カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『片便り』

真後ろにデュナン湖が控えているが故に、夏の盛りのこの季節、風に恵まれた朝はこの上もなく爽やかだが、そうでない日は湿気の所為でどうしようもなく蒸し暑い、そんな古城の最上階で、ハイランド皇国との本格的な交戦に突入して二ヶ月程が経つ同盟軍の盟主セツナは、義姉ナナミに叩き起された。

「ほらほら! 朝だよ、セツナ。起きなきゃ駄目だよ! 鍛錬するんでしょ!」

爽やかな風には恵まれなかった運の悪い朝──即ち蒸し暑いその朝、夏用の薄い肌掛けすら蹴っ飛ばし、お腹を晒して寝ていたセツナから、完全に掛布を剥ぎ取ったナナミは、寝相悪くしていた義弟の寝間着の前を合わせ直してお腹を隠し、耳許で怒鳴る。

「んー……。もう朝ぁ……? ……って、うるさいよ、ナナミ……。朝っぱらから耳許で怒鳴んないでよ……」

「何言ってるの、こうでもしなきゃセツナは起きないでしょ? いっつも、お姉ちゃんに面倒ばっかり掛けてっ。ほらほら、起きた起きた!」

その、起き抜けに聞くには大き過ぎた声に、ぶつぶつとセツナは文句を垂れたが、ナナミは聞く耳持たず、枕辺脇のテーブルの上に畳んで置かれていた彼の着替えを放り投げた。

何時まで経っても、お淑やか、という言葉を覚えないナナミに、家族だからこそ零せる文句と愚痴を何時までも洩らしつつ、支度を終えたセツナは、同盟軍本拠地とされたその古城の西棟一階に、兵舎と併設して建てられた訓練場へ向かった。

毎日の早朝鍛錬は、彼とナナミが、かつて、デュナンの人々に英雄と呼ばれた彼等の養祖父ゲンカクと共に暮らしていた頃よりの習慣で、雀百まで踊りを忘れず、という奴なのだろう、同盟軍の盟主として、どんなに忙しい日々を送ろうとも、諸々の所為で夜更かしせざるを得なくとも、セツナは、毎朝必ず、日課となっているそれをこなしていて、早朝故に、訓練場に集う仲間達も本当に疎らなその時間でも、ちらほらとは見掛ける熱心な何時もの顔触れ──主に、マチルダの青騎士団長だったマイクロトフやその部下達や、親友のマイクロトフに付き合わされた、やはりマチルダの赤騎士団長だったカミューなど──と、元気良く朝の挨拶を交わしてから、一人、準備体操から始めた。

彼と同じ日課をナナミも持っている筈なのだが、彼女は、朝からは面倒臭いし、とサボってしまうこともままあって、その日も、「お姉ちゃんは疲れてるからー」とトンズラした彼女を苦笑と共に見送った彼は、体を解してより、「我々で良ければ」と言ってくれたマイクロトフやカミューに相手をして貰いながら、汗を掻くまで頑張って、

「有難うございました、マイクロトフさんにカミューさん。……ご飯の前に、お風呂行きません?」

誠に爽やか且つ元気に額に浮く汗を拭い、疲れたし、汗塗れになっちゃったから、朝風呂! と元騎士団長達を誘った。

盟主直々の誘いだからという訳でなく、そういう枠を越え、末っ子を構うノリで接したくなる雰囲気を纏っているセツナのおねだりに、元騎士団長達は二つ返事で頷いて、だから連れ立った三人は、今度は本拠地東棟の浴場へ向かった。

その途中、昨夜も、随分遅くまで城内のレオナの酒場で酒盛りをしていたらしい、傍目にも二日酔いなのが判る、軍内では、腐れ縁傭兵コンビと一纏めにされているビクトールとフリックの二人と行き会ったセツナは、

「ビクトールさんとフリックさんもお風呂行こうよ!」

と、彼等をも巻き添えにした。

元々から、セツナに誘われずとも朝風呂で酒を流すつもりだったのだろう傭兵コンビも、騎士団長コンビ同様、一も二もなく誘いに乗り、都合五名となった彼等は、本拠地お抱えの風呂職人テツの力作達の中より、渋く檜風呂を選んで、風呂の中でも賑やかな、末っ子属性溢れさせる盟主殿を構いつつ、ひとっ風呂浴び、そのまま朝食の席も共にした。

物心付く以前にゲンカクに拾われ何とか生き長らえた孤児だった為、彼の本当の歳が幾つなのか、セツナ当人にも不明だが、自身の申告に曰く、「僕は十五歳! だと思う! 多分!」だそうなのだけれど、どう贔屓目に見ても、セツナの体躯は十二、三歳程度としか思えぬくらい小柄で、同盟軍内で彼よりも身体的に小さいのは、軍医ホウアンの助手の、今年十一歳になるトウタ少年のみだ。

けれども、その小さな体の何処にそんなに詰め込めるのか、と大人達が首を傾げる程にセツナは良く食べる口で、その朝も、傭兵達や騎士団長達が、内心、「え、朝から……?」と慄いたまでに量があった朝食を、ぺろりと平らげた。

とは言え、体躯とは余りにも釣り合いが取れぬ食事量に慄きこそすれ、小さな彼は、本当に幸せそうに食事をするし、沢山食べて、大きくなって、しっかりした体も作って、と彼を盟主と仰ぐ仲間達は誰もが願っているから、ビクトールもフリックも、マイクロトフもカミューも、あれこれ彼の食事の世話を焼き、満足いくまで食べて欲しい、とセツナの為に腕を振るった、そのレストランを管理する料理人ハイ・ヨーが拵えた料理を、看板お運び少女のミンミンは、次から次へと運んだ。

だから、仲間達に囲まれ、美味しい朝食にも囲まれ、ご飯をお腹一杯食べて、としたセツナは朝から幸せになって、ハイ・ヨーとミンミンに礼を告げてから『お兄さん達』と分かれた彼は、一人、ご機嫌で本拠地内の散策を始める。

増え続ける一方の仲間達や、一般兵達や難民達の為に、あちこちで増改築の工事が続けられている、未だ未だ手狭な本拠地中をセツナが走り回れば、本当にあちらこちらから彼への声が飛んだ。

親や大人達に、「セツナ様は、この軍の一番偉い人なんだよ。だから、失礼なことをしちゃいけないよ」と教えられても、難民の子らにとって、彼は、親しみ易くて優しい『めいしゅさま』で、故に子らは、彼の姿を見掛けるや否や、

「めいしゅさまーー!」

と駆け寄り纏わり付いて、子供達を叱りながらも、女性達は、主婦顔負けな炊事洗濯の腕前を持っている彼と、『主婦同士の井戸端会議』で何時までも盛り上がり、一般兵達も、敬愛の眼差しを注ぎつつも親しく砕けた調子で彼に声掛けて、宿星達に至っては、お節介なまでに彼の面倒を見たり、ふざけ合ったり、頭を撫でたり、真面目な話を吹っ掛けたり、と本当に様々に、様々、彼を『求め』、彼に『手を差し出し』。

「セツナー! 釣りしに行かねー?」

「たまにはどうですか? 一緒に」

丁度、本棟一階の広場の、約束の石版前を通り掛かった彼と行き会った歳の頃が近い少年達──チャコやフッチは、遊びに誘い出す。

「あ、する! ──ルックも行こうよ、今日はお天気いいから」

それを、うん! と呆気なく受けたセツナは、「ガキの集団……」との目をして自分達を眺めていた石版の護人ルックの手を強引に掴み、「何で僕まで!」と嫌がりつつも、付き合ってはくれるらしい彼をも引き連れ、船着場脇の釣り場へと向かった。

…………だから、その日の午前も、朝食の頃に引き続き、沢山の人達、沢山の仲間達に囲まれたセツナは、幸せで。