カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『とある日の出来事』
──恨み、晴らします──
夕刻を過ぎれば、秋の訪れを告げる涼やかな虫の声が、時に、うるさい、と言いたくなるくらい、デュナン湖畔の古城を包むようになった時期のとある日。
ハイランド皇国と交戦中の同盟軍本拠地である古城の、東棟の更に東に広がる軍所有の農園で、畑の隅を掘り返したり──勿論、管理を託している農夫のトニーの許可を貰ってしたことだ──、本拠地の裏手から少しばかり行った所にある小高い丘の近くで、延々薮の中を探ったり、とした為、一日中遊び倒した幼子の如く全身泥だらけになってしまった、我等が同盟軍の『小さな』盟主であるセツナと、セツナに付き合って『その作業』に勤しんだ為、やはり泥だらけになってしまった、『セツナ馬鹿』と化して久しいトラン共和国建国の英雄殿、カナタ・マクドールの二人が、己が生業に並々ならぬ情熱を注いでいる風呂職人のテツが管理する公衆浴場で綺麗さっぱり身の汚れを洗い流し、清潔な衣服に着替え、汚れた服を洗濯場に持ち込んでから、二刻程が経った頃。
やはり、何処からともなく虫の声が聞こえ始めた宵の口。
「ぎゃああああああああああああああああ!!!!!」
本拠地西棟に位置する兵舎の一室から、古城を満たし始めた、終わり掛けの一日が齎す安堵も、季節感溢れる情緒も、夕飯だの酒だのと浮かれ始めた人々の喧噪すら吹き飛ばす、甲高い悲鳴が上がった。
「なななな……、何だっ!? 何が遭ったっ!?」
女性特有の絹を裂くような悲鳴とは又違う、何処からどう聞いても男のものである絶叫に、兵舎一階の談話室──室、と言っても、部屋ではないし、仕切りも何もない場所だが──辺りで世間話をしていた兵士達や、西棟の隅に設えられている訓練所で鍛錬に励んでいた者達や、個室を持つ者達──即ち、セツナ率いる同盟軍を、日々、影に日向に支える軍幹部であり一〇八星達──は、心の何処かで、
「……何で、あんな、絶叫としか言い様のない男の悲鳴が……」
と一斉に訝しんだが、それでも、「すわ、一大事かっ!?」と、耳にした悲鳴が掻き消えるより早くダッと身を翻し、声の発生源と思しき部屋の扉前に大挙して押し掛けて、ドッコン! と盛大な音立てつつ、そこを押し破った。
駆け付けた者の大半が、兵士には相応しい、むくつけき大男だったが為、その部屋の扉はあっさりとぶち破られ、者共の山は室内に傾れ込む。
────そこは、つい先日同盟軍の一員となった、現ミューズ市長代行ジェスの部屋だった。
室内にいたのもジェスだった。
部屋の主なのだから、当然と言えば当然だが。
だが何故か、男達の目に映ったジェスは、悲鳴を上げるまで彼以外誰もいなかった筈の自室の直中で、数枚の書類らしき紙切れが散り落ちている床に腰を抜かしてへたり込んでおり、その顔面は蒼白で、しかも、ちょっぴり涙目だった。
「どうした、ジェス! 侵入者か!? 間者か何かか!?」
「襲われでもしたのか、ジェス!?」
「ジェス殿、大事ありませんか!?」
「侵入者!? お前達、早急に手配を!! 決して、不届き者を逃すな!」
薄くはないが厚くもない木製の扉を蹴破って真っ先に室内に飛び込んだのは、ジェスと同じ階にある、腐れ縁で結ばれた相棒フリックの自室で、「レオナのトコに飲み行こうぜー」と、その相棒を口説いていた傭兵ビクトールと、飲兵衛の相方に口説かれていた、やはり傭兵のフリック、それに、そこから程ない所に自室を持つ元マチルダの赤騎士団長カミューに、カミューの親友で元マチルダの青騎士団長マイクロトフの四名で、手に鞘より抜き去ったそれぞれの得物を構えながら、ビクトールとフリックは、彼の悲鳴の理由は、敵国の手の者が侵入を果たしたからではないのか、と声を荒げ、カミューはジェスの安否を気にし、ビクトールとフリックの叫びに耳を貸しつつジェスの姿に目を走らせたマイクロトフは、同じく部屋に傾れ込んで来た自身の配下の元青騎士団員に、非常線を張るように命令を飛ばしたが。
「はい!!」
「………………いや、一寸待て」
後から後から、何だ何だ? とジェスの部屋に集まって来た一〇八星や一般兵士の波をかい潜って登場した、隣室が自室の、元ミューズ市軍指揮官で現同盟軍大将軍の一人のハウザーが、仲間達や、マイクロトフの命を受けて部屋を飛び出て行こうとした青騎士達を留めた。
「ハウザー、どうして止める! 急がねえと──」
「──お前達。よく見てみろ」
遅れて姿見せた彼へ、「今、待ったを掛けてどうする!」とビクトールが食って掛かるも、ハウザーは至極冷静に、ジェスの部屋の片隅に設えられている小さな執務机を指差し、
「……ん?」
「え……?」
「うっわ、気持ち悪りぃっ!」
えー……と? とハウザーの指が示す場所を、つー……と目で追った者共は、漸く、そこにて『蠢いているモノ』の存在に気付いて、一斉に顔を顰める。
「うへぇ……」
「何だこりゃ?」
………………ハウザーが指し示した、小さな机の上で蠢いていたモノ、それは、大量の昆虫や、何処までも大量なミミズの山だった。
誰が何処から掻き集めてきたのか、今にも飛び立とうとしている色とりどりの虫達や、うにょうにょとのたくるミミズの大群に占拠されている机を眺めて、ビクトールもフリックも、嫌そー……な顔をしながら、ツンツンと、それらを剣の先で突く。
────と。
虫達も虫達なりに驚いていたのか、それとも、警戒態勢にでも入っていたのか、それまでは木の天板の上を這っていただけの彼等が、一斉に──言うまでもなく、羽を持つ者達限定──、ぶおん! と盛大な羽音を立てて舞い上がり、室内を勢いよく飛び回り始め。
「うぉぉ! 窓! 窓開けろ、窓!」
「逃がせ、とっとと!」
虫達にしてみれば、恐らく出口を求めての飛行──が、人間達にしてみれば、襲って来た! としか思えなかったそれに、大して広くもないジェスの自室は、上を下への大騒ぎになった。