カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『千夜一夜 2』
音もなく開き、音もなく閉まった扉から、滑り込むように室内に入って来た彼を、その部屋にいた者達全員が、一斉に眺めたから。
眺められた彼は一瞬、おやおや、そんな風に肩を竦めて苦笑して、空いていた最後の椅子へと、彼にしては珍しいことに、随分と乱暴に腰掛けた。
「眠ったよ、やっと」
見詰める視線を一身に受けても、何も言葉を発することのなかった彼は、椅子の上で一心地付いてから、漸く『報告』をする。
「判ってはおります…………が。何が遭ったのですか? マクドール殿」
──やっと、『あの子』が眠った。
そう言って、ほう……と溜息らしき物を付いた彼──トラン建国の英雄カナタ・マクドールに、先日、長きに亘ったデュナンの地に於ける統一戦争に勝利という形で幕を引いた同盟軍の正軍師、シュウが。
何が遭ったのか判ってはいるけれど、『本当に』何が遭ったのか、それを、唯一その目で見て来た貴方の口から聞きたい、と言ったから。
「……判っているなら、訊かなくてもいいと思うけど。──あの子は……セツナは、自分で自分の決着を付けて来ただけだよ。親友と再会を誓ったという約束の地に赴いて、その親友との再会を、約束通り果たして…………そうして、あの子の親友ジョウイ・ブライト──ああ、ジョウイ・アトレイドって言った方がいいのかも知れないけれど……兎に角、そのジョウイ君は死に、セツナは生き残って、『始まりの紋章』は一つとなり、セツナの右手に宿った。…………『それだけ』、だけど?」
それを訊いてどうする? ……そう言いたげにカナタは、尋ねて来たシュウにも、黙って話に耳を傾けている他の者達にも、何処か冷たい一瞥をくれた。
かつてのジョウストン都市同盟とハイランド皇国との間に起こった戦争──ルカ・ブライトが『復讐』の為に引き起こした戦争──が、同盟軍側の勝利で終結してより数日後。
この大地に起とうとしている新国の国王に、と人々に請われた盟主セツナは。
「御免なさい。一寸、時間を貰ってもいいかなあ?」
と人々に告げ、同盟軍居城より姿を消した。
カナタ・マクドールと共に。
消えてしまった彼を、城の者達は、その九割が行方と身の両方を、一割が身だけを案じつつ、戻って来るのか来ないのか、数日間、唯じっと、その帰りを待ち侘びていたけれど。
セツナが消えて三日後の午後になって、人々が待ち侘びていたセツナは、カナタに半ば抱き抱えられるようにして、帰城した。
だから、シュウを始めとする同盟軍の主だった者達──ビクトールやフリックといった面子は、誰にも何も答えずセツナを部屋に連れて行ったカナタが、彼を寝かし付けて降りて来るのを待って。
この三日の間に一体何が遭ったのか、それを今、聞き出そうとしている。
三日前、セツナの身に起こったのは『それだけ』のことだ、と、あっさりと言って退けたカナタを向き直り。
「……ジョウイは……死んだのだな……?」
改めて、ジョウイの死を『確認』したのは、意外にもルカだった。
ルカ・ブライト──かつて『狂皇子』と呼ばれ、が今は、ルカという名しか持たぬ遊歴の戦士として、同盟軍の居城に留まっていた彼が。
「ああ。確かに。…………流石に、ジョウイ君が死んだことに、何らかの感慨でも持った?」
正軍師であるシュウでも、在りし日のジョウイを知る傭兵達でもなく、『ルカ』が真っ先に口を開いたことを揶揄するように、カナタはほんの少しばかり、意地の悪い笑みを浮かべた。
「……そういう訳ではない」
何処か嫌味とも取れるカナタの口振りに、閉口したようにルカは返して、そして押し黙った。
「そうか……。あいつ……逝ったか……」
押し黙ったルカの代わりに、逝ってしまったジョウイの姿を思い出しながら、ビクトールが呟いた。
「……やり切れない、とまでは言いたくないが…………」
ビクトールに倣って、フリックも又。
「そうだね。やり切れない、とは僕も言いたくはないかな。やり切れない、そんな風に言ってしまったら、セツナが不憫だ。……この結果は、あの子が自ら選んだ先にあった、運命だから。やり切れないなんて言ってしまったら、あの子が選んだ道すらも、やり切れない、そう言わなきゃならない。例え最初から、何も彼もが『やり切れない』モノだったとしても」
それぞれ低く呟いた、腐れ縁の傭兵コンビへと眼差しを送って、カナタはそう言う。
「傭兵砦で、あいつらと過ごしてた時は……こんなことになるなんて、これっぽっちも思ってなかったんだがなあ……。川岸に打ち上げられてたセツナの奴を、拾った時は……こんなことが待ってるだなんて……これっぽっちも思わなかった……」
──あの子が選んだ道。
そんな単語を、その時カナタが口にしたから。
ビクトールは座っていた椅子の上にて身を捩り、腕を組んで天井を眺め。
少年達と出会ったばかりの頃に、思いを馳せた。
「誰に責があるという訳じゃないし。始まりが何だったのかも、今となっては定かではないんだろうけど。──もしも、始まりがあるとするなら、僕の時のように、天魁星拾い運抜群のビクトール達にセツナが拾われたのが、始まりだったのかもね」
今となっては懐かしい十数ヶ月前のことに想いを馳せながら、遠い目をビクトールが見せたので。
重たくて重たくてどうしようもない正軍師の部屋の雰囲気を、多少なりとも明るくしようとしたのか。
傭兵の言葉尻を取って、カナタが軽い口調で言った。
「…………いや。全ての始まりは、あの、天山の峠だろう。だから多分……全ての始まりの責は、恐らくは俺にある」
……が。
カナタが作ろうとした雰囲気を壊してしまう風に、低く重く、ルカが囁いた。
「天山の峠、か。…………そうだな。それが全ての、始まりだったのだろうな、恐らく。だからと言って今更、お前に全ての始まりの責があると、責めようとは私は思わないが」
そんなルカを、何処か宥めるように言いながら。
すっとシュウが立ち上がった。