カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『最後の料理』

ハイランド皇国とデュナン地方の覇権を争い続けている、同盟軍の盟主セツナの義姉ナナミは、実の処、長らく機嫌が悪かった。

良くも悪くも真っ直ぐな性格をしている彼女は、喜怒哀楽も激しいが、覚えた負の感情を瞬く間に流せる質でもあるので、彼女と殊の外仲の良い軍内の少女達すら気付けないくらい、静かに長く、ナナミが機嫌を損ねているなどと、殆どの者が知らない。

けれども、彼女はもう、数ヶ月単位で臍を曲げていた。

────彼女の機嫌がそんな風になった理由の一つは、自身の料理の腕前にある。

趣味は? と問われれば、即答で、「お料理!」と答える程にナナミは料理が好きで、見た目は文句の付けようのない素晴らしい物を拵えるのだが、如何せん、肝心の味が、見た目を裏切って余りある。

否、裏切る、という程度では済まない。

幼い頃から、『ナナミ料理』との攻防を繰り広げている義弟セツナに曰く、彼女の料理を一口でも食べたら最後、強烈な、人間が作ったとは思えない摩訶不思議な味にヤラれ、昏倒し、三途の川の向こう側の花畑を垣間見るまで、命の危機に晒される。

尚、彼女の『戦績』は今の処、全戦全勝だ。

見事なまでに無敗を誇り、知らず食した者達を、最低でも数日は寝込ませている。

例え、その相手が、どんな大男であろうとも、だ。

なのに、彼女は料理が趣味で、己の料理を他人に振る舞うのも趣味で、自身のそれが、料理でなく凶器だ、との自覚もない。

多少──無論、ナナミ自身の評価の上では、だが──、失敗が多いのは認めつつも、「私の料理は美味しい筈」と、彼女は信じている。

時に、同盟軍本拠地内のレストランを任されている料理人、ハイ・ヨーの助手まで務め、仲間達より、料理人にも菓子職人にもなれる、と太鼓判を押される腕前をしているセツナの作る物と、本当に幼い頃から一緒に育ってきた己の作る物が、遠く隔たっている訳がない、とも思っている。

だが、ナナミ料理は凶器である、それが無情な現実だ。

──なので。

子供の頃から、凶器な料理と戦い続けてきた、そういう意味で歴戦の勇者であるセツナは、同盟軍の長となって以来、滅多なことでは、ナナミに料理をさせなくなった。

強烈でパワフルな義姉には中々勝てず、頭も上がらないセツナだが、大切な仲間達を凶器な料理より守るべく、日々、苦心惨憺しているのだ。

義姉を、お尋ね者にする訳にもいかぬし。

とは言え、どうしたってナナミには勝てないセツナなので、凶器な料理の凄まじさを、不幸にも身を以て知ってしまった仲間達より懇願されても、ナナミ相手に『お料理全面禁止令』までも出す勇気はなく、様々に理由を付けての阻止、というのが、定番且つ唯一の対策方法で。

故に、駄目とは言われていないと、ナナミは、隙あらばレストランの厨房に忍び込み、又は潜り込み、何とか料理を……、と足掻くのだが、その度、何処からか『警報』を察知し駆け付けるセツナに、厨房より引き摺り出されてしまうので、

「私だって、お料理したいのに! どうして駄目なの!」

……と、臍を曲げ続けていた。

────私の趣味はお料理だって、セツナも知ってるのに、何時も何時も、あれこれ理由を付けて、やらせてくれない。

お城の皆のご飯作りはハイ・ヨーさんのお仕事なんだから、お仕事を取っちゃ駄目だよ、なんて、もっともらしいことを言うけど、自分は、軍の皆の為に、あれこれ作ってる。

……私だって、セツナの為に、ご飯を作りたい。

シュウさん達が、軍のリーダーになって欲しいってセツナに頼んだ時、私は賛成なんかしなかったし、今だって本当は嫌で嫌で堪らないのに、何で、盟主になっちゃったってだけで、私は、大切な弟の為のご飯も作れないんだろう。

そんなのって、おかしいし嫌だ。

どうせ、こんなこと言ったら、難しいことしか言わなくて、戦争の話ばっかりしてるシュウさん達に叱られるんだろうけど、セツナは同盟軍のリーダーなんかじゃない、私の弟だ。

──…………といった具合に、単純に、趣味の料理をさせて貰えない、というだけでなく、そんな風に感じ続けていたナナミは、本当は、セツナが同盟軍盟主となった直後から、ずっと一人悶々としていた。

けれども、数ヶ月前──季節が初夏だった頃は、彼女の中のそんな想いは、未だ小さかった。

セツナは軍の長になったばかりで、あの頃は廃城に毛が生えただけだった本拠地に集った仲間達も少なく、「嫌だけど、私の反対を押し切ってまで引き受けてしまったのだから仕方ない」と、ナナミは、盟主であるにも拘らず、人手不足を補うべく自らあちこち飛び回るセツナの為、己に出来る限りのことをしようとしていられたし、常に彼の傍らに添っていられもしたから。

あれやこれや、口うるさく言って、それまで以上に世話を焼くことも出来ていた。

だが、何時の間にか、セツナは盟主としての顔ばかりを見せるようになって、彼女の弟としての彼はすっかり鳴りを潜め、軍は日に日に成長し、本拠地も大きくなって、仲間達は増え、一般兵も難民達も数え切れなくなり、彼に小言を言う者も、世話を焼く者も、一人や二人ではなくなった。

使える数が足りなかった所為でセツナと共同だった──けれどナナミには有り難かった──部屋も直ぐに分けられてしまい、遠征や探索に連れて行って、とねだっても、危ないから駄目、とセツナ自身に退けられる機会は増え続けて、彼女が、弟と共に過ごせる時間はみるみる少なくなった。

それまで、今ではハイランド皇王にまでなってしまったジョウイ以外に同年代の友人がいなかった為、同盟軍に加わった、己と同じ年頃の少女達とお喋りをしたり遊んだりするのに、夢中になっていた時期は確かにナナミにもあったし、今でも、仲良しな少女達とは、日毎夜毎、お茶会を開いたりしているけれども、彼女が最も構いたいのは友人達でなくセツナで、しかし、彼は何時でも、沢山の仲間達に、沢山の人に、囲まれるようになっていた。

………………でも。そう、それでも。

望まずとも否応なく変わっていく日々に、やり場のない寂しさを感じても。

彼女の大切な弟であるセツナの傍らは、何時だってナナミの為に空けられていた。

セツナの傍らに座せるのは、彼女と、敵味方となっても彼の親友であるジョウイだけの筈だった。

……少なくとも、ナナミにとっては。

だというのに、セツナが盟主となって、ふた月が経つか経たないかの頃。

季節が盛夏だった頃。

国境近くの鄙びた小さな村で、セツナは、隣国の英雄と巡り逢った。

ナナミでもその名は知っていた、トランの英雄、カナタ・マクドールに。

…………二人が出逢ったばかりの頃、ナナミは、カナタのことも、彼と弟の出逢いも、手放しで歓迎していた。

故郷のキャロの街にも時折は来た、吟遊詩人達の唄に聴いたトランの英雄に、かつてナナミも憧れたし、知り合ったその日の内からセツナを可愛がってくれ、自身にも優しく紳士に接してくれる彼と、同盟軍や『盟主』でなく、『セツナ』に助成してくれる、との彼の弁を、彼女が歓迎しない筈がなかった。

己のように、弟を盟主とは見做さない人が出来る、と。

……そんなカナタは、あれよという間にセツナの心に入り込んで、常に、共に在るようになった。

そうして、気付けば彼は、ナナミとジョウイだけの場所の筈だった、セツナの傍ら、という座をも占めてしまった。

──家族のナナミでなく。親友のジョウイでなく。

セツナは、カナタを指して、大切で大好きな人達の中の一等、と公言するようになった。