目をして。
くるり、と、からくり仕立ての人形のように首動かし、セツナがカナタを呼んだ。
「ん? なぁに?」
故に、カナタは。
……限界かな? と、何処か困ったように笑い、鋭い、と言うよりは眠たげに見える、セツナの視線を捉え。
「…………お腹空きました」
ボソソソソ……とセツナは、微動だにせず、言い出した。
「ああ、そう言えば未だ今日は、お昼も食べてなかったね。もう、お茶にしても良い時間なのに」
「……だからですね。僕はですね。食べたいんです」
「……何を?」
「色んな物がですね。ちょこっとずつ盛られててですね」
「……? …………うん」
「一回の御飯で、色々沢山味わえて、幸せになれるよーな御飯がですね、食べたいんですよ、今。……せめてですね。御飯にくらい、幸せを感じさせて欲しいんです。…………それでですね」
「それで?」
「一回の御飯で幸せになれるそれを食べる時には、デザートも味わいたくってですね。御飯で幸せ、デザートでも幸せ、を、僕は今、物凄く求めてるんです」
……セツナが言い出したことに、耳を傾けてみれば。
何処か、白熱した口調で、今現在抱える、強烈な願望を口にされたので。
「………………セツナ。それって、『お子様ランチ』……だっけ? が食べたい……ってこと? もしかして」
ほんの少しばかり口元を引き攣らせてカナタは、それでもにっこり、セツナに問うた。
「そーとも言います。お子様ランチが食べたい、とも言います。僕がそーゆーの食べたいって言うと、皆、そんな、小ちゃい子供が食べる物を、なんて言いますけど。お子様ランチはですね、色んな物がちょびっとずつ乗ってて、栄養のバランスも良くって、量も丁度で、見た目はあれですけど、良く出来たメニューなんですっ! とっても、幸せになれる御飯なんですっ! デザートだって付いてるんですっ! 今の僕に幸せを齎してくれるのは、あれしかないんですーーーーーーっ!」
と。
困惑を隠しながらのカナタの問いに、セツナは堰を切ったように、己の訴えを叫び始めた。
「……あの、ね…………──」
「──僕っ! 僕もう嫌ですっ! もー、こんなにお仕事なんかしたくないですっ! お子様ランチが食べたいんですっ! 僕は幸せになりたいんですーーーーーっ! お子様ランチ、作りに行っていいですかっ!」
だから、余りと言えば余りなセツナの主張に、カナタは某かを言い掛けたけれど、セツナはそれを遮って、己が主張を続け。
「……ハイ・ヨーに、頼んで来てあげようか? 流石に、この量の書類放り出して逃走したら、シュウ達の雷が落ちる程度じゃ済まないよ?」
カナタは、妥協案を提示したが。
「だって今日、あそこのメニューにお子様ランチないんですっ! だから、自力で作るんですっ! 食べたいんです、もー嫌なんですっ! 僕の幸せーーーーーーっ!」
「……………………。僕で良ければ、作って来てあげる……」
「……マクドールさんが……?」
「うん、お子様ランチなんて、作ったことないけどね。何とかはなるよ、多分。……それで我慢して? セツナ」
結局、我を見失ったようなセツナの泣き言に負けて。
自分がそれを言い出せば、この場は収まるだろうとも踏み。
カナタは、『避難所』だったベッドより抜け出し、書類の山を崩さぬように床を縫い。
ハイ・ヨーが任されている、本拠地東棟のレストランへと、一人向かって行った。