内乱の終わりから、六年。
悪友の一人もいなくて詰まらなくはあるが、退屈でもあるが、少なくとも悪い毎日ではない、と感じつつ、シュユは、そんな風に時を過ごしていた。
逝ってしまった人達に対する、言葉にはし難い想いにも、気が付いたら区切りが付いていた。
去ってしまった者達に対する寂しさは、稀に舞い込む便りで解決出来る。
太陽宮も、ソルファレナも、ファレナの国そのものも、腑抜けになりそうなくらい穏やかで。
少なくとも、リムスレーアが正式な婚姻を果たすまでは、最愛の妹に懸想しているらしき少年を、こっそり、誰にもそれと判らぬようにイビリ倒して、大切な大切な妹を猫可愛がりして、姫様が命と言い切る女王騎士殿へは苦笑を向けたりもする毎日が、途切れることなく続いていくのだろうと、彼はそう思っていた。
………………だが。
それは、その年の或る日、突如、覆った。
太陽宮の最上階に位置する『封印の間』──初代ファレナ女王がこの国と王家に齎した、『太陽の紋章』を保管しているあの部屋に詰める紋章官達が、慌てふためき血相を変えて、紋章の封印が解かれてしまいそうだ、と報告してきたことによって。
二十七の真の紋章の一つであり、破壊と再生を司ると言われている太陽の紋章は、ファレナの最北部、アストワル山脈の中に眠る『始祖の地』に、後の初代ファレナ女王が降り立った際、既に彼女の額に宿されていたと言い伝わっている。
それを証明する資料は一切発見されておらぬ為、定かではないが、今では始祖様と呼ばれている初代女王以来、太陽の紋章は、何百年にも亘ってファレナ王家が所持し続けてきた。
シュユとリムスレーアの実母であり、先代女王だったアルシュタート・ファレナスを、破滅させた、と例えても過言ではなかろう、ゴドウィン卿があの内乱を引き起こした理由の一つでもあった筈の、大陸一つを破壊せしめる程の強大過ぎる力を秘めた彼の紋章は、それでも、今尚、ファレナ王家の物だ。
かつては東西の離宮にて保管及び管理されていた、眷属に当たる『黎明の紋章』と『黄昏の紋章』と共に宿さなければ制御も効かず、宿主に破壊衝動を齎す危険な紋章でもあるが、王家は、やはり初代女王が伝えたと言い伝わる、彼女を模した胸像を用いて紋章達を封印する技術も保有しているので、内乱が終結して以降は、太陽の紋章も、黎明及び黄昏の紋章も、太陽宮の封印の間に胸像毎納められてきた。
忌まわしいとも言える、が、ファレナの繁栄の礎の一つを担っているのは確かな紋章を、王家が手放すことなど有り得ず、又、二度と、祖国の大地が舞台の、太陽の紋章を軸とした悲劇が起こらぬように守り続けることも、王家の責務であるから。
けれど。
終戦から──即ち、内乱の頃、シュユが宿していた黎明の紋章と、宿した、又は宿してしまった者達の命を奪った黄昏の紋章と共に封印し直されたあの日より、約六年が経った今になって、急に。
太陽の紋章は、これまで通りの形で眠り続けるのを『拒否』し始めた。
……何故、そんなことになってしまったのかの原因は、誰にも判らなかった。
長年、真の紋章の研究を続けてきた紋章官達にも。
彼等に悟れた全てにして唯一は、太陽の紋章自身が、胸像を以ての封印を拒んでいる、というそれのみだった。
にも拘らず、困惑するしか出来ない人々を置き去りに、事態は見る間に悪化していった。
……そうと判明してより一日、二日の間は、それでも何とかなった。
歴代の紋章官達が培い、伝え続けた技のお陰で。
だが、日が経つに連れ、紋章官達や宮廷魔術師達を総動員しても、まるで意思を持っているかのような紋章の『反乱』を『騙す』ことすら叶わなくなり、胸像以外の『何か』を以てして封印し直さなければ、どんな事態が引き起こされるかも見えなくなって、太陽宮の者達は、早急の決断を迫られた。
紋章を封印し直す為に、何を──正しくは、誰を、『生け贄』として差し出すかの決断を。
────紋章官達は、口を揃えて言った。
この上は、何者かに宿さなければ、太陽の紋章を鎮めることは叶わぬかも知れない、と。
そんな報告を受け、ならば、と真っ先に言い出したのはリムスレーアだった。
ファレナを治める女王として、代々、太陽の紋章を受け継いできた王家の主として、己が身を以て太陽の紋章を鎮めるのが、自らの役目だと。
だが、内乱時同様、試すまでもなく、彼女が太陽の紋章を宿すことは不可能だったし、縦んば不可能を可能に出来たとしても、彼女の臣下達が許さなかった。
現女王陛下の忠実な臣下達は、絶対の主たる彼女の言葉に異議を唱えた。忠実であるが故に。
強大な力を秘めた紋章と、ファレナそのものを守り通す為に致し方なく宿したとは言え、かつてアルシュタートが行ってしまったことと、彼女の最期は、内乱が平定されてより六年の歳月が過ぎた今でも、人々の記憶に鮮明過ぎた。
…………だから。
封印が綻び始めている太陽の紋章をどうするかで、太陽宮中が紛糾する中、驚天動地の騒ぎを尻目に、最愛の妹へ向け、シュユは。
「リム。僕が宿せばいい」
にっこりと、綺麗に笑んで、一言、そう告げた。
……誰もが言葉にせぬだけで、宿主をも自ら選ぶらしい紋章が、自身の為の『生け贄』として認めるだろうのは、少なくとも現在のファレナ国内にはシュユしかおらぬことなど、端から明白だった。
そんなこと、彼自身が一番能く判っていた。
何をどうしてみた処で、リムスレーアには真の紋章は宿せぬことも。
故に彼は、最愛の妹が太陽の紋章を宿すと言い出した時も、女王としての彼女の挟持の為に一切の口を挟まず、ひと度彼女の好きにさせてから、「もう、その路を選ぶ以外、どうしようもない」との態で、自分が……、と進言した。
己では紋章の宿主になれない、とリムスレーアが納得するより先に申し出たなら、彼女は何が何でも反対するだろうけれども、それ以外の方法は皆無だと、追い詰めてから手を上げれば、己の妹である前に女王であらなければならぬ彼女も、決断せざるを得なくなるだろう、と踏んで。
……それでも尚、リムスレーアは、
「そのようなこと、妾は絶対に許さぬ! 兄上が犠牲になる必要などない!」
と言い張ったけれども、結局。
シュユの思惑通り、ファレナ女王国女王は、祖国と祖国の民の為に、涙を飲んだ。
そうして。
形の上では封印されているにも拘らず、どうしてか制御出来なくなりつつある太陽の紋章を、シュユの身を以て鎮めることが決まった。
太陽の紋章のみを宿せば、彼と言えど、アルシュタートの二の舞にならぬとも限らぬ為、彼は同時に、黎明の紋章と黄昏の紋章も宿すことになり、少なくとも紋章官達は、後ろめたく思いつつも、これで一先ず、この騒ぎも終えられる、と胸を撫で下ろしたけれども。
到底、それだけのことで解決に至るような問題ではなかった。
────太陽の紋章並びに、黎明の紋章と黄昏の紋章を、たった一人の、生きた人間が宿すということ。
……そのようなことは、ファレナの長い歴史の中でも、前例がない。
代々ファレナ女王国に伝えられてきた、真の紋章とその眷属を、彼が、一度に全て宿したと知れたら、ファレナの国民のみならず、周辺諸国も、『彼を見る目』を変えるだろうのは、容易に想像出来た。
市井での評判が如何に高かろうとも、真の紋章に纏わる理通り、太陽の紋章を宿した刹那から不老の身となるのだろうシュユを、人々が、畏怖嫌厭を通り越し、化け物と看做さぬ保証など、何処にもなかった。
太陽の紋章を宿せる唯一である彼が、『彼』であるということ──女王でも、女性の王族でもなく、男子の王族であるということ、それも、ファレナにとって良いとは言えなかった。
…………だから。