詫びなど要らぬ、と告げ。
どかり、その場にゲオルグが腰を下ろせば。
すすっ……とその傍らに寄って、同じく床へとしゃがみ込み。
「ばれるとは思ったんだけどねえ……」
棍と、己が両膝を抱え込むようにしながら、カナタはおどけてみせた。
「当然だな。────で? カナタ。お前は俺に、誰を重ねて、重ねた誰に、何を求めたかったんだ? ……まあ大方、テオに何かが言いたかったんだろうが。…………残念ながら、俺は、テオ・マクドールではない。そうだろう? カナタ・マクドール?」
すれば、ふざけているようなカナタの声に呼応するように、ゲオルグも又、愉快そうな声音を放って。
「言われなくても判ってるってば。だから、詫びた方がいいのか、って訊いたんだよ、僕は」
刹那、ゲオルグに告げられた台詞に、何処となく機嫌を損ねた風な顔を、テオの息子はしてみせた。
そうして、彼は、ぽつり、ぽつり。
「もうねえ……五年──ああ、そろそろ、六年前になるのか。…………明日、グレッグミンスターの城に上がって、皇帝に目通りをするって夜に。生まれて初めて、父上と一緒に、酒を飲んだ。父上とそんなことをしたのは、あれが、最初で最後、だった」
…………そう、本当に、ぽつりぽつり、と。
何処か遠い目をして、昔話を口にし出した。
「……それで?」
「謁見を果たした翌朝、父上は北方に行ってしまったから、二度と、父上とそんな風にする機会は僕にはなかった。……あの夜、結局父上に告げることが出来なくて……何時か、って。そう想った言葉を、そのまま、永遠に告げること出来なくなるなんて、あの頃の僕は思いもしなかった。──何時か、僕が『大人』になって、『強く』なったら。その時、父上に告げたかった言葉を、僕はもう、告げられなくなってしまった」
「…………そうだな。それを聞き届ける者は、もうこの世にはいない」
「……ああ。──もういない、この世には。父上は、この世にはいない。……でも、告げられなかった言葉だけは、宙に浮いてしまって。疾っくの昔にそんなもの、置き去りにして来たつもりだったのに。父上のことを良く知っている貴方に巡り会ったら、段々……ね。宙に浮いてしまった言葉が、僕の足許に降りて来てしまって。……だから……ここを去って行く貴方とやり合ったら、貴方の向こう側に見えるだろう父上に、浮き続けた言葉を、伝えられるかと……思って…………。────悪かったな、って、そう思ってるよ。思ってるんだけどね……」
「成程な。………理由は、良く判ったが。俺に言われずとも、判っているんだろう? 俺は、テオではない。そんな風に俺とやり合った処で、俺の向こう側に、テオが見えるとは限らん。…………なのに、何故?」
訥々と語られた、昔話と想いを聴き終え。
ゲオルグは微かに頷いてみせたけれど。
でもそれは……と。
彼は傍らの、カナタを見下ろした。
「そんなこと、決まってるだろう? 僕の中の父上が、貴方のように、強い人だったから。それが、理由」
見詰められたカナタは、ゲオルグの瞳を捉えて、くすりと笑った。
「……まあ、確かにな。確かにアレも強かったが……。俺とアレでは、似ても似つかん。剣の話だけではなく。質にしてもそうだ。俺は浮き草だが、あいつは愚直な奴だった。だから、そう言う意味では、俺よりも強かったし。俺よりも、弱かったし。…………そう。俺達は、似ても似つかん」
愉快そうに、カナタが笑うから。
ゲオルグは、肩を竦め。
「カナタ?」
「……何か?」
「お前はテオに、何を告げたかったんだ?」
笑み続けるカナタに、彼はそう問うた。
「…………父上に、何と告げたかったか?」
故にカナタは、ふっ……と、面差しの色を塗り替え。
「沢山、あるよ。……山程、ある。…………父上に──父様に告げたかったことなんて、数え切れない。──父様、僕は。貴方のような、軍人になりたい。父様、僕は。貴方のような、人になりたい。…………そんな風にね。……僕は、あの人のようになりたかった。それが、良いことなのか、悪いことなのかは兎も角。あの頃の僕は、あの人が僕に望むだろう道を歩いて行きたいと、そう思っていた。あの頃の、僕はね」
ほんの少しだけ、悲しそうに、彼は、そんなことを。
「………………昔、テオに。お前がどれだけ自分に懐いているのか、散々聞かされたもんだが。聞いていた以上だな。──テオも、随分と『素直』な息子を持ったもんだ」
そんなカナタにゲオルグは、僅か呆れを返し。
「……うるさいよ。余計な世話だ」
カナタは、ムッと瞳を細め。
「事実だろうが」
「…………まあね。──親友のテッドと出会うまで、僕の世界はどうしようもなく狭かったし。父様は、狭い僕の世界の中で、絶対の存在だった。…………あの頃の僕は、唯。父様の息子として在りたかった。唯、それだけだった。だから、今でも、告げられなかった言葉は宙に浮き続けて。でも、もうあの頃程、僕の世界は狭くはないし、僕はもう、『父様の息子』ではないから。何処かに置き去りにして来たのに、浮き続け、足許に降りて来た言葉を、何とかしてしまいたくて…………」
表情とは裏腹な、少々力ない声で語り、彼は面を、抱えていた膝の上に伏せてしまった。
「……泣いても、構わんぞ? 俺は」
──そんな風に、顔を伏せてしまったカナタに、ゲオルグは、素っ気無い言葉を掛けたが。
「何故? どうして、僕が泣かなければならない?」
カナタは姿勢を変えず、くぐもった声で言い。
「…………だと言うならば」
ゲオルグは何か、物言いた気な表情を、刹那拵えたけれど。
パッ……と、徐に立ち上がって、カナタの襟首を引っ掴み、猫の子を立たせるように持ち上げ。
「決着でも、付けておくか」
持ち上げた時同様、パッと唐突に、引っ掴んだカナタの襟首を離すと彼は。
再び、腰の太刀を鞘より抜いて、ニタっと笑いながら、相手の鼻先に、太刀の切っ先を突き付けてみせた。