カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『とある日の出来事』
──病の隙間──
ハイランドと交戦中の、同盟軍正軍師、シュウの目の前に。
同盟軍盟主の少年、セツナと知り合って程無い頃は、それでも殊勝な態度を見せ、セツナに助成を請われても、事有るごとに、故郷の街グレッグミンスターへと戻っていたのに、何時の間にやら、抜き差しならぬ所用が生まれない限り、誰に何を言われても、同盟軍本拠地から去ろうともせず、どっっっ……かり腰を下ろして居座るのが常になった、トラン共和国建国の英雄、カナタ・マクドールが。
少なくともシュウには、どう考えてもセツナ当人が書いたとは思えぬ、が、何処からどう見ても、セツナの筆跡で認められているとしか言い様のない、『休暇届』──しかも、ご丁寧に、セツナの拇印まで押された休暇届を、ぱしっ! と音が立つ程勢いよく、シュウの執務机に『提出』して、にっ……こり、挑戦的に微笑んでみせたのは、その騒ぎが起こった、翌日だった。
────もうそろそろ、年の瀬の足音も聞こえて来ると相成った、真冬の寒さが身に沁みた、昨日の午前中は。
ここの処は、週に二度程度の割合で行われている、定例軍議が行われる予定だった。
それ故、朝、何時も通りの時間にカナタに起こして貰って、カナタと二人、レストランへ向かい、朝餉を摂って、と、習慣通りの朝を過ごしたセツナは、
「じゃ、シュウさんに叱られない内に、済ませてきまーす!」
と、本拠地最上階の自室の扉前で、一人その部屋に残るカナタへ、ぶんぶんと元気良く手を振って。
「今日は寒いから、外に出なくとも、暖かくしてなきゃ駄目だよ? セツナ昨日、寒気がするのしないのって、そう言ってたろう? 風邪の引き始めかも知れないから。大人しく、ね? 僕としては本当は、定例軍議になんて行かせたくないっていうのが、本音なんだから」
そんなセツナへカナタは、窓辺まで引き摺って行った椅子に腰掛けながら、セツナを見送ったのだが。
午前一杯は掛かる筈のその定例軍議が終わるには、幾ら何でも早過ぎる、という頃合い。
セツナはいないけど、良い時間だから、午前のお茶でも飲もうかなと、カナタが窓辺の椅子より立ち上がって、今まで座っていたその上に、開いたままの本を伏せた時。
「マクドール殿っ! 盟主殿がっ!」
……けたたましい足音と、声とを伴って。
血相を変えた、元・マチルダ青騎士団長のマイクロトフが、飛び込んで来た。
マイクロトフのその様子、吐かれた科白、それを受け、丁度立ち上がったカナタは、知らせを持って来た彼へは何も言わず、視線も合わせず、身を翻して部屋を飛び出し。
息せき切る程の速さで彼が駆け付けた、本拠地二階の議場では、物の見事に、と言いたくなる程の風情で、セツナが昏倒していた。
──時折書類に目を落としながら、報告と、今後の対策を滔々と語るシュウの声が子守唄に聴こえて、どうすっかなと視線を彷徨わせた処、上座の、盟主の席にちんまりと座っているセツナの姿が目に飛び込んで来て。
セツナの顔が、何処となく赤いような気がする、ぼんやりしてるようにも見えるし、風邪でも引いたのか? と、眠りを紛らわす目的半分、その様子が気になったの半分で、ずっとセツナのことを注視し、結果、その瞬間を偶然目撃することになった、ビクトールの話によると。
続いて行くシュウの言葉に、そんなことまで『軍議』の席で報告しなくとも良いのでは、と、列席した者が皆一瞬、うんざりとした雰囲気を漂わせた丁度その時、セツナも又、「えー、そのお話も?」というような顔付きになって、口許に手を当て欠伸を噛み殺す風な仕草をし、居眠りを決め込もうとしたのか、ふっ……と目を閉じ、そしてそのまま。
口許に当てた手も外さずに。
本当に、ずべっ! という擬音以外で表現の仕様がない程見事に、椅子から滑り、転げ落ち。
高い所からの着地に失敗した猫のように、床の上でセツナは潰れたらしい。
彼が椅子から昏倒した瞬間は、やはり誰もが皆、「居眠りの果て? だとしたら、又、シュウ軍師が……」と思ったそうなのだが。
人々が、軽く苦笑を洩らしても、シュウが、ピクっとこめかみに青筋を浮かせ掛けても、セツナは、立ち上がらない処か、ぴくりともせず。
そこで漸く、セツナは居眠りをして椅子から転げ落ちたのではなく、倒れたのだ、との事実に皆は気付いて、揃って血相を変え、ある者は、兵舎の一角にある医務室へ、医師・ホウアンを呼びに走り、カミューに、『後が大変だから』、マクドール殿も呼んで来た方が良いと囁かれたマイクロトフは、セツナの自室へ走り。
議場の入口で鉢合わせたカナタとホウアンは、示し合わせたように、倒れたままのセツナの傍らへと寄って、代わる代わる、その顔色と様子を確かめ、額に手を乗せ。
「………………熱出てる……」
「多分、風邪でしょうねえ……」
目を見合わせ、あーあ、との顔付きになり。
うんともすんとも言わないセツナをカナタは抱えて、誰にも何も言わず、さっさと踵を返し。
ホウアンも又、カナタの態度は当然だとでも思ったのか、その後に付き従って。
この出来事の所為で、なし崩しのまま終わるしかないだろう軍議の席に、居残ってみても、と人々は、軽く溜息を零したシュウを残して、三々五々、議場より消えた。
──………………というのが、昨日起こった、騒ぎで。
騒ぎの後セツナを診た、ホウアンの診察結果は、風邪と、『何時もの疲労』で。
……翌日。
即ち、今日。
年明け早々にも、ハイランドに降伏したマチルダ騎士団の居城、ロックアックスを攻めたい意向のシュウへ、高熱を出してベッドの上でひっくり返っているセツナには、書きようがない筈の『休暇届』を、誠、嫌味ったらしく、カナタは。
盟主殿の筆跡を真似て、書きましたね……? とシュウに言われるだろうこと承知の上で、提出した。
故に、シュウは。
「何もわざわざ、盟主殿の筆跡を、完璧なまでに真似てまで……」
上目遣いでカナタを見遣りながら、溜息を吐きつつも。
今まで提出したこともない、『休暇届』などと銘打たれた書類を、マクドール殿がわざわざ、しかも嫌味ったらしく提出して来た、ということは、当分の間、盟主殿は居ないものと思え、と、態度で示されているということだろうなと、理解はしたので。
何故、己が軍の盟主の面倒を、隣国の英雄に仕切られなくてはならないのだろう、盟主殿は、我々の盟主殿なのに、と思わざるを得ないが為、渋々ながら、ではあったけれど。
「盟主殿が、何時も通りの調子に戻られるまで、宜しくお願い致します」
シュウはそう言って、頭を下げた。