カナタが、セツナを『溺愛』し手放さぬこと、セツナが、カナタを慕い共に在りたがること、それを、ナナミとて許せないのではない。

兄の如くな人がセツナに出来たのは喜ばしいし、何より、カナタと一緒のセツナは幸せそうだから、良かった……、と彼女は思っている。

カナタは、セツナを『セツナ』としてだけ見てくれるから、不満は覚えない。

が、どうしても、寂しい、という気持ちをナナミは拭えなかった。

セツナが小さかった頃から、ずっと己がしてきた彼の世話の全てが、当たり前のようにカナタの役割になって、原因は彼女には解らぬけれど、気を失い倒れることが増えたセツナの、看病もが彼の役になってしまった現在いまを鑑みる度、カナタにセツナを盗られてしまった、との、嫉妬に似た想いが彼女の中には湧き上がった。

──セツナは、私の弟なのに。

私と、ジョウイと、セツナの三人で、何時の日かきっと、キャロの街に帰ろうと、戦争ばかりの毎日を我慢しているのに。

キャロの街に、私達三人の中に、マクドールさんの姿を置くなんて有り得ないのに。

…………と思うのを、彼女には止められなかった。

────でも、カナタは。

そして、セツナも。

ナナミの機嫌を悪くさせ、且つ、「私は嫌な子だな……」と彼女を落ち込ませる最大の原因であるカナタと、セツナが出逢った盛夏の頃より五ヶ月程が過ぎ、年も変わったその月半ばの、酷く冷え込んだ日。

終わったばかりの正月のあれこれに疲れたのか、それとも『仕事疲れ』でもしたのか、セツナが軽く体調を崩した。

医師ホウアンの見立ては、「薬さえ飲めばどうということもない程度の風邪と疲労」だったが、平気だと言い張ったセツナを制し、大事を取った方がいい、とカナタは譲らず、約半月後、ロックアックス地方が最も雪深くなる時期の終わりと同時に、彼の街への進軍を開始する腹積もりでいる正軍師のシュウも、大人しくして回復に努めて欲しいと言い出した為、セツナは部屋に篭った。

やはり、彼に付き添ったのはカナタで、仲間達同様、ナナミも、今のセツナを一番判っているのはカナタだから、とは思ったが……、何処か寂しく、何処か哀しく。

けれど、「そう言えば、マクドールさんは、家事の才能だけは平均より一寸低いかな、ってセツナが言ってたっけ」と、彼女は、「なら、マクドールさんには出来ないだろう、セツナのご飯作りを私がしちゃおう!」と前向きに思い直し、人々の目を上手く盗み、レストランの厨房に潜り込んだ。

ハイ・ヨー達が食事を摂る、レストランが一番空く頃合いは、稀に厨房が無人となることがあるので、その隙を見計らい無事の潜入を果たした彼女は、キョロっと辺りを見回しながら、何を作ろうかと悩み始める。

風邪です、とホウアン先生が言ってたから、重たい物は駄目。

でも、疲労だとも言ってたから、栄養がある物の方がいい筈。

セツナ、よく食べるから、量は沢山でもいいよね。

──と、唸りつつ考えた彼女は、

「なら、スープとか、お粥とかかなあ……。……あれ? でも、確かマクドールさんが、朝、ハイ・ヨーさんにお粥頼んでたような気がするから……、うん、具沢山の栄養満点スープにしよう!」

ん! と料理を決め、早速調理を開始した。

その日の朝、農園で採れたばかりの冬野菜が沢山入れられている籠の中から、何種類もの野菜を取り出し、剥いて、刻んで、大きな──正しくは巨大な──鍋に放り込み、レストランに向かう前、医務室で、ホウアンの助手のトウタ少年に分けて貰った沢山の薬草を全て加え、水も入れたそこに、体が暖まるようにと、レッドペッパーも一掴みばかり足し、再び、火に掛けた鍋を前に、「んー……」と悩んでから、彼女は、いよいよ味付けに取り掛かる。

手始めに、鍋に突っ込まれたのは数種類もの出汁で、続き、辛過ぎてもいけないと沢山の砂糖を流し入れ、「あ、でも風邪の時って、物の味が判らないよね」と、塩、料理酒、醤油を、やはりふんだんに注ぎ、薬草の苦味や臭みを消そうと、大蒜や生姜は勿論、思い付いた限りの調味料を手当たり次第に足し、これできっと、深みのある味わいになる筈、と一人頷いてから、とろみがあれば満腹になると、仕上げに、こんもりと片栗粉を振り掛けた。

………………決して、ナナミに悪意はない。

本当に、純粋に、唯々、セツナに元気になって貰いたい一心で、彼女は勤しんだ。

根菜に火が通ったのだけを確かめると同時に、調理完了! と彼女『は』確信したその時、鍋の中で煮え滾っていたのは、疾っくに食材の残骸と成り果てた得体の知れないブツだったが、良かれ、としたのに間違いはなかった。

何かの魔術を使ったかの如く、見た目だけは、濃厚で具沢山な薬膳スープそのもので、香りも悪くはなかった。

但、味のみが、一撃で人を殺せる凶器と化しているだけで、味見ということをしない──しても判らない──ナナミとって、それは、完璧に作り上げられた、久々の力作だった。

「熱々の内に持ってってあげなきゃ」

その、溢れんばかりの愛情が却って痛い、力作過ぎる凶器な料理を、一杯お替り出来るよう三人前程度の土鍋に盛って、お茶も用意し、マクドールさんにお裾分けしてあげてもいいかな、なんて機嫌良く考えつつ、何者にも発見されずに厨房を抜け出した彼女は、廊下を駆け、『えれべーたー』に飛び乗って、セツナの部屋を目指した。

「セツナー?」

その部屋の入り口にて立ち番を務めている、鯱張って敬礼してくる兵士二名に笑顔を振り撒き、軽やかなノックをして彼女は、返事も待たず扉を開け放つ。

「……ナナミちゃん」

入室しても直ぐには室内を見渡せぬよう下げられている、長いカーテンの影からひょいっと顔を覗かせた彼女へ、セツナのベッドの枕辺に寄せた椅子に深く腰掛け、書物に目を落としていたカナタは、ふいっと顔を持ち上げ、唇に、立てた右の人差し指を当てて制した。

「あ、セツナ、寝てます……?」

「うん。午前中は、眠くない、なんて愚図ってたけど、お昼過ぎくらいから、ずっと寝てる。余り自覚がなかっただけで、やっぱり具合悪かったんじゃないかな」

「そうですか……。……そうですよね、セツナだって、疲れてる筈だから……」

静かにね、とカナタにされて、慌てて足音を潜めたナナミは、そうっとセツナの枕元に近付き、小声で言いながら、弟の寝顔を覗き込んだ。

熱があるようには見えなかったけれど、何処となくだが青褪めた、苦しそうな寝顔を見下ろし、セツナ……、と面を暗くした彼女は、今度はそろりとカナタを盗み見る。

看病の為にだろう、膝上で開かれたままの本に添えられた彼の手は素手で、魂喰らいの紋章が、はっきり見て取れた。

────真の紋章は、良くも悪くも悪目立ちをするから、という理由で、カナタもセツナも普段は手袋をしているけれど、やはり二人共に、誰に紋章を見られようと滅多には気にしない。

手袋など、邪魔と思えば何時でも気軽に外してしまう。

紋章など、所詮は紋章、と言いながら。

だから、ナナミも、これまでに幾度も彼のそれを目にしてきており、見遣ったとて今更驚きもしない魂喰らいの紋章を、何故か、その時彼女は恐ろしく感じ、慌てて目を逸らした。

恐ろしい……、と怯えると共に、ともすれば、宿主の大切な相手や愛しい相手の魂を盗み喰らう紋章を宿しているくせに、私の弟に近付いたりしないで、とカナタに八つ当たりをしてしまいそうな己がいるのを、突然、思い知らされた。

「んー……。だったら、セツナ、当分は起きないかなあ……。折角、ご飯作ってきたのに」

何故、カナタには口が裂けても言ってはならぬ科白を、敢えてぶつけてしまいそうな自分がいるのか、その理由は見出せぬまま、ぎこちなく目線をずらしたナナミは、気分をも逸らそうと口を開く。

「そうだねえ……。この分だと、セツナが起きるのは夕方過ぎかも知れない」

「ですよね。んもう……。でも、いいや。これ、置いてきますね。セツナが起きたら食べるように言って下さい」

「判った。暖炉で温め直せば大丈夫だろうから、セツナが起きたらね」

何時もの自分を何とか取り繕い、ナナミは、ずいっと土鍋と茶を乗せた盆をカナタに押し付け、押し付けられた彼が、僅かの間、酷く複雑そうに土鍋と己を見比べたのに気付かず、振り返り掛けた。

「…………ん……。マクドールさん……?」

「どうしたの? セツナ」

だが、彼女が振り返り切るより早く、寝入っていたセツナが薄らと瞼を開き、眼差しでのみカナタを探して、押し付けられた盆も膝上の本も、素早く傍らの卓へ置いたカナタは、セツナへと身を乗り出すと、左手で彼の髪を掻き上げつつ、毛布の中から伸ばされた右手に、己が右手を重ね。

…………ナナミは、そんな光景を見ていたくなくて、ギュッと目を瞑ったまま、何も言わずに部屋を後にした。