カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『目指したものは』

必要最低限の物さえも、要らない、とでも云う風に。

持つべき物など何も無い、そんな出で立ちでその部屋を去ろうとしていた男の背中に。

「一寸、付き合ってよ」

それまでは、唯、じっと、気配を殺していたカナタ・マクドールは、不意に声を放った。

その時放たれたカナタの声は、トラン建国の英雄と云う肩書きを持つ『伝説の英雄』らしくもなかったし、ハイランド皇国と戦い続けて来た同盟軍の面々が良く知る、人を食ったような態度ばかりを見せる普段の彼からは想像も出来ないような、そう云った意味でも、やはり『らしく』ないそれだったけれど。

「……ん? 何処へだ?」

何の気配もしない部屋の中に、一人いた筈の己の背後より、カナタの声が唐突に湧いたことにも、その声が、何処からしくないことにも、心のさざ波、一つ立てず。

──伝説の剣士、と名高い彼、ゲオルグ・プライムは振り返った。

「ん? ……一寸、ね」

振り返った彼を見上げ、ほんの少し、笑みを作り、カナタは言う。

「別に、構わんぞ」

──つい先日、ハイランドの皇都、ルルノイエを陥落させ、本拠地へと凱旋して来た同盟軍は、今宵、盛大な戦勝の宴を催している真っ最中で、だと云うならばカナタは、酔っ払い共に『絡まれ』、囲まれているだろうセツナの傍らに、『べったり』している筈なのに、何故、今だけは人気の絶えた兵舎に顔出したのか、とか。

そう云ったことを、一切尋ねもせず、ゲオルグは、カナタに答えた。

すればカナタは、もう何も言わず、くるりと踵を返し、兵舎の外へと向い出し。

ゲオルグも又、無言の内に、カナタに付き従った。

先を行くカナタと、それに従ったゲオルグの向かった先は、今は誰もいない、訓練場の、道場だった。

そこへと辿り着き、広いその場所の、中央に佇み、くるりとカナタは、伝説の剣士を向き直る。

「……貴方のことだから。誰にも何も言わず、戦いが終われば消えるのだろうと、そう思ってね。だったら、その前に、捕まえておこうかと」

「成程。それで?」

「以前、言っていたろう? この戦いが終わるまでに、何処かで『勝負』は付けておくか? と。貴方自身が。…………だから」

向き合い、語った言葉に、短い声を返して来た彼へ、カナタは『今宵の理由わけ』を告げ。

「暇があって、乗り気になったか?」

カナタが推測した通り、デュナンの戦いでの仲間だった者達に、何一つとして言わぬまま、今宵、この城を去る為に、旅支度を整えていたゲオルグは、すらりと腰の太刀を抜いた。

「ま、そんな処かな」

故に、カナタも又。

手にしていた棍を握り直し、ふわりと構え。

「もしかしたら。又、世界の何処かで、貴方と僕は、巡り会えるかも知れない。けれど、もしかしたら。もう二度と、今宵を限りに、貴方と僕は、巡り会えないかも知れない。………………だから、ね。今宵の内に」

トン……とカナタは。

道場の床を蹴り、跳躍中に振り上げた棍の先を、ゲオルグ目掛けて降り下ろした。

「そうだな。先のことなど、誰にも判らん。俺にも、お前にも」

首の付け根目掛けて降りて来た棍の先を、カン、と金属の触れ合う音させつつ弾き返し、ゲオルグは頷き。

カナタは打ち込みを続け。

ゲオルグは、それを避け続け。

彼等は暫しの間、緩慢過ぎるやり合いを、続けていたけれど。

「世の中なんてものは、一寸先は闇だって言葉。これは、真実だからねえ。やるべき時に、やるべきことはしておかないとね」

「同感だ。前だけを向いて歩く者に、後ろを振り返っている暇なんぞ、何処にもない。…………だがな、カナタ。……カナタ・マクドール。今、この瞬間『も』、真実そう思うなら。本気になった方がいい。まあ、尤も? 本気にならぬままこうしていた処でお前は、要らん怪我すらしないような奴なのだろうが」

────やがて。

幾度となく、降り下ろされる棍の先を。

ニの太刀要らず、との異名に反するような太刀捌きでのみ弾き返し続け。

例えでも何でもなく、本当に、唯、ふわり……とだけ下ろされた天牙棍の梢端シャオドゥアンを、バチリと音立てさせて、左手で掴み。

ゲオルグは太刀を下ろした。

「………………僕は……」

ゲオルグが太刀を下ろせば。

カナタも又、その身の力を抜き。

するりと指が開かれたが為、ゲオルグの手より離れた棍を戻し。

ぽつり、と呟いて。

「……僕は、貴方に。詫びを告げた方が、いいのかな……?」

僅か、小首を傾げながら。

僅か、困ったように笑んで。

詫びを……? と彼は、伝説の剣士を見上げた。

「…………詫び、な。無用だな」

──問われたゲオルグは。

音立てて、太刀を鞘へと戻しながら。

そのようなものは要らぬ……と。

ゆるり、首を振った。

※ 梢端=しょうたん、又は、シャオドゥアン。棍の上部のこと。棍の先端から計って、約六分の一までの部分。