風邪と、『何時もの疲労』で寝込んだセツナの部屋に、カナタと、ホウアンと、セツナの義姉のナナミ以外の者の、出入りが途絶えて。
過ぎること四日。
大分、セツナの調子も良くなって、起き上がれるようにはなった、とホウアンより聞き及んだので。
見舞いを兼ねて、カナタとセツナの顔でも拝んでやるかと、その日、午後、ビクトールとフリックの二人は、セツナの部屋を訪れた。
一応、入室を乞う為、扉を叩きはして、が、応えが返るのは待たず、「入るぞ−」の一言と共に、二人が足を踏み入れてみたら。
空気の入れ替えでもしていたのか、窓際に立っていたカナタが、それまでは開かれていたらしい窓を、閉め終えた処で。
「……ああ、二人共。どうかした?」
くるりと振り返ったカナタは、セツナ未だ、具合悪いんだけど、と素っ気ない風に言いながらも、迎えてくれるような素振りは見せた。
「お前はどうしてそんなに、セツナにだけは過保護なのかねえ……」
彼のその態度に、毎度のことながら……と、ビクトールは呆れつつ。
「調子はどうだ? セツナ」
今更、カナタのそれに、何かを言うのは諦めた、とフリックは、彼を視界から追い出すようにして、壁際の、大きなベッドへ向き直った。
「………………………んぁ……」
「…………んあ? んあ? って何が?」
ビクトールの呆れに、カナタが微笑みだけを返している傍らで、横になっているセツナの顔を覗き込むようにフリックがすれば、にこっと、何時ものそれに近い笑いを湛え、が、意味の通らぬ言葉……と言うよりは、声をセツナが洩らしたので。
はあ? とフリックは首を傾げた。
「セツナ、熱は大分下がったんだけど。声出ないんだよ」
すれば、ビクトールとの、呆れ対微笑みの戦いに区切りを付けたらしいカナタが、ベッドの片隅に腰掛け、「んぁ」の理由を語り。
そのまま彼は、視線を送って来たセツナを支え起こし、膝の上に抱き抱えるようにして、自身の胸に凭れ掛けさせ、その肩に、毛布を羽織らせた。
「……ああ、声が。──って、起き上がらせて平気なのか……?」
そうするのが、まるで当然のことのように、流れるような動作でそこまでをするカナタを、少々、別世界の人間を見る風な目付きで見遣って、フリックは恐る恐る、問い掛ける。
「こうしてる方が、楽だって言うから」
「………楽、って……。声出ないのに、何で判るんだ? 一々、筆談でもしてるのか?」
「まさか。そんな面倒臭いことしないよ。セツナの声が出なくても、読唇すれば事足りるし。セツナの言いたいことくらい、目を見れば大体判る」
「…………はあ……。そうか……」
その問いに、カナタはケロッと答え、赤ん坊を寝かし付ける母親の如き仕草で、毛布越し、セツナの背中を緩く叩き出して。
カナタには辿々しい返事をし、フリックは、そういうもんか? とビクトールを振り返った。
だが、眼差しを送ってみてもビクトールは、只肩を竦めるのみで。
その間にも、カナタは。
「未だ、眠くならない? もう少し、眠った方がいいのに。……何処か、痛い? ……そう? じゃあ、もう少しこうしてる? ……え? ……ああ、それは駄目だよ。飲むんなら、冷たい物じゃなくって、お茶とか、お白湯とか──。──んー……。じゃあ、少しだけ。ちゃんと治るまで、我慢、我慢。……あ、そうだ。薬飲まないと。……え? 嫌がらないの。子供じゃあるまいし」
ともすれば、独り言のようにも聞こえる言葉を、ずっとセツナに掛け続けており。
「………………お前はどうして、その優しさとマメさを、俺達には向けないんだ…………?」
聞くともなくそれを聞いていたフリックは、言わずもいい余計な一言を呟いた。
「……失礼な」
──事実と言えば事実だが。
言ってみた処で、本当に詮無く、意味がないばかりか、下手をすれば常の倍はからかいの標的にされてもおかしくない一言を、思わず洩らしたフリックへ。
チロっと、カナタは冷たい視線を向ける。
「いや、その。……他意はないし、悪気もないっ」
「……あは……。フ…………ん……。──ゲホゲホゲホ……っ」
ポロッと、無意識の内に吐き出したそれが、至極余計な一言だったと、カナタに睨め付けられて漸く気付き、慌てて弁解を始めたフリックを眺め、クスクスと、セツナが笑い出した。
が、笑うことを堪えられなかった所為で彼は、咳を始めてしまい。
「ああ、大丈夫? セツナ。──療養の邪魔しに来たんなら、追い出すよ?」
少しばかり慌てたように、セツナの背中を撫でながら、それまで以上にカナタは、フリックを睨め付ける瞳に力を込めた。
「すまん、そういうつもりがあった訳じゃないんだが……」
だから、かなり『本気』で見据えて来たカナタに、フリックは素直に頭を下げ。
相方とカナタのやり取りを端で見ていたビクトールは、やれやれと肩を竦めた後、何事もなかったかのように、その間に割って入って、それより暫しの間、一応は和やかに。
ビクトールとフリックは、その部屋を訪れた本来の目的である、セツナの見舞いに専念した。
寝込んでいるセツナに、この数日の間、セツナとカナタの目の届かなかった場所で起こった細やかな出来事を、面白可笑しく語ってやっていたら、漸く、カナタの膝に抱かれたままだったセツナが、うとうとし始めたので。
起こさぬように、そっと彼の部屋を辞して、向かった先、レオナの酒場にて。
「…………なあ、ビクトール」
注文したばかりのエールのジョッキを手に持ちながら、少々遠い目をしつつ、フリックは相方を呼んだ。
「んー?」
何時もの席の、何時もの椅子に座り、フリックと同じ、エールのジョッキを片手に。
間の抜けた返事を、ビクトールはした。
「毎度毎度の話だ、とは思うんだが。どうして、カナタはああなんだろうなあ……」
そんなビクトールの態度に倣った訳ではないけれど、間の抜けた返答に相応しい感のある、何処となくだらしない姿勢を、フリックは取り。
バナー村で、カナタと再会してよりこっち、ビクトールとフリックの間では、定期的に繰り返されている問答を、彼は又もや持ち出した。
「何だ、又その話か? 何時も言ってるじゃねえか、あいつのアレを、兎や角言ってみたり思ってみたりしたって、多分何にもなりゃしない、って。放っとけ、あいつの、セツナに対するアレは、あそこまで行けば立派な病気だ」
「…………いや、そうじゃなくて」
カナタと再会したばかりの頃、お互い、耳にタコが出来るくらい語り合った、『あいつは一体どうしてしまったんだろう』、の疑問に繋がる話を蒸し返したフリックに。
今、その話は遠慮する、とビクトールは嫌そうに、片手を振ったが。
フリックは、今日の話は、何時もの話とは少し違う、と言い出し。
「……あん?」
「その……。ふと、思ったんだけどな」
持ち上げたきり、口を付けずにいたエールのジョッキを、円卓の上へと戻して、フリックは、必要以上に相方の顔を覗き込んだ。