「……本当に、お前の口は、余計なことばかりを吐くな」

その、低い声での小さな囁きが消えて直ぐ、シュユは微かに顔を歪めた。

「そりゃ、お互い様だろ。オレが、余計なことばかりを言うってなら、あんたは、下らない誤魔化しばかり言ってる」

「お前の方が、質が悪い。今夜は特に。今夜のお前は、嘘しか言わない」

「嘘? 何が?」

「『お前の所為じゃない』」

「は? 何でだよ。実際、あんたの所為じゃないだろ」

歪めた顔でそっぽを向いたまま、絞るように告げ出した彼の言い分に、ロイは首を傾げる。

「…………リムを取り返せなかったのは、俺を庇ったリオンがドルフに刺されたからだ。ドルフがリオンを刺した──いや、刺せたのは、叔母上が裏切ったからだ。……で以て。叔母上が裏切ったのは、多分、俺の所為」

「だから。何で」

「叔母上は、俺の本当の顔を知らない。叔母上にとって、俺は、素直で、優しくて、自分の立場を弁えた振る舞いしか出来ない、可愛くて可哀想な甥っ子。……当然だな、俺自身が、そう思われるように仕向けたんだ。そして。何処までも、多分、としか言えないが。叔母上が裏切ったのは、多分、その所為だ。素直で優しいだけの甥っ子に、厳しくて汚い仕事が出来る筈なんかない。……そう思ったからだ」

「……だったら? だとしたって、あんたの所為じゃない」

それでも、有らぬ方を見遣ったままシュユは語り続け、だからロイは、溜息と共に、再び。

「あんたが、どうしようもなく面倒臭くて、駄々しか捏ねられない馬鹿なガキみたいな性分なのは、この国の所為だろう? あの人が、あんたや俺達を裏切ったのが、あんたの所為なら。全ては、あんたをそんな性分にしちまった、この、ファレナって国の所為だ」

「ファレナの所為じゃない。決して、この国の所為なんかじゃ」

「……シュユ。さっきも、今も。俺は嘘なんか言ってない。何も彼も、あんたの所為じゃない。敢えて言うなら、この国の所為。……いい加減、認めろって」

「…………認めろ? ファレナの王子がか? この国の、王家に生まれた俺がか?」

けれども。

その後も、今のシュユへ、誰かが告げてやらなければならないことの筈だ、とロイは信じた言葉を幾度か重ねたら、彼の綺麗な面に、はっきりと、純粋な怒りが浮かんだ。

「……あんた…………」

その、暴君故でもなく、祖国の王子故でもない、『シュユ当人』のものだろう怒りの表情を見遣って、ロイは、思わず憐れみの声を絞った。

「俺に、真実の意味で、この国に弓を引けと? …………出来る訳がない、そんなこと」

──頭上から降ってきた『悪友』よりの憐憫が、心底気に入らなかったのだろう。

その時、シュユは、絞るような声で明らかな本音を洩らし、その声に、その科白に、ロイは、「ああ……」と、改めて悟る。

シュユという彼の本性の、その核にあるモノを。

己が祖国の『本当』も、生家である王家の『本当』も、身を以て、嫌という程理解していて、祖国の本当に、王家の本当に、何時押し潰されてもおかしくない己も、嫌という程思い知っていて、それ故に、人でなしとして生きるしかないのに、そんな彼の内に在るものは、それでも、『ファレナ女王国』という祖国なのだ、と。

聖人君子の如くな王子様、という鋼鉄の箱の内側に隠された、『暴君としか例えようのない人でなしな本性』という、『もう一つの鋼鉄の箱』の中に仕舞い込まれているのは、祖国であり、王家であり、『王子でしかない己』。

…………きっと、それが、シュユの、本当に本当の本性なのだ。

だとするなら。

例え、何があろうとも、何が起ころうとも、彼に、祖国は捨てられない。

何時の日か、自身が押し潰され切っても。そうなると知っていても。

「…………なあ、シュユ」

「……何だ」

「あんた……、本当に、馬鹿なだけのガキだな」

────だから、己に押し倒されたままのシュユの面を見詰め直したロイは、唇に触れるだけの接吻くちづけを落とした。

「ロイ。訳が判らない」

「何で?」

「それは、俺の科白だろうが。な・ん・で、俺が、お前如きにキスをされにゃならん? そもそも、今のはどういう意味だ?」

「あー…………。……何となく?」

今直ぐにでも断ち切りたい『爛れ切ったオトモダチ』関係でもある彼相手に、子供染みた接吻なぞをしてしまった理由は、ロイ自身にも明確には判らなかった。

但、どうしてか覚えてしまった、彼に対する庇護欲のようなものに起因しているらしいのは朧げながら掴めて、けれど、それを馬鹿正直に告げたら、暴君に何をされるか判らない、と思ったロイは、咄嗟の嘘と共に作り笑いを浮かべたが。

「そうか。そんなに、ビャクレンの餌になりたいか」

「あんたさ、オレも、あんたの宿星の一人だって、覚えてるよな? ──本当に、何となくしちまったんだって。何となくっつーか……、甘やかしてやらないと、みたいに思っちまったっつーか。…………だから」

その嘘も作り笑いもシュユの癇に障ったらしく、暴君の一面を剥き出しにした彼の、碧い瞳に残忍な光が灯ったのを見て、ロイは渋々、本音の一端を口にする。

「甘やかす、だぁ? 俺の下僕のくせに、保護者気取りか?」

すれば、シュユは酷く嫌そうに顔を顰め、けれど、それ以上は何も言わず、何もせず、

「……なあ、シュユ。今夜、あんた捕まえてオレが言ったことの全部、嘘でいい。あんたの言った通り、今夜のオレは、どうしようもない嘘吐きでいい。……だから、さ。これだけは自覚しろよ。あんた曰くの下僕に、甘やかす、なんて抜かされても、悪態付くしか出来ないくらい、疲れてるんだ、って。それだけは認めろよ」

本当に、本気で面倒臭せぇ王子さんだな、と嘆息しながらも、ロイは言った。

今宵のように、何だんだで、こんな風に暴君な彼を世話を焼いてしまう自分の、お人好しさ加減にも呆れつつ。

「ここでなく、俺の部屋で一戦付き合うなら、認めてやってもいい」

「……あんた、な。マジで、いい加減にしろ?」

「お前に拒否権はない。若者らしい運動に励んで、ぐっすり眠った方が健康的だろうが。明日の朝、確実に爽やかな目覚めを迎えられる。──それに」

「…………それに?」

「『ロイの目には、疲れているように映る僕を、慰めてくれるんでしょう……?』。……違うのか?」

「うわー……。今、本気で虫酸が走ったぜ…………」

「そりゃ良かった」

と、シュユは、にっこり、と、ニタリ、の丁度中間のような微妙な笑みを拵え、毎度の誘いを掛けてから、至極わざとらしい儚い声と仕草を操り出し、「気色悪りぃ!」と思わず首筋を掻き毟り始めたロイを、指差して笑った。

「ほら、行くぞ。何時までも喚いてないで、とっとと歩け、ロイ」

そうして、さっさとロイの下から抜け出した彼は、するりと立ち上がって、拘束を解いた時点でお前の負けだと、曰く『下僕』の二の腕を引っ掴み、己の部屋目指して歩き始める。

「知ってたけど、あんたって、えげつねぇよなー……」

「そんなに褒めるな」

「……褒めてねぇ。これっぽっちも」

「俺にとっちゃ、褒め言葉にしかならないが? 楽しい生き方だからな」

だから、引き摺られるに任せ、正直な感想を告げてやったのに、くるりと振り返ったシュユは、あっけらかんと言い、今度は、聖女の如き笑みを頬に刷いたから。

ロイは、足だけは運びながら、諦めの境地で真夜中の空と真円を描く月を仰いだ。

こいつ相手に同情なんか、するんじゃなかった、と思いつつも。

同情しか出来ない。──そうも思って。

End

後書きに代えて

カナタとセツナの世界に生きてる、ファレナの王子殿下の話@第二弾。

益々、ロイ君の犠牲者具合に拍車が掛かった。

何て可哀想なんだろう、うちのロイ。

シュユも、不憫っちゃ不憫だけど。主に私の所為で。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。