カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『既にそこに路はなく』

彼の体躯と比較すると、どうしても、巨大、と言わざるを得ない執務机の片隅に、昼日中、細やかに燭台を灯して、灯されたそこから、つい先日、正式な国家、として起ったばかりの自国の国旗と同じ色の蝋を炙って、やはり、自国の国旗と同じ色した小さなリボンを、端同士を交差させつつ、立派な紙の隅へと乗せて、溶かした蝋を垂らし。

「めんどくさーい。めんどくさーーーい。めーんどーくさーーーーーいっ! ──ホントに、もうっっ! 何でこんなに面倒臭いことやらせるの、シュウさんの、馬鹿ーーーーーーっ!」

自作の、珍妙な節の、『面倒臭いの歌』を歌い、歌の最後、とうとう彼は叫び出した。

「もう、お仕事イヤーーーーーーーーーっ!」

ぎゃんすかと、仕事なんか嫌いだと喚きながらも、垂らした蝋の上に、ベッチンっ! と、国の紋章を象った印を押し。

「今まで通り、僕の署名だけでいいと思うのになーーーーーっっ」

出来上がったそれを、机の隅へと押し退け、空いた天板の上に突っ伏した彼、セツナは。

つい先日まで、ハイランド皇国とデュナン地方の覇権を争っていた、同盟軍の盟主を務めていたが故、新国デュナンの、『小さな』国王陛下となったばかりの身だ。

だから、と言うか……、まあ、だから、彼は今、国王たる者が果たすべき、執務という責務に従事している。

けれど、同盟軍の盟主時代より、文官のするような執務が大嫌いだった彼は、軍が、国と相成った為に増えてしまった『執務のひと手間』に、文句たらたらだった。

同盟軍時代、彼の正軍師で、新国では宰相の地位に就いたシュウに、

「言葉は悪いですが、高が一軍、ではなく、正式な国家となったからには、書類にも、それなりの体裁と格を伴わせなくてはなりません」

と、それまでは、ちょちょっと署名をすれば良かった決済書類に、朱肉で印を押すより手間の掛かる、封蝋も施せ、と申し渡されてしまったからだ。

そういう方面のことに関して、シュウに楯突いてみても、ぐうの音も出ない正論で『成敗』されるだけだから、大人しく、言われる通りにしてはいるけれど。

セツナにしてみればそれは、自作の、『面倒臭いの歌』を歌って、不平不満を零さなければ、とてもではないが、やっていられない、どうしようもなく面倒臭い厄介事で。

「あーあ。暫くは、カナタさんもグレッグミンスターだしなあ……」

一応、手許は動かしつつ。

ハイランドとの戦争中に知り合って、戦争が終結しても尚、己の傍らにいると言ってくれた、が、今は故郷の街、隣国トラン共和国の首都、グレッグミンスターへ帰ってしまっている、トラン建国の英雄、カナタ・マクドールのことを、彼は思った。

巡り逢ってよりこっち、べったべたにセツナを『溺愛』して歩くのが、今のカナタの趣味のようなもので、それはセツナも重々承知していて。

戦乱の日々の終わりと共に、マクドールさん、から、カナタさん、へと呼び方を変えた彼が今日もいてくれたら、少なくとも慰めては貰えただろうし、もっとすると、「面倒臭い執務なんて、大人達にやらせればいい」と、何処かへ連れ出してくれたかも知れないのに、と。

故にセツナは、これまでと同じことを、後二枚もしなくちゃならないと、ムスっと頬を膨らませながら、カナタを思いつつ、かつては盟主の為の、今は国王の為の、デュナン湖畔の古城の最上階の部屋より、窓の外を眺めた。

そろそろ、春の盛りとなる今の季節、窓辺から身を乗り出せば見渡せる、城の庭や、城壁の向こう側の草原は、新緑が、とても目に鮮やかだ。

木々の花の蕾も、綻んでいる。

冬の頃には厳しい、夏の頃には湿気を多く含んだ、デュナン湖を渡る風も、過ぎる程に穏やかで。

更には、極上の晴天、と来た日には。

「なあーーーーんで、こんな日に、お仕事してなきゃならないのーーーっ!」

『この』彼が、叫ばずにいられる筈がない。

でも、ご機嫌斜め、と膨らませた頬はそのまま、後二枚っ! ……そう己に言い聞かせて、セツナは踏ん張った。

「出来たーーー!」

最後の一踏ん張り、と。

ふんふん荒い鼻息で、それより暫し後、セツナは全ての書類を仕上げ。

一国家の、正式な、それなりの体裁も格も必要とされる、即ち重要書類を、威勢良く、紙吹雪の如く散らしてから、あれ……、と、慌てて掻き集めて。

「出来たーー。出来たよーーーーっ!」

巨大な机の、燭台が置かれていたのとは反対の隅から、小さなベルを取り上げると、シュウに、陛下が執務を終えるまで、しっかり見張っているように、と命ぜられた、新人の文官を呼び寄せた。

「陛下? 仕上がりましたか?」

ちりちりと、可愛らしい音を立てたベルの呼ぶ音に応え、広いその部屋の扉の外に待機していた文官が、そろっと顔を覗かせる。

「うん! 出来た。シュウさ……じゃなかった、シュウ宰相に、見て貰って?」

……今更、言葉遣いを若干取り繕ってみても。

それはそれは大声だった、セツナの『面倒臭いの歌』も、「シュウさんの、馬鹿ーー!」との叫びも、扉前に控えていた彼には、筒抜けなのだが。

えへっ、と、少々他所行きの笑顔を浮かべたセツナへ、文官は、苦笑程ではない、曖昧な笑みを返した。

「お疲れ様でした、陛下」

「……あ、でも。そっか、僕もシュウさ……──シュウ宰相に、用事あったんだっけ」

天板の上に揃えて置かれていた書類の束を、二十歳そこそこだろう彼が取り上げるのを眺めながら、けれど己も、と、セツナは椅子より腰を浮かせる。

「宰相殿を、御呼びして参りましょうか?」

「ううん、いいの。だから、一緒に行こう」

シュウに、所用があると言うならば、と文官は言ったけれど。

セツナはそれを制し、うんしょ、と床に足の付かない椅子より降りて。

……………………あれ? と。

途端、微かに首を傾げた。