その為。
紋章を宿した日より数えて数日後、シュユは、アストワル山脈の中にひっそりと佇む始祖の地の遺跡前に、僅かなお付きの者達と共に立った。
極秘裏に太陽宮を発った時も、経由した聖地ルナスでも、リムスレーア達や、ルナス斎主のハスワール達に泣きながら見送られたが、或る意味では薄情なことに、最愛の妹や、長年顔付き合わせてきた女王騎士達や、純粋な意味で気に入っていた女性や、亡き母や叔母の従姉に泣き濡れられても、取り立てて、シュユの心に何かが落ちることはなかった。
まるで他人事のように、泣かれても致し方ない、と思った程度で、泣き続ける彼等や彼女等に見送られた刹那を思い返してみても、彼には、肩を竦めるくらいしか出来ず、この先、何時終わるとも知れぬ生を送る己の、住まいとも言える檻とも言える、極寒の地に聳える古い古い遺跡の入り口を眺め上げた彼の脳裏に過っていたのは、唯一の友へ、在りし日、己自身が告げた言葉だった。
あの内乱の日々の最中に起こったこと──妹を取り戻せなくて、護衛のリオンは自分を庇って刺されて、事がそうなってしまったのは、叔母が裏切りを働いた為で、流石に、沢山の出来事が堪えていたあの頃の或る夜、ロイに、
「あんたが、どうしようもなく面倒臭くて、駄々しか捏ねられない馬鹿なガキみたいな性分なのは、この国の所為だろう? あの人が、あんたや俺達を裏切ったのが、あんたの所為なら。全ては、あんたをそんな性分にしちまった、この、ファレナって国の所為だ」
……そう言われて。
「何も彼も、あんたの所為じゃない。敢えて言うなら、この国の所為。いい加減、認めろって」
……そうも言われて。
「…………認めろ? ファレナの王子がか? この国の、王家に生まれた俺がか? 俺に、真実の意味で、この国に弓を引けと? …………出来る訳がない、そんなこと」
と、思わず言い返してしまった時のことを、彼は思い出していた。
────あの時、ロイが言っていた通り、ファレナ女王国がファレナ女王国であるからこそ、己は、彼曰く『ド最低』な人となりになった。
何年が経とうとも、何が起ころうとも、男子には決して王位継承権を与えない、女であることが君主の絶対条件とされるこの国では、己は結局、誰にとっても中途半端な価値しかない王子で在り続けるしかなかった。
あの内乱を制した英雄になったのに、と言う者はいるだろう。代理とは言え、女王騎士長にもなったのに、と言う者もいるだろう。
けれど、英雄などという者は、戦が終われば無用の長物で、放っておいても遺物と化すより他なく、最愛の妹が婿を取れば、女王騎士長を務める必要もなくなり、再び、中途半端な存在、という立ち位置に戻る以外、己に残る路はない。
…………もしかしたら、このファレナを誰よりも忌み嫌っているのは、他ならぬ自分かも知れない。
今更、そんなことを思うくらいなら、これまで何度も後悔してきたように、ゲオルグに誘われるまま、全てを捨てて、この国をも捨てて、旅立ってしまえば良かったのかも知れない。
……今だって。
全てを捨て去ってしまえば──『全て』以上に、この国を捨て去ってしまえば、楽になれるかも知れない。
ここまで、我が身を犠牲にする必要など、何処にもないかも知れない。
……けれど。
どうしたって、己には、真実の意味で祖国に弓引くことなど出来ない。
祖国も、王家も、女王国の王子に生まれてしまった自身も、打ち捨てられない。
聖人君子の如くな王子様、という鋼鉄の箱の中に隠した、暴君としか例えようのない人でなしな本性で更に覆った、『祖国』を捨てるなど。
例え、不老の刻を引き摺りつつ生き存えるだけの己を、永の檻の中に自ら繋ぐ運命と引き換えにしても、ファレナを、祖国を、打ち捨てることなど。
自分には、出来ない。
…………選び取ったこの運命を、唯一の友が知ったなら、きっと、怒り狂うだろう。
でも、怒り狂いながらも彼は、「あんたは、そういう奴だよ」と、呆れたように苦笑するだろう。
真の意味で、『本当の己』を理解しようとしてくれた、唯一の彼ならば。
「……ああ。それだけで、当分は生きていけるな」
────古い古い、己の為の永の檻となる遺跡の入り口を見上げつつ、在りし日に交わした唯一の友とのやり取りと、己自身を振り返っていたシュユは、最後に、そんな呟きを洩らした。
こんな己にも、唯一人だけ、彼のような友がいてくれた、その事実と思い出だけで、数十年くらいは何とか生きていけそうだ、と。
小さく、笑みながら。
「王──シュユ様? 何か、仰られましたか?」
「ん? 一寸、独り言」
その彼の呟きを、真後ろに控えていたお付きの一人が拾ったが、振り返ったシュユは、何でもない、と余所行きの笑みを浮かべ直して誤摩化し、改めて、今より潜るそこへと向き直る。
────この先、数十年くらいは、あの馬鹿との思い出だけで生きていけるだろう。
でも、その先は。
何時終わるとも知れぬ、その先、は。
……いや、その先『も』、きっと、己は。
誰よりも忌み嫌っているかも知れない、されど決して捨て去れない、ファレナ女王国という、『見えないモノ』の為だけに、この場所に囚われたまま、生き続けるのだろう。
向き直ったそこより一歩踏み出しながら、そう思って。
そんなことを思ってしまう己を、又、小さく笑って、シュユは。
自らの足で、己の為の永の檻の入り口を潜った。
End
後書きに代えて
幻水5のエンディングから、六年が経った頃の王子の話。
……私にとっても、彼は好きなキャラの一人です。信じて下さい。
でも、えーと、何か、色々御免なさい…………。
──このシリーズに登場する彼は、ノーマルエンドと女王騎士長エンドの複合技です。
原作にはないエンディングを捏造していて、申し訳ない。
うちの王子は、少なくともゲームエンド時点では、ファレナを出て旅に出る、なんて出来なかった子です。
ですが、リオンちゃん復活には至らなかった子でもあるので、捏造エンディングにしてみた。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。