カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『千夜一夜』
それは、彼の癖なのだろうか。
右手に掴んだ棍で、トントン、と肩を叩きながら立ち。
肩越しに振り返りながら、空いた左手をふわりと持ち上げ、唯一人の人に、唯一人の人のみに向ける微笑みを湛え。
「じゃあね、セツナ。又」
何処か、名残惜しそうな声で暫しの別れを告げると。
少女の唱えた瞬きの魔法の光の中に、彼、カナタ・マクドールは、すっ…………と消えた。
「…………あーあ……。帰っちゃった……」
少人数で編成した遠征の終わり。
軽い挨拶だけを残して、故郷である黄金の都へと戻ってしまった人の、消えた方角に。
至極残念そうに、同盟軍盟主であるセツナは、溜息を送った。
「お? 何だ、珍しい。カナタの奴、帰っちまったのか?」
同盟軍本拠地の、一階広場の片隅で、トラン建国の英雄であるカナタを見送って、軽く肩を落としたセツナを見付けて、通り縋ったビクトールとフリックが、声を掛けた。
「うん……。たまには、帰る、って。三年も、クレオさんに寂しい思いさせたから、たまには、顔見せに帰る、って」
『帰宅』するカナタを見送っていたこと、高が暫しの別れに、寂しさを隠し切れなかったこと、それを見抜いて近付いて来た傭兵達に、仕方ないよね……と、セツナは、カナタの帰宅の理由を語った。
「又、迎えに行けばいいじゃねえか。あいつ、お前なら、何時でも歓迎してくれる筈さ」
最近は、随分と長いスパンで、同盟軍の本拠地に『居座る』ようになったカナタの帰宅を嘆くセツナを、励ますように、フリックが笑った。
「お前、ほんっとーに、カナタのことになると、簡単に拗ねるなー……」
今にもプッと頬を膨らませそうなセツナに、フリックとは対称的に、ビクトールは呆れ。
「だって。マクドールさんのこと、好きだもん……」
「気持ちは判るがな。あいつにも、あいつの時間ってのがある。──どうだ? セツナ。カナタが帰っちまってつまらないってんなら、俺達に付き合うか? どうせ今日はもう、何もないだろ?」
庭に向かって開かれた一階広場の入り口より、夕方の日射しが差し込んで来るのを眺め、彼は、幼い盟主を、息抜きへと誘った。
「えー。でも、ビクトールさんとフリックさんがこの時間から行くトコって、レオナさんの処でしょー? 僕、お酒飲んだら叱られるもん」
しかしセツナは、そんな処に入り浸っていたら、鬼のような正軍師に叱られる、と渋ったが。
「いいじゃねえか、たまには。お前はジュースでも飲んでりゃいいんだからよ。おら、行くぞ」
「……ビクトール、そんな強引な……」
「気にすんなって。息抜き、息抜き」
ビクトールはセツナの腕を強引に引き、相方の態度に、フリックは眉を顰め、が、三人が、レオナの酒場へと向かう足は止まらず。
トラン建国の英雄が、『溺愛』している少年を残して、故郷へと戻ってしまったその日の夕刻。
セツナは、ビクトールとフリックの二人と、『暫し』の時間を、レオナの酒場の片隅で、過ごすことになった。
ビクトールとフリックは、カナカン産のワインが並々と注がれたグラスを。
セツナは、オレンジを絞ったジュースのコップを。
それぞれに得て、カウンターに程近いテーブル席を陣取り。
──刻は。
その日、殊の外に賑やかだった酒場へと連れ出しても、今一つ、その頬より寂しげな色の消えないセツナに。
「お前、何でそんなにカナタのこと、好きなんだ?」
ビクトールが何気なく、そんなことを尋ねた処より、始まった。
「んー……。『マクドールさんだから』、っていうのもあるけど。……似てるから、かなー……」
ちびちびと、ジュースを舐めながら。
問われたことに、セツナはそう答えた。
「あー……。判る気はするな。お前等二人、良く似てるよ、うん」
セツナが答えたことに、云いたいことは判る、と、フリックが深く頷いた。
「外見は、全く違うがな。何処か、似てるんだよな、お前とカナタ。天魁星の許に生まれた……ってのも関係してるんだろうが……。何て云うか……うん」
「……そうだな。色んなことが、良く似てるよな、お前達。俺等に拾われて……って始まり方も」
そう云やそうだな、と。
フリックが、セツナへと向けた同意に、ビクトールがしみじみとした声を出した。
尤も、彼は。
少しばかり遠い昔を懐かしむ声音を出した後、俺達って天魁星との出会い運、抜群だよなー、と、笑ったけれど。
「ああ、そう云えば、そうかもね。ビクトールさんとフリックさんって、『そう云うコト』、縁があるみたいだよねー。一〇八星の中で、ナナミと、元々から僕の友達だったムクムク抜かせば、僕が一番最初に会ったのも、二人だし」
傭兵達の話を聞きながら、言えてる、とセツナは頷き。
「あれ、でも……。マクドールさんから聞いた話では、マクドールさんが一番最初に出会った宿星だった人って……えーっと……? クレオさん達を抜かせば……あれ? ルックになるのかな」
でも、マクドールさんと最初に巡り会った宿星は、二人じゃないよね、と彼は首を傾げた。
「僕じゃないよ」
……と。
先ず、約束の石版の前より動くことのない、当のルックの声がして。
え? と人々は振り返る。
「どうしたの? ルック。こんな所に来るなんて、珍しい……」
「あの鉄面皮軍師が、あんたのこと探しててね。それに僕も、駆り出されただけ」
振り返った先で、むっつりとした顔をして立っていたルックに、ほえ? とセツナは目を見開いたが。
理由があるんだよ、とルックは、不機嫌そうに吐き捨てた。
「シュウさんが? でも、今日はもう、お仕事ない筈だもん。急ぎの軍議もない筈だもん。いいよ、放っといて」
すればセツナは、今日はもう、お仕事なんてしないもーん、とそっぽを向き。
「……シュウの奴も……鉄面皮、なんて、ルックにだけは云われたくないと思うぞ……」
「同感……」
ルックの態度を見遣った傭兵達は、影でぼそぼそ、囁き合い。
「…………なんか、云った?」
悪口を囁いた大人達を、ギっとルックは睨んだ。
「処で、ルック、さっきの話だけど。マクドールさんと一番最初に会った三年前の宿星って、ルックじゃなかったっけ?」
けれどセツナは、今にも傭兵達へ向けて、魔法の詠唱を唱えそうな勢いのルックへ、のほほんとした笑みを向け、話題を変えた。
「……僕じゃない。僕より先に、フッチが出会ってる筈。未だ竜洞騎士団の、見習い騎士だった頃にね。レックナート様の魔術師の塔へ、カナタ達を連れて行く為に」
きつい眼差しを、こそこそと身を隠すビクトールとフリックへと向けたまま。
ルックはセツナの話に乗った。
「あ、そっか。フッチが一番最初なんだ。そっかー」
「そう云うこと。ま、尤も、あの時は、僕も、多分フッチも、カナタの奴と、あんな関わりが出来るなんて、思ってもいなかったけどね。良く考えれば良かったよ。星見の結果を受け取りに来たあいつに、レックナート様が何やら、深刻そうな顔して話してた時、おかしいな、って。そう思えば良かった。判ってたら、とっとと逃げたのに」
「ふーん……」
「それに。あの頃のカナタって……何て云うんだろね……未だ、大貴族のお坊っちゃま、って感じしかしなくてさ。過保護な従者や、やたらと喚き散らす親友君に、何処か守られてる雰囲気で。まさか、あいつが天魁星だとはね」
「へー……。マクドールさんにも、そんな頃、あったんだ……」
──今日に限って。
やけに饒舌なルックが語ってくれたことに、ふんふん、とセツナは聞き入り。
「どうしたよ、ルック。今日は随分と喋るじゃねえか。あの頃の話が出て、お前も少し、懐かしくなったのか?」
影に隠れていた筈のビクトールが、そんなルックを揶揄し始めて。
「うるさい。ホントに、切り裂かれたいの? 僕が昔話をするのが、そんなに珍しいワケ?」
今度こそ本当に、ルックは右手を掲げ掛けたが。
「あ、ねえ、ルック、そんなことよりも」
一触即発の事態を、又、セツナが食い止めた。
「……何さ」
「じゃあ、ルックとフッチって、テッドさんに……会ってるんだ?」
「…………ああ。そう云うことに、なるね」
「どんな人だった? ルックから見たテッドさんって」
「テッド? ────ソウルイーターの継承者だなんて、とてもじゃないけど思えない奴だったよ。三百年も生きてたって割には、ガキっぽくってさ。真面目にフッチと喧嘩するくらいにね。まあ流石に、三百年も魂喰らいと付き合ってただけのことはあるのか、僕にもソウルイーターの気配を感じさせないくらいの芸当はしてみせたけど。…………騒々しい奴。それだけだね、僕に言えることは。やたらと賑やかな処、セツナにそっくりだよ」
「僕、そんなに騒々しくないもんっっ」
「……どうだか。──じゃあね、伝えたからね、シュウが探してるって」
………………本当に。
今日は、ルックと云えど、何処となく、昔を懐かしみたい気分であるのか。
ビクトール達に向けた『牙』を、セツナに遮れても、そのまま、昔語りを促されても、嫌な顔一つせず──と云っても、相変わらずの不機嫌そうな表情はそのままに──、テッドのことを語って。
ルックは、用件は済んだから、と酒場より消えた。
「テッド…………か。懐かしい名前を、聞いたな……」
ルックが消えた為、漸く、こそこそしたそれでなく、普通の姿勢を取り戻したフリックが、ぽつり、呟いた。
「セツナ。お前、テッドのこと…………?」
「勿論、マクドールさんが教えてくれたんだよ」
ビクトールは、その懐かしい名前を誰より聞いた? とセツナを見下ろし。
向けられた視線に、にこっとセツナは、笑ってみせた。