「陛下? どうか為されましたか?」

「……あ、何でもない。御免ね」

跳ねているかと思えるくらい、元気に立ち上がったのに、不意に動きを止めた彼を、文官は少しばかり不思議に思って、声を掛けたが。

セツナは、ほえほえと笑いながら首を振った。

…………それは確かに、気遣わし気になった彼を、誤摩化す為の行為でもあったけれど。

嘘、という訳でもなかった。

椅子より降りた時、僅か、眩暈を覚えたような気がして、それ故、首を傾げてはみたものの、揺らいだ視界は、直ぐに元に戻ったから。

気の所為だろう、と思ったのだ。

細かい文字が羅列された書面と、睨めっこをしていたからだ、と。

──大人達が、デュナン統一戦争、と呼び始めたあの戦争が終わって、親友だった、最後のハイランド皇王、ジョウイ・ブライトと『さようなら』をして、建国の式典やら何やらを終え、古城より去ると決めた、一〇八星だった仲間達を見送って……とセツナがしたのは、つい、先日のことだ。

戦争が終結し、仲間達を見送り終えて、今日に至るまで、未だ、二十日前後しか経っていない。

戦争の後始末も、起ったばかりの国の面倒を見るのも、得物を握って戦場へ赴くのとは、又別の根性と気合いが必要で、目紛しい忙しさを齎してくる。

故に、疲れていないと言ったら、それこそ嘘吐きになるし、この五日程、眠りがとても浅いから、些細な眩暈が気の所為でなかったとしても、ちょっぴりくらいはしょうがないかな、と納得出来たし、気にすることじゃない、とセツナは考えた。

右手に宿していた輝く盾の紋章──不完全な、二十七の真の紋章は、親友だった彼との『さようなら』を経て、始まりの紋章──完全な、二十七の真の紋章となり、今も右手にあるけれど、不完全は完全となったのだ、もう、呪いの如く、紋章に命を削られる心配もない。

事実、自分は元気だ。

「待たせると、まーた、大っきい雷落ちるから。行こう?」

……だからセツナは、ん、気の所為! と。

戦争が終わってより、自分に仕えてくれるようになった彼を促し、部屋を出た。

新米の文官を従え、元気一杯! な感じでやって来た国王陛下を。

シュウは、苦笑と共に出迎えた。

出歩いている暇があるならその分、もっと仕事をこなして欲しいと言わんばかりに。

が、セツナは、ふーんだ、とそっぽを向いて。

「どう為さいましたか、陛下」

「……シュウさ……宰相」

「……はい」

「今日、お天気良いでしょ?」

「…………そうですね」

「でね。五日前に、カナタさん、グレッグミンスター帰っちゃったでしょ?」

「………………それが、何か」

「ほら。ちゃんと、お仕事も終わったから」

「……………………ええ、今日の分は」

「だからー」

「……だからー、……何ですか」

微妙に、己と視線を合わせず話を始めた彼が、結論として言うだろうことを、素早く脳裏で想像して、シュウは、眦を吊り上げ始めた。

「グレッグミンスター、行って来ていい? 直ぐ、帰って来るから」

「…………………………陛下……。何を考えておられるんですかっっ!」

やはりな。

……そうは思いつつも。

『小さな』国王陛下の能天気な一言に、目一杯目を吊り上げたシュウは、盛大に、怒鳴る。

「何でーっ。今日、こんなにお天気良いのにっ。お城の中に籠ってお仕事するなんて、不健康っっ! 大人の人が出来ることは、大人の人がすればいいことで、大人の人がしなきゃならないことなんだから、一寸くらい、お出掛けさせてくれたってーーーっっ」

「……仰りたいことは、よー……く判りますが。陛下っっ。いい加減、自覚を持って下さいっっ。貴方はもう、同盟軍の盟主ではなくて、この国の王なんですっっ。天気が良いから中庭を散歩したい、と仰るなら未だしも、ほいほいと、隣国の首都まで出掛けられる筈がありませんっ。貴方を、バナー村まで転移してくれるビッキーは、もういないんです。今まででさえ、ここと黄金の都との往復には、一日半を要したんです、ビッキーもルックもいない今、その二倍は最低でも掛かりますっっ。それにっっっ。曲がりなりにも貴方は、国家元首なのですよ? そんな貴方が隣国の首都に赴いて、お邪魔します、こんにちは、で済む筈がないでしょうっっ」

本当に、自分の立場が判っているのかと、そう噛み付きたくなる発言をしてのけたセツナを、ぎゃあぎゃあとシュウは怒鳴り付けて、一息に捲し立てた己の勢いに負けたように、ゼイゼイと、肩で息をした。

「いいじゃんっ。シュウさんのケチンボっっっ! この世には、お忍びって言葉があるもんっ。国境にいるバルカスさんに、僕がカナタさんの所に遊びに行くの、誰にも言わないで下さいねー、ってお願いすれば済むもんっっ! 別に、悪いことしに行く訳じゃないのにーーーーーーーっっっ!」

しかし。

相変わらずの能面っぷりを誇る無表情宰相殿が、形相を変えて怒鳴っても、セツナは折れようとせず。

呆気に取られて自分達を見守っている文官の存在も忘れ、言葉遣いさえ何時も通りに、シュウに負けず劣らず、喚き散らし始め。

「……陛下。お願いですから。本当に、お願い致しますから。もっと、御自覚を持たれて下さい……。この国はもう、『国』なのです。少々の無作法があったとしても、許して貰えていた以前とは違うのです。貴方の一挙手一投足、貴方の一言、全てが、『この国』になるんです。お判りですか……?」

「…………判ってるもん、それくらい……」

「でしたら、グレッグミンスター行きは、諦めて下さい」

「……んもーーーーっっ。…………シュウさんの、石頭。……良いもん、今度、カナタさんと一緒に行くもん……」

最終的に、ちぇーっと彼は膨れて、それでも、トラン行きに見切りを付けた。

「じゃあ、レストラン行って、おやつ食べてくる」

「どうぞ。それくらいのことでしたら、幾らでも。その程度で収めて頂ければ、私の胃の臓も痛みません」

「トラン行くの諦めたんだから、嫌味言わなくってもいいのにー」

そうして、彼は、とてとて、シュウの部屋を出て行こうとして。

「………………あれ……」

「……陛下? どう為さいましたか」

「んー。何でもない、んだけど……。一寸、くらくらして来た……。大声出したからかなあ……。……あれ…………?」

「陛下?」

「…………御免、シュウさん。…………気持ち悪い……」

様子がおかしくなった彼を案じて、席を立ち、近付いて来たシュウを見上げつつ、掠れた声で訴え、そのままカクリと膝を折った。

「陛下っっ」

崩れた体を、何とかシュウが抱き留めたが、その時にはもう、セツナの意識は朦朧としており。

「医務室に行って、人を呼んで来いっっ。それからミューズに遣いを出して、ホウアンに来て貰うように。………………それと。……グレッグミンスターのマクドール邸にも、遣いを」

軍師がそもそもの生業の、力には恵まれていない己に、軽々と持ち上げられる程、この彼は軽かったろうか、そう思いながらシュウは、バサリ、と手にした書類を放り出しながら駆け寄って来た、新任の彼に命じた。