カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『永の檻』
太陽暦四五六年。
南大陸に於ける大国の一つ、ファレナ女王国での暦に従い言うならば、新都暦二四四年。
北大陸南部を治める赤月帝国にて、解放軍と帝国軍との戦いが、激化の一途を辿っていた頃。
かつて、ファレナを影で支配していた元老院の重鎮であり、有力貴族でもあったゴドウィン卿が引き起こした軍事政変を切っ掛けに勃発した、あの内乱の日々より、約七年が過ぎた。
突如の軍事政変によって、父母を奪われ、生家でもあった太陽宮からも首都ソルファレナからも追われ、妹とも生き別れた、ファレナ女王国第一王子シュユを軍主に戴いた奪還軍が、内乱を制し戦勝したあの日から数えても、既に六年が経つ。
あの戦の最中、逝ってしまった人々は決して少なくなく、シュユ自身、父母だけでなく、可愛がってくれた叔母も、秘かに、が、確かに大切に思っていた護衛のリオンも失ってしまったが、ソルファレナにも、太陽宮にも平穏が戻って久しい。
もう二度と還らぬ人々に加え、女王騎士の座を返上し、又は引退し、一市民に戻った者達も出た為、以前は何時でも賑やかだった太陽宮も、随分と寂しくなってしまったけれど、それでも、日々は穏やかで。
「飽きてきた…………」
────その日。
戦勝直後、最愛の妹であり、現女王でもあるリムスレーア・ファレナスに、「兄上、どうしてもじゃ!」と懇願されたのを唯一の理由に、あの頃より今日まで、本来なら女王の夫君の職務である女王騎士長の代理を務めているシュユは、自身の執務室にて、ボソリと独り言を呟いた。
今、女王騎士長の執務室には、主の彼以外、誰もいない。
それを、これ幸いと、どうしようもなく怠惰な姿勢で、顔付きまで怠惰にして、のんべんだらりと仕事を続けていたけれども、それでも尚執務に嫌気が差してしまった、本性は暴君そのものな彼は、皺が寄ってしまわぬように気遣いつつも、ぐしゃりと目の前の書類等々を脇に押し退け、机の引き出しの奥から引き摺り出した、一通の手紙を弄り始める。
──内乱が終わって、セラス湖畔の遺跡に集った宿星達は散り散りになり、暴君な彼がそれでも心を許した幾許かの者達も、ファレナから旅立ってしまった。
一人目の下僕、とシュユが秘かに呼んでいた、今は亡き実父の親友であり女王騎士でもあったゲオルグ・プライムは、一人北大陸目指して行ってしまったきり、便り一つも寄越さず。
シュユ曰く『二人目の下僕』だった、彼の影武者役も務めていたロイは、「オレは役者になる!」と高らかに宣言し、やはり、北大陸へ渡った。
それでもロイは、ゲオルグとは違い、稀にだが、「やっと、下働き以外のこともさせて貰えそうだ」とか、「端役だけれど、初めて役が貰えた」とか、近況を綴った手紙を送って来てはくれていて、今し方シュユが取り出した文も、その内の一通だった。
「下僕のくせに。赤月帝国なんかで好き勝手なことばかりしてるなんざ、生意気にも程がある。たまにゃ、顔見せに来いってんだ」
数ヶ月前に届いた、最も新しいロイよりの文を気のない風に読み返し、シュユは、又もや独り言を洩らす。
……例え、天地がひっくり返っても、太陽が西から昇っても、それを当人に打ち明けることはないけれど、彼にとって、ロイは、確かに悪友だった。
悪友処か、唯一の友人、と断言出来る存在で、彼なりに大切に想っていた。
だから、ロイとの別れの日から六年が過ぎた今でも、シュユは時折、己と瓜二つの顔立ちをしていた彼を、内心では恋しく思うことがある。
そればかりか、内乱が、戦が、軍主としての毎日が終わり、己に同じく役目を果たし終えた、本拠地だったあの遺跡をセラス湖に沈め直したあの時、ゲオルグに誘われるまま、諸国の見聞と称してファレナより旅立つ路を選択していれば、今頃、役者としての修行に励んでいるロイを気軽に訪れられていたかも知れないのに、どうして自分は、その路を選ばなかったのだろう……、と『今の己』を後悔する瞬間すら、彼にはある。
でも。
あの時も、あれから数年が過ぎた今も、シュユにその選択は出来なかったし、出来ない。
ゴドウィン卿達が軍事政変を引き起こしたあの頃、弱冠十五歳だった、内乱を制した時でも十六歳になったばかりの彼に、最愛の妹も祖国も振り切って、世界の中に身を投じることは不可能だったし、二十二歳になってしまった今となっては、尚更だ。
市井では、聖人君子のような、と讃えられている、が、本性は暴君な彼の一番の芯に在るのは、祖国であり、祖国の王子として生まれてしまった、という『それ』だから。
……だけれども。
大切過ぎて、到底本性など見せられなかった両親や妹達とも、品行方正で公正無私な王子殿下としての姿のみを見せなければならない、『その他大勢』とも一線を画した、真の意味での友人という存在が、恋しくて仕方ない刹那は、ロイ曰く『人としてド最低』なシュユにもあって、
「あー……。……何か、腹立ってきたから、トーマ辺りに八つ当たりでもカマして来るか」
ゆっくり読み返していたロイからの手紙を、ぽいっと引き出しの奥に仕舞い直した彼は、傍迷惑なことを呟きながら席を立った。
ファレナ全土に内乱の嵐が吹き荒れていたあの頃、シュユの宿星の一人だった、ロードレイクの少年トーマが、何を思ったのやら、女王騎士を志して太陽宮にまで押し掛けて来たのは、もう、三年近く前のことになる。
終戦後、女王騎士を引退したガレオンの許で修行を積んだから、と誇らし気に胸を張っていた彼は、無事、女王騎士見習いの試験を突破し、十六になった今では、相変わらず「姫様、姫様」と日々姦しい、リムスレーアの専属護衛な女王騎士ミアキスの下で、正規の女王騎士となるべく励んでいる。
……それは、良いのだが。
そこまでは、本性は暴君なシュユでも、流石にどうとも思わぬのだが。
どうやらトーマは、リムスレーアに仄かな恋心を抱いているらしく、リムスレーアもリムスレーアで、彼を気に入っている様子を窺わせるので、自他共に認める妹馬鹿なシュユに目を付けられてしまったトーマ少年は、目下、シュユの八つ当たり及びからかい及び格好の玩具とされてしまっており。
「トーマ、いる?」
執務室を出、女王騎士の詰め所へ向かったシュユは、にっこり笑顔で不憫な少年を目で捜した。
「……あ、はい。ここにおります、閣下」
その時丁度、詰め所の片隅で何やらをしていたトーマは、室内に彼の声が響いた途端、尊敬と信頼の念に満ち満ちた、程良い緊張すら感じられる笑顔を浮かべつつ、手を止めて振り返った。
トーマは、シュユの鉄壁の外面にコロッと騙されている一人で、且つ、女王騎士長代理な彼を崇めてもおり、事も有ろうに女王陛下に恋してしまった所為で、その陛下の、妹馬鹿にも程がある兄上に、姑・小姑のイビリに近いことをされている自覚もなく、
「ねえ、トーマ。今、手は空いている? もしも差し支えなければ、僕と一緒に、少し鍛錬でもしないかい?」
「あ、はい! 宜しくお願いします!」
麗しい面に、これ又麗しい笑みを浮かべた女王騎士長代理閣下が、腹の底で何を考えているかも知らず、彼よりの申し出に、顔を輝かせて元気良く頷いた。
「いや。こちらこそ、宜しく」
そんな彼を見下ろし愛想を振り撒きながら、「相変わらず素直な奴だな、とは思うが。リムにちょっかいを出すからには、俺よりの受難の一つや二つ」とか何とか、小姑そのものな思考を脳裏のみでぶん回しつつも、シュユは。
存分に本性を晒せたロイを恋しく思う瞬間を、押し込めることは出来ないけれど。
本心では、退屈この上ない日々だとも思うけれど。
まあ、悪い毎日とまでは言わない、と複雑に笑ってから、トーマを引き連れ踵を返した。