────途端。

「…………ロイ?」

確かに少年であるのに、聖女の如くな穢れなき笑みを湛えたシュユは、仲間達を誑かす時に能く使う、耳障りの良い極上の声でロイを呼び。

優雅に持ち上げた右手の指先に、渾身以上の力込め、ギリギリと彼の頬を捻り上げた。

「ん? ──────いっでぇぇぇぇぇ!! 離せ! 離しやがれ!! 痛てぇだろ、何すんだ、この馬鹿!」

涙が滲んできた程の痛みにロイは悶え、喚きつつ両腕を振り回して暴れたが、どうしてか、シュユの手からは逃れられず、

「ロイ。やっぱり、お前も、他の連中と同じ人間だな」

捻り上げてやったそこが、真っ赤に腫れ上がったのを目で確かめてから、漸く、シュユは彼を解放した。

「いってぇぇ……。……何なんだよ、っとに……。…………そりゃそうと、今の、どういう意味だ?」

聖人そのものな笑みだって作れるくせに、中身は暴君以上に暴君なシュユに、この狼藉に対する怒りや苦情を訴えても徒労に終わるだけ、とも知っているロイは、ヒリヒリと痛む顔を押さえながら些細な愚痴を垂れることで全てを流し、たった今、その暴君が洩らした「他の連中と同じ」との言い草に、少々ムッとしてみせる。

「……ああ、悪い意味で言ったんじゃない。言葉の意味そのものを言っただけのことだ」

「………………? 言葉の意味、そのもの? へ? オレも人間、って意味……か? ……そりゃそうだろ。何、当たり前のこと言ってんだよ」

「その、当たり前が気に喰わない」

「……えーと。オレが人間だってことが気に喰わねぇ、とか言われてもな? ……って、まさか。あんた、オレが人間だから、千切れるかと思ったくらい、オレの顔を抓りやがったんじゃねえだろうな?」

「いや? その、まさかだ。何か文句があるのか?」

「…………あるに決まってんだろうがよ……。人間ってことだけで、オレは、あんな目に遭ったってのかよ。……シュユ。あんた、何時も以上に頭どうかしてんじゃねえの?」

「頭がどうかしてるのは、お前だ。……そうじゃない。そういう意味でもない。お前も、人間だから。他の連中と同じ、ものを言う口があるから。だから」

「……あー。そういう意味、ね」

だが、聖女の如き笑みは湛えたままのシュユが、つらつら語ったことから、ロイは、「要するにこいつは、オレが、正しい指摘をしたのが気に喰わなかった訳だ」と項垂れた。

「口なんぞがありやがるから、どいつもこいつも、余計なことや、碌でもないことばかりを、その口から吐き出す。……大嫌いだ、人間なんて」

「あんたも、その、人間だろうが」

「俺は、別」

「へーへー……。そうですねー。自分だけを棚に上げられるってのは、得な性分ですなー」

「悪いか?」

「いや。悪かねぇけどよ。……ああ、そうか。だから、あんたはビャクレンが好きな訳だ。人の言葉を話さねえから」

「…………ま、そうとも言う。……ビャクレンは、あれでいて淑女で、綺麗だしな。俺には懐いてるし、何より、余計なことを言わない。お前みたいに、俺が腹を立ててるのは俺自身、とか何とか、要らん指摘もしない」

すれば、人語を喋る口を持つ人間など、誰も彼も大嫌いだ、と吐き捨てるようにシュユは言い、聖女のような笑みも雰囲気も、全て綺麗に掻き消し無表情になって、じっと、ビャクレンが身を沈めてしまった辺りの湖面を、瞬きも忘れた瞳で見下ろした。

「……ったくよー……。シュユ、あんたはどうして、そんななんだよっ」

そんな彼の風情に、「あーもー!」とロイは喚き、傍らの彼の両肩を引っ掴むと、ダン! と強い音が周囲に響いた程の勢いで、その場に押し倒す。

「ロイ。お前からの初めての誘いだ、乗ってやってもいい。寧ろ、望む処だ。が、さっきも言った通り、流石にこの場では、主に俺の躰の負担が」

「知るか。今、ここで、オレのいいようにされたくなけりゃ、うだうだと、少なくとも悪友相手には聞かせられる程度でしかない、上っ面な言葉ばっかり垂れてねえで、本当に本当の、言いたいことってのを言え」

「ふざけんな。何で、俺がそんなことを白状しなくちゃならない? 第一、俺が、お前相手にいいようにされる訳がないだろうが」

「だったら、逃げてみろ。……逃げてみろよ。オレなんかに好き勝手にされるような、あんたじゃないんだろ?」

固くて背に痛い桟橋の上に押し倒され、身動きすら出来ぬように伸し掛られても、シュユは、不敵に笑って挑戦的な物言いをし、だから、ロイも見下ろした彼を嘲笑ってやった。

「ほら。やれるもんなら、やってみろ。…………ほんっと、面倒臭ぇ奴だよな。あんた、本当は、逃げる気なんかないんだろ? 誰かに打ちまけたい本音を、本当に打ちまける気もなくて、でも、叶うなら吐き出しちまいたくて、だけど、そんなこと、どうしたって出来ないから。どうでもいい話ばっかりオレに聞かせて。それこそ、さっき言ってたみたいに、あんた曰くの『一番手っ取り早い方法』とやらで、何も彼も、流しちまいたいんだろう? こうやってオレに押し倒されて、実は願ったり叶ったりなんだろ? いい加減なことや、オレを怒らせるようなことを言い連ねときゃ、オレが、怒りに任せてメチャクチャな真似するかも、って。その腹の底で、計算してんだろ?」

「…………お前の言う通りだとして。だったら、ロイ。そこまで判ってるくせに、何で、俺の計算とやらに乗った」

「仕方ねえだろ。あんたは面倒臭い奴だし。悔しいけど、或る程度までは乗ってやらなけりゃ、尻尾も掴めねえからな。……でも。全部は乗ってやらねえ。…………言ったろう? 今、ここで、オレのいいようにされたくなけりゃ……、って。あれは、あんたの手に乗ったから言った訳じゃない。上っ面なことばかり聞かされるのには、もう、うんざりだからな。本当に、いいようにしてやる」

「……どうやって」

「あんたが、絶対に嫌がるやり方で抱いてやるよ。相思相愛の恋人同士みたいに、優しく優しく抱いてやる。……あ、そうだ。愛してる、とかも言ってやろうか? 惨めだよなー、あんたにとっちゃ、格別に」

そのままの顔で、シュユの耳朶に唇を押し付け、甘い声で囁いてやれば、途端、彼は暴れ出し、

「暴れんなって。幾らあんたでも、この体勢から抜け出すのは至難だぜ? 油断し過ぎたな、シュユ」

ガッと、掴み直した彼の両手首を桟橋に押し付け、両の鎖骨の下辺りを膝頭で抑え込んで、腰の藻掻きも足先で挟むようにして黙らせてから、「さあ、どうする?」とロイは、改めてシュユを見下ろす。

「……好きにしろ。ままごと遊びみたいに抱かれようが、薄ら寒い言葉を囁かれて惨めになろうが、その場限りで終わる」

何処となく冷えた色になったロイの瞳から逃れる風に、シュユは、ぷいっと顔ごと背けた。

「ふーん。それでも堪えないってか。なら、作戦変更」

おや、手強い。──そんな風に、拗ねたようにも見える彼を眺め続けながら、ロイは片眉だけを跳ね上げ、

「………………シュユ。お前の所為じゃない」

小さな牙のような、角のような形の、象牙色したピアスで飾られている、彼の左耳に再度唇を寄せると、小さく、けれど確かに囁いた。