「…………どうした、ロイ? 俺とビャクレンの逢瀬の、出歯亀に来たのか?」
唯、桟橋の隅に腰掛けているだけなのに。唯、仲間の白蛇と添っているだけなのに。
妖艶という言葉を思い出さずにいられない、何処か毒婦にも似た雰囲気を漂わせる彼を、少しばかり離れたそこから、ぼう……っと見遣ってしまっていたロイを、シュユが呼んだ。
「誰が出歯亀だ。……つーか。あんた、そこで何やってんだ?」
「見て判れ」
「判れ、ったって……。……あんた、マジでビャクレンと?」
「そうだ。逢い引きの最中だ。それが何か?」
「…………その蛇と、逢い引きねえ……」
「尤も、俺とビャクレンは、清くて純粋な関係だがな。お前とは違って」
「……一言余計。──そりゃそうと。……あー、のさ。そっち、行ってもいいか?」
「好きにしろ。但し、もう一度、ビャクレンを『その蛇』扱いしたら、セラス湖に叩き込むから、そのつもりでいろ?」
疾っくに、ロイがやって来ていることを気配で悟っていたのだろう。
シュユは、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべながら、首だけを巡らせロイを見上げ、冗談とも本気とも付かぬことばかりを口にする彼へ、肩を竦めて近付いたロイは、彼の傍らに、ドスンと音立てて腰下ろした。
「あ、ロイ。お前……」
その、粗雑な態度が気に入らなかったのか、それとも、シュユと二人きりの時間を邪魔されたのが嫌だったのか、ビャクレンは、「フシュ……」と小さく鳴いて湖中に姿を消してしまい、逃げられた……、とシュユはロイを睨み付ける。
「オレの所為かよ」
「ああ、お前の所為だ。……で? 何の用だ?」
「…………あーーー、その。えーー……。…………この間は、悪かった」
つい先程までは、妖艶な毒婦の如くだったのに、ビャクレンが、と未だ言うシュユの現在の風情は、本性丸出しの暴君で、こいつの機嫌がこれ以上悪くならない内に、とロイは、告げると決めた詫びを、早口で。
「悪かった? 何の……。──…………ああ、リオンのことか?」
「そ。それ。あの時、あんたが付いていながら何で、なんて怒鳴っちまったのは、八つ当たりだったな、って思ったからさ。一応、詫びとこうかと」
「……何時まで経っても、単純馬鹿だな、お前」
けれども、僅か小首を傾げて考え込んでから、彼が何に対して詫びているのかに思い当ったシュユは、ふん、と鼻で笑い飛ばした。
「あんたなー……。折角、人が殊勝に謝ってるってのに、何だよ、その態度」
「うるさい。ぎゃあぎゃあ喚く前に、『誰に対して』の詫びなのか、明確にしてから物を言え」
「は? 誰に、って……。あんたにだろうが。他に誰がいるんだよ」
「…………能く聞け、言葉も頭も足りない単純馬鹿。仕方ないから、お前にも判るように言ってやる。お前のその詫びは、『俺』に対してか? それとも、『王子さん』に対してか?」
「……………………えーーーと、だな。あー……。……王子さん、に対して」
毎度と言えば毎度の、けれど、頭を下げた身としてはカチンと来る彼の態に一度はムッとしたが、続いた科白に、彼の言わんとすることが理解出来たロイは、無事、『正解』を引き当てる。
「なら、受け取ってやる。有り難く思え」
「別に、有り難くはないけどよ。……うん、でも、そうだな。『王子さんとしてのあんた』には、悪かった。軍主相手に言っていいことじゃなかったし、やっていいことでもなかった。けど、あんたの悪友としては謝らねえからな。『シュユ自身』には、ぜってー詫びてやんねえ」
そうして、彼は、『王子さん』へ詫びるのは至極当然、とばかりに、偉そうに胸を張ったシュユへ、ベーー、と舌を出してやった。
「…………ふ……。あっははははは!」
と、途端、シュユは腹を抱えて大笑いを始め、
「な、何だよ。気持ち悪りぃな」
「ロイ。お前は本当に、下僕としては逸材だ」
突然どうした、と僅か後退ったロイを指差しつつ、桟橋の上に転がって笑い続けた。
「……なあ。それって、褒めてんのか? 貶してんのか?」
「さあ? そんなこと、お前が思いたいように思っとけ。俺の知ったことじゃない。……それで? お前の用は、それだけか?」
余程、ツボに嵌ったのだろう。
眦に涙を滲ませ、腹が捩れるまで笑い転げたシュユの高い声が収まるのを待って、文句を再開したロイへ、漸く身を起こした彼は、改めて向き直ったが。
「いや。何か、毒気抜かれちまった」
もう、どうでも良くなった……、とロイは肩を竦めた。
「そうか。なら言え」
「……ったく。本当に人が悪りぃよな、あんたって。────ここん処でさ、又、一寸、色々と起こり過ぎただろ? だから、まあ、何だ。あんたも、ちっとは思うことってのがあんじゃねえかな、と思って、ってだけの話」
「成程。俺が落ち込んでたり、やさぐれてたりしたら、慰めてやろうと思った、と。だが……、この場でお前に抱かせてやるのは、流石に俺の躰に負担が」
「……………………頼む、シュユ。頼むから、その発想から離れろ……。何で、何でも彼んでも、ソッチに行くんだよ……」
しかしシュユは、敢えて作った色っぽい顔をロイに近付け、こんな所でと言うのは……、と真剣に検討し始めた彼に、ロイは一層項垂れる。
「何でだ? 一番手っ取り早いだろう?」
「だーかーらー……。……って、ん? ……ああ、ってことは、やっぱり、あんたでも落ち込んでんだ?」
前のめりに項垂れ、全く、こいつは……、と心底呆れ、が、そこで漸く、ロイは、「ということは、そういうこと?」と気付き、シュユと似たり寄ったりの長さの己の茶髪の先が、湖面に付きそうになるまで倒していた半身を、元の位置まで戻したけれども。
「いや、落ち込んではいない」
別に? と、ケロリとした顔でシュユは言った。
「あー、そうですかー……」
「だが。諸々に腹を立ててはいる」
「……例えば?」
だから、益々ロイの呆れは深まり……、でも。
その代わりに立腹はしている、と低い小さな声でシュユが打ち明けたので、「ふぅん……」と、彼は金盞花色の瞳の奥を、僅か煌めかせた。
想像通り、この暴君にもあったらしい『思うこと』を、引き摺り出してやろう、と。
「………………さあ?」
「さあ、って。何だよ、言えばいいだろ」
「そこまでを、打ち明けてやる義理はない。例え、相手がお前でも」
されどシュユは、王子様然とした、邪気の欠片も窺えない、麗しい鉄壁の笑みを拵えながら、真っ向勝負でロイの追求を躱す。
「あの、叔母さんに腹を立ててる、から?」
「馬鹿言え。何で俺が、叔母上に腹を立てにゃならん。リムを取り返す策をぶち壊しにされた軍主としては、思う処もあるがな」
「じゃあ、ゴドウィンや、アーメスの連中に?」
「それも違う。あいつらに関しては、疾っくに腑が煮えくり返ってる。富国強兵だか何だか知らんが、腹の足しにもならない訳判らん理想の為だけに、俺の可愛い可愛いリムを、俺から引き離して軟禁した挙げ句に手駒の如く使うなんざ、万死に値するわ。何時か絶対、あいつら纏めて八つ裂きにしてやる。……って、あ。駄目だ。今のは無し。八つ裂きにしてやるよりも、殺してくれと泣き叫ぶくらいの目に遭わせてやった方がいい」
「……今は、あんたの妹馬鹿はどうでもいいから。それは、こっち置いとけ。──なら、誰相手に?」
「ロイ。くどい」
「そっちこそ。そうやって、何時でも何でも誤摩化しやがって。悪友の厚意くらい、素直に受け取れ?」
「断る。到底、そんな気分じゃない」
「…………それは、あれか? シュユ、お前が腹を立ててる相手が、自分自身だからか?」
そのまま暫し、互い瓜二つの顔を付き合わせる風にしながら、言い合いと腹の探り合いを続けてみれば、シュユとはあらゆる意味で濃過ぎる関係を築き上げてしまったのが功を奏したのか、彼が何に対して憤っているのかに気付け、ロイは、「これが正解だろ?」と、ニタリと唇の端を歪めながら言ってやった。