トラン建国の英雄、との、決して永遠に捨てられぬだろうカナタの『立場』と、デュナン建国の英雄であり国王、とのセツナの『立場』と、それぞれに、それぞれの立場を齎した国のことを考えれば、褒められた話ではないのだろうが。
ヘリオンに、セツナの部屋の扉前へと直接送って貰って──即ち、城門を潜る、という真っ当な来訪方法を取らず。
再び、セツナの元にカナタが姿見せた時、ベッドの上の住人は、余り興味のなさそうな顔付きで、本の頁を捲っていた。
「ただいま。具合が悪いのに本なんか読んだら、却って疲れるよ?」
「暇だったんですよう……。でも、カナタさん帰って来たんで、読書はもういいです。お帰りなさい」
だから、ひょいっと、読み掛けの本を手の中から奪って、こら、と軽くカナタが叱れば、セツナは、えへー、と誤摩化し笑いを拵えて、傍らに座ったカナタに、何処となくいそいそと体を近付けた。
「さっきよりも、もっと顔色、良くなったかな」
「カナタさんがお出掛けしてる間に、様子見に来てくれた看護婦さんが、髪の毛とか体とか拭くのとか、着替えとか、手伝ってくれたんです。すんごくすっきりしました。……未だ、お城来たばっかりの人でしたから、ちょっぴり、恥ずかしかったですけど……」
じゃれる仔犬の如く、すりっと寄って来たセツナを、ふわりと膝へ抱き上げて、カナタが具合を確かめたら、ほえほえとセツナは言って。
「そうなんだ。良かったね。………………処でね、セツナ」
照れ臭そうな素振りを見せた彼の髪を撫でてから、カナタは切り出した。
「何ですか?」
「……もう、何ヶ月も前に約束したよね、何が遭っても、僕は君の傍にいるって。歩く時も、立ち止まる時も、走る時も、踞る時も、傍にいて、全てを共に。……そう、僕と君は約束した。…………でもね、セツナ。君は、この国の王様になったから。……本当に、僅かの差でしかないのだけれど。僅かと言える差しか、生ませるつもり以外、僕にはないのだけれど。それでも、今までと全く変わらず、君の傍に僕がいるというのは、恐らく無理だ。どうしても、僅かと言えど、差が出来る。──戦争中はね。君や、君達の軍に協力する為って『大義名分』、幾らでも翳せたけど。ここはもう、『軍』でなく、『国』だから。どうしたって、『肩書き付き』で見られる僕が、毎日、君の傍にいるっていうのは、王様としての君的には、具合の悪い話だ。ここに滞在している僕は、何処までも、王でなく、君個人の客人、でしかないし」
「………………そう、かもですね……。それは、僕にも判ります……」
「だからね。僕としても、凄く不本意ではあるけれど、君が、淋しいと思う時に、君の傍に僕がいられないことも、これから先、暫くの間は、あるかも知れない。極力、そんな想い、君にはさせないようにするけれど。そういう……、うん、言葉にするなら、『隙間』がね、生まれるかも知れないから。僕がいない時、セツナが淋しいと思っても困らないように、『お守り』、あげる。……さっきは、それ取りに、家に行って来たんだ」
そうして彼は、諭すようにセツナに告げてから、上衣の懐より、す……っと、何やらを取り出しセツナに手渡した。
「『お守り』、ですか……? えっと…………?」
────カナタが懐から取り出したそれは、柔らかい、上等の布で出来た袋に収まっていて。
何だろう、と、固い感触の中味を取り出したら、出て来たそれは一瞬、セツナの目に、小振りで細い、単なる黒い筒と映ったが。
直ぐに、黒い筒に見えたそれは、懐剣だ、と判った。
女性が作る握り拳三つ分くらいの長さの、本当に小振りな、でもセツナには扱い易い大きさだろうそれは、黒い漆塗りの拵えで、鞘より抜き去り刃を確かめずとも、高価な逸品だ、と、簡単に想像出来た。
「…………えっ? あ、あれ、これって……?」
懐剣を袋から出した時、セツナはどうやら、裏表逆に取り出したようで。
くるりとそれをひっくり返してみたら、柄の部分に、見覚えのある紋の、彫金細工が嵌まっているのに気付き。
ええ……? と、困惑しきりの声を、セツナは放つ。
彫金が象る、その紋は、彼の記憶に間違いがなければ、カナタの実家のそれだったから。
「カナタさん? これって……、カナタさんのお家の紋ですよね……?」
「うん、そう。家の。僕の母が、家に嫁いでくる時に持って来た嫁入り道具の一つって、父が昔言ってたね。嫁ぐ家が家だったから、なんだろうね、多分。母の嫁入り道具の中には、こんなのもあったみたいだ。母の実家は武家ではないから、本当に形だけで、母自身が使ったことなんて、一回もないみたいだけど。…………尤も、夫婦喧嘩や何やらで、年中懐剣振り回すような過激な人だったら、一寸、複雑だけどねえ、息子としては」
「……それは、ちょーっと怖いです。……って、そうじゃなくってっ。ってことは、これ、カナタさんのお母さんの、形見ってことですよね……? そんな大事な物、僕が貰う訳にはいきませんってばっ」
「…………? 何で?」
「何で、じゃなくってですね、カナタさん…………」
「確かにこれは、母の形見の一つかもだけど。そんなに大きくないから、セツナにも扱い易いと思うよ。品は保証出来るけど、一寸華奢な所や、拵えが女性用な辺り、難点だけどね。……まあ、拵えは気に入らなければ、テッサイに作り直して貰えばいいし。セツナが一人で夜眠る時の、お守りには足りるかな、と。──女性のそれをって言うのは嫌がるかな、と思ったんだけど、家の物置に転がってる、僕が子供の頃に使っていたような物は、鍛錬用の物が殆どだし、父の物だった品は、一寸セツナが扱うには大振り過ぎるから、母の品にしてしまったんだ。御免ね、セツナ、男の子なのに」
「カナタさん……。そうじゃなくって…………」
あげる、と気楽に言われた物の正体を知って、セツナは慌て、懐剣を、カナタへ返そうとしたけれど。
何故、受け取れないと言われるのか判らない、そんな風にカナタは首を傾げ、少々的外れなことを言い出し。
「……これ。カナタさんの、お母さんの形見、なんですよね?」
「うん」
「形見って言ったら、僕がじーちゃんに貰った、肩布とか金の輪っかとかと、一緒ですよね?」
「そうだね」
「ってことは、カナタさんとマクドールのお家の大切な物ってことで、だから、僕がほいほい、貰う訳にはいきませんっっ」
カナタさんのこういう所って、真っ当な意味で、ふつーの人には理解出来ないよね……、と内心でぼやきながら、セツナは大仰に溜息を零した。
でも。
「…………あのね、セツナ。僕はこれを、君に持っていて貰った方が嬉しい。女性向きの、華奢な懐剣ではあるけれど、少なくともこれは、君が一人で眠る時、君を『守る』、そういう意味で、とても適当なモノには成り得る。母の形見だからと、君は遠慮を見せてくれるけれど、両親の形見の一つだからこそ、君に持っていて欲しいと僕は思う。………………『約束の期限』は、三年。三年が経てば僕と君は、共にこの大地より立ち去る。……それまで、高が三年だ。でも。されど、三年。三年間、僕は君を、『この国に貸す』のだから。僕が傍にいられない間、君に『怖い』想いをさせない為には、両親の形見の一つ、という『神通力』を借りても、未だ足りないくらいだ。……だから。ね?」
セツナより、溜息と辞退が洩れても、カナタが引き下がることはなく。
諭すように彼はそう告げて、受け取れぬとセツナが押し戻し掛けた懐剣を、その胸に抱かせた。
「むー…………。そんな風に言われちゃったら、駄目って言えなくなるじゃないですか……。ホントに、いっつも狡いですよね、カナタさんはーっ」
「そう? 僕は、そんなに狡い? そう言われるのは、一寸心外なんだけどなあ」
「狡っこって言うか……。……まあ、いいんですけどね…………。──ホントのこと言っちゃうと、凄く申し訳ないなあって思いますし、貰うって言うのは気が引けますから、三年間、これ、預からせて下さい」
「だから、そんな風に思うことないって、僕はそう言ってるのに。……でも、受け取るのは困ると言うなら、三年と言わず、ずっと預かってて。これから先、僕達は共にゆくのだから、僕が持っていても、君が持っていても、同じこと」
そうして彼は、ころん、と膝上のセツナをシーツの上に転がし、抱き抱えさせたそれを袋に仕舞って、枕の下へ押し込むと。
「さあ、そろそろ休もうね。この分なら、セツナ、朝にはご飯食べられそうだし」
己も又、夜着に着替えて、数刻前のように、『小さな彼』と枕を並べ、傍らに沿った。