カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『鋼鉄の箱 ─或いは聖女と毒婦の共存─』
南大陸に於ける大国の一つ、ファレナ女王国。
────の中央より若干だけ東南に位置する巨大な湖『セラス湖』の、やはり東南部の湖岸寄りの位置に、湖面に浮かぶように建造された遺跡。
……そこが、今現在、有力貴族の筆頭だったゴドウィン卿達が引き起こした軍事政変の所為で、ファレナを二分している内乱を戦い抜いている、彼の国の王子シュユ率いる奪還軍の者達が本拠地に定めている場所だ。
その遺跡は、世界各地に伝説を残している謎の一族、シンダルが建造した物だそうで、セラス湖そのものも、件の遺跡を隠す為にシンダル族が拵えた人造湖であるらしく。
そんな、大袈裟なまでに大掛かりな遺跡──要するに、広くて行き来が面倒臭い本拠地の中を、その日の真夜中近く、ロイは、シュユを捜して、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ、としていた。
────自業自得が招いた運命の所為で、シュユを主に頂くその軍の一員となったロイの現在の役目は、偶然にも瓜二つだった顔を生かした王子殿下の影武者だ。
それに加え、少し前、やはり自らやらかしてしまった一寸したお節介その他諸々の所為で、彼は、シュユの悪友兼躰と躰のお付き合いに耽る『爛れたオトモダチ』でもある。
さりとて、悪友関係は兎も角、爛れたオトモダチ関係はいい加減解消したい、と心底願っているロイが、本拠地内を行き交う人影も絶えた時間にシュユを捜し歩くのは、かなり珍しい事態と言えた。
何故なら、イケナイことを企むにも、イケナイことに耽るにも適した深夜に、自らシュユの許に赴こうものなら、何とかして終止符を打ちたい『爛れたオトモダチ』関係に、強引に傾れ込まされてしまうので。
……でも、そうと判っていて尚、その夜のロイは、シュユを捜して本拠地内を彷徨い歩いていた。
どうしても、彼のことが気になって仕方なかったから。
────何時如何なる時でも、まるで絵に描いたような、さも、お伽話の中に出てくる理想の王子様であるかの如く振る舞い、ファレナ中で、公正無私で寛大で人格者な王子殿下、と讃えられつつあるシュユが、実は人としてド最低で、下半身に欠片も節操がなく、且つ、旺盛過ぎる性欲を持ち合わせている暴君だと知って。
何故に、シュユがそこまでの駄目人間なのかの理由
それを切っ掛けに、ロイが、彼との間に悪友関係を築いてよりも、それまでに同じく、沢山の出来事が起こった。
強制的に即位させられた、シュユの実妹であり現女王、リムスレーア・ファレナスの親征戦にて、奪還軍は、リムスレーアを取り戻す為の策を講じたが、それは、彼等兄妹の叔母、サイアリーズの裏切りによって失敗に終わった。
その際に、身を挺してシュユを庇った彼の護衛のリオンが、瀕死の重傷を負った。
そんな中、餌で釣られたらしいファレナの敵国──アーメス新王国が、ゴドウィン達と手を組み、各地の都市を制圧し始め、シュユ達も、一度は、本拠地を放棄する道を選択する羽目になった。
…………とは言え。
一時は、このまま助からぬのではないか、と危惧されたリオンの容態は、シュユ自ら、ファレナの最も西にある、『青き薄明の森』の中に眠るシンダル遺跡を訪れ、更なる力を引き出すこと叶えた、彼が右手に宿す『黎明の紋章』によって、回復に向かいつつある。
女王親征戦を切っ掛けに、軍に加わった女王騎士のガレオンより、前女王と女王騎士長──シュユの両親の死の真相が明らかにされ、軍内の一部に不協和音を齎していた、その辺りのことに絡む諸々の誤解や行き違いも解けて。
一度は明け渡した本拠地とて、正軍師ルクレティア・メルセスが立てた策に従い、敢えて夜逃げの真似事をしたようなものだったから、仲間達の想像よりも遥かに容易く奪い返せた。
──が。
主立った物のみに絞っても、これだけのことが立て続けに起こった今、幾ら、人としてド最低に出来上がっているシュユと言えど、流石に落ち込んだり悩んだりしてしまっているのではないか、と、結局の処はお人好しに出来上がっているロイは考えてしまって。
だから、彼は今、シュユを。
それに、女王親征戦の直後、シュユを庇ったリオンが……、と知った彼は、思わず、シュユ相手に人目も憚らず罵声を浴びせた挙げ句、胸倉を掴み上げる真似までしてしまっていたから。
……あの時、自分がシュユに浴びせた言葉も憤りも、八つ当たりだったと、ロイ自身にも判っている。
命を賭して仕える者を守ること、それが、女王騎士見習いであり、シュユの護衛であるリオンの使命だと、頭では理解出来ていた。
但、感情が納得してくれなかった。
ロイは、彼女へ、仄かで淡い恋慕を寄せているから。
使命だとしても。リオンは、それで満足だとしても。そんなこと、ロイは解りたくなかった。
実の処、シュユの方が、護衛の彼女よりも武芸の腕は勝っていると知っているから殊更に。
だが、あの時、リオンのことを案じて医務室前に集った仲間達の目の前で、軍主でもある王子殿下をぶん殴り掛けた彼を諌めた女王騎士カイルの言葉通り、確かに、シュユを責めて詰るのは、リオンを侮辱することになるし、シュユ相手に言っていいことではなかった、と思い至れる程度、あれから暫くの時が経った今では、ロイの頭も冷えたので、あの時のことを謝ろう……、と殊勝なことすら、彼は考えていた。
だのに、漸く、「謝ろう!」との踏ん切りを付けたその夜に限って、シュユの姿は、自室は疎か、本拠地内の何処にも見当たらず、
「ったく……。何処行きやがった、あの馬鹿」
いい加減に姿を見せろ! と周囲の迷惑顧みず、ロイは、深夜故に静まり返った城内の片隅で思わず怒鳴り。
……それから、幾許かが経った頃。
ようやっと、ロイは、捜し続けていたシュユを見付けた。
────彼は、こんな時間にはラフトフリートの漁師達もいない、船着き場や釣り場の更に奥、居住区側からは死角になっている桟橋の隅の、その又隅にいた。
部屋着にも着替えず、何時もの、赤を基調とした、シュユ曰く『目立つだけが目的の、防護もへったくれもない、そういう意味で全く役に立たない戦服』を纏ったまま、普段は緩い三つ編みにされている長い銀髪を解れさせて、桟橋の端に腰掛け足を組み、セラス湖の主である巨大な白蛇、ビャクレンだけを供にして。
その大きさ故に、ビャクレンは、シュユに並び座ることは叶わぬから、性別は女性であるらしい『彼女』は、その身の大半を湖に沈めたまま、鎌首を擡げる風に、頭と首の少々だけを湖面より覗かせており、シュユは、そんなビャクレンの頬に右手を添え、抱き寄せていた。
──ビャクレンも、シュユの宿星の一人──と言うべきか、一匹と言うべきか──であるのは、ロイも承知している。
人に照らし合わせて例えれば、大層美しい女性、と相成るのも。
事実、蛇や蜥蜴の類いに愛着を感じない彼の目にも、ビャクレンは美しい蛇に映る。
だが、正直な話、セラス湖の主であり自身の宿星とは言え、人間など軽く丸呑み出来る、斯くも巨大な白蛇と、恋人同士か何かのように寄り添っていられるシュユは、悪趣味だ、と、その光景を目撃したロイは咄嗟に思った。
けれども、声は掛けられなかった。
彼と一匹を見掛けたその場から動くことも出来なかった。
今宵が満月の所為だろうか、湖面も、シュユに寄り添うビャクレンの白い肌も、解れ乱れた彼の銀髪も、やけに輝いて見えて。
口許に、薄らとした笑みを刷いている彼が、どうしてか、酷く妖艶に感じられて。
捜し続けていた相手を漸く見付けたと言うのに、ロイは、声を掛け倦ねた。