宵が過ぎ、夜中となったばかりの頃に寝かし付けてやったセツナが、この分なら朝まで目覚めないだろうとカナタに確信出来たのは、夜中が真夜中に近付き始めた、大人達には未だ未だ、『本当の夜』とは言えぬ時刻だった。

それ故、城内の廊下を行けば、多分、複数の誰かと擦れ違うだろうと判ってはいたけれど、夜着に、上衣を引っ掛けただけの姿で、セツナの傍らを判らぬように抜け出し、ふらふら廊下を進んだカナタは、執務に忙殺されているだろう宰相殿の部屋を訪れた。

「……マクドール殿」

そこがシュウの部屋でなく、女人の部屋であったとしたら、何処の間男だ、と誰もが言っただろう風情で、夜が更け始めても人の出入りが絶えない、慌ただしい己の部屋を覗いた隣国の英雄殿に、シュウは、瞬きの間のみ、「厄介な相手がやって来た」、そんな色を頬に掠めさせ、が、直ぐさま、己と共に詰めていた部下達を下がらせると、その『厄介な相手』に椅子を勧めた。

「せめて、その姿だけでも、何とかなりませんでしたか」

「……貴方も僕も、女性じゃあるまいに。直ぐに、セツナの所に戻るのだから、大目に宜しく。──もう、大丈夫そうだよ。何時も通りのあの子になってきたし、今は良く寝てる。食欲は、未だみたいだけど」

「そうですか。……わざわざ、トランからお呼び立てして、申し訳ありませんでした」

「貴方にそんな風に言われると、背中が痒くなるね。知らせて貰って助かったのは、僕だよ」

「…………背中が痒くなるのは、私の方です」

『邪魔者』が消えた部屋の中で、椅子を勧め、勧められして、それぞれ落ち着いた二人は、何処となく、互いの腹の底を探るような会話を交わし、図った如く、揃って肩を竦める。

「さて? 用向きは」

「うん、それなんだけどね」

そして、ここからが本題と、目付きを僅か剣呑とさせて、向き合った。

「…………ここが、軍から国になろうが、結局はどうでもいい、ってそれが、僕の言い分なんだけど」

「そうでしょうね、貴方は」

「でも、万が一にでも、セツナが僕の所為で矢面に立たされるような事態も、不本意だ。だから、当面の間は、戦争中よりは大人しくしているつもりだし、この城に居座るのも、控え目にしようと思って『は』いる」

「……そうして頂けると、有り難いですね。私としては」

「…………ああ、言い方を間違えた。申し訳ないね。誤解をさせたみたいだ。……そう思って『いた』、が正しい。…………多少は、弁えるつもりだった。事実、さっきセツナを眠らせる前、あの子には、そう言って聞かせた。暫くの間は、『今まで通り』にはいかないかも知れない、とね。……だが、どうやらそれが、一番、不本意な形になりそうだ。僕の振る舞いで、万一セツナに、うるさいだけの『雑音』が届くと言うなら、それごと払えば良いだけだ。これまでのように。……まあ、そういう訳で。僕は、そう考えを『改める』ことにしたから。…………宜しく」

「宜しく……ですか。何を、宜しく、と……?」

「決まってる。僕は貴方に、『このこと』を告げた。……この国の宰相として、貴方にしか出来ない『役目』が、貴方にはあるだろう? お互い、あの『小さな彼』が大切な者同士だ。理由も意味も、立場も違えどね。だから、『そういう意味』の、『そういう所』を、宜しく。デュナンの国の、宰相殿」

シュウの瞳を、真っ向から見返し、茶化している風な言い回しを混ぜて。

が、『頼み』をするでなく、『命令』を下している如くにカナタは言い切ると、かたりと、椅子より立ち上がった。

「…………マクドール殿」

彼のその仕草は、これ以上話すことはないとの態度の、具現だったけれど。

シュウは、引き下がらなかった。

「何か?」

「……陛下は、マクドール殿が傍近くにおられないと、辛い御様子です。ですから、陛下の為に、これまで同様、貴方が陛下の近くにおられることには、私も目を瞑りましょう。今までも、随分と目を瞑ってきました。これからも、同じことをすればいいだけのことです。貴方に言われるまでもない。それが、陛下が陛下である為の、お望みならば。…………こうなることが、判っていたかのような貴方に、宜しくと、言われる程のことでは」

「何のことやら。貴方は何かを、誤解してるんだと思うけど」

引き下がらない処か、何時もの嫌味を通り越した、非難の口調でシュウは断じたが、カナタはそれに、笑みを返した。

「…………そうですね。貴方に、陛下絡みのことで何を言っても、無駄でしたね。私としては、これでもかと言う程、罵詈雑言を浴びせたい気分ですが。──お話は、承りました。でも、どうぞこれ以上、あの方を繋ぎ止めるのは控えて頂けたらとは思います。叶うなら、ですが。それではお休みなさいませ、マクドール殿」

「貴方が何を言っているのか、僕には良く判らないけれど。……まあ、いいか。──お休み」

──鮮やかな、笑みを一つ返せば。

シュウは肩で息をし、深い嘆きを吐き出して。

カナタは軽く片手を上げ、じゃあ、と部屋を出た。

後ろ手に扉を閉ざせば、音もなく閉まったその向こうから、再び、強い溜息が聞こえ。

愉快で堪らない、そんな風に、カナタは忍び笑った。

「判ってはいたけど。やはり、馬鹿ではないよね、あの軍師。馬鹿じゃない、ってだけだけど」

クスクスと低く洩らしながら、閉めたばかりのそこを、後ろ手のまま指先でなぞり。

ふっ……と彼は歩き出す。

己が傍らにいなければ、眠りも得られなく。

けれど、帰る路さえ持たなくなった、彼の許へ。

End

後書きに代えて

デュナン統一戦争終結直後のお話。

──紋章や魔法って奴は、それ程都合の良いモノではないと、ワタクシは思う訳で。

まあ、セツナがぶっ倒れた理由の半分は、カナタがいなかった所為ですけど。

……何と言うか。うん。

カナタのセツナへの接し方って、この時点では未だ、激しく両極端な飴と鞭だな。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。