カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『儚きモノ』
親無しの拾われっ子だの、身寄りのない奉公人風情だのと、彼に面と向かって悪し様に言う、口差がない者達は決して少なくなかった。
が、それでも、そんな者達の言う通り、親無しで身寄りもなく、領主であるフィンガーフート伯爵に拾って貰った下男でしかない、本当の名も素性も判らぬ己へも、優しく親切に接してくれた者達とて数多いてくれた、群島諸国の片隅に浮かぶガイエン公国領ラズリルは、彼──ヨミにとって、故郷と言える島ではあった。
物心付く以前のことなのでヨミ自身にその記憶はなく、人伝に教えられた話でしかないが、二歳くらいの頃、何らかの海難事故に遭遇したのか、難破船の物と思しき板切れに乗って流されていた所を拾ってくれたという島の漁師達にも、漁師達から己を引き取ってくれたフィンガーフート伯にも、彼は唯々、感謝していた。
例え、彼を拾った漁師達が、当時、「助けたはいいが、何処の誰とも判らぬ拾い子を養う余裕などない」と、本心では後悔している風だった、という噂話を耳にしても。
フィンガーフート伯が漁師達の拾い子を引き取ったのは、偏に、領主としての体面を崩さぬ為にであり、碌な給金を払わずとも使い倒せる下男を手に入れられると思ったからに決まってる、と聞かされても。
赤子と差して変わらぬ年頃だった自分──即ち、大人達に拾って貰えなければ、死ぬしかなかったろう己を助けてくれた者達に感謝こそすれ、その本音を恨むことなど、ヨミには想像も付かないことだったし、ひたすらに感謝するしか有り得ない者達が住まう、己自身も十五年の歳月を過ごしたラズリルは、故郷も同然だった。
だが、それでも、そんなヨミとて、もしも、この世界の何処かに自分の本当の家族がいるなら、何時の日にかは一目でいいから逢いたい、とか、自分の本当の故郷が知りたい、と心秘かに願う刹那は少なくなかった。
本当に幼かった頃から、己の置かれている立場というものを、否応無しに思い知りつつ日々を過ごし、真実の意味で頼れる相手も甘えられる相手も一人とて持ち得ず、フィンガーフート家の下男以上にも以下にもなれなかった彼だからこそ、血で繋がった肉親を欲する気持ちも、そんな存在に対する憧れも、実の処は人一倍強かった。
だから、フィンガーフート伯の一人息子であり、建前上は自身の親友でもあるスノウ──実際は、己の『主』である彼のお付きとして入団したガイエン海上騎士団で出逢った、騎士団長のグレンに寄せるヨミの想いは、人格者であり尊敬出来る騎士団長、という以上に、『父親という存在に対する憧れ』に、より近かったかも知れない。
そんなグレンが、今は彼の左手に宿っている、二十七の真の紋章の一つである『罰の紋章』──償いと許しを司る紋章の所為で命を落としたことに絡む、謂れなき無実の罪で流刑の身となった彼や、彼を信じて付いて来てくれた仲間達が漸く辿り着いた、群島諸国ではガイエン公国に次ぐ規模を持つオベル王国にて巡り逢った国王リノ・エン・クルデスは、やはり、ヨミにとって、グレン同様『父親という存在に対する憧れ』を抱かせるような人物だった。
見た目も性格も、グレンとは似ても似つかぬが、何処までもグレンに同じく、尊敬出来、信頼に足る人物で、行き場を失っていた『余所者』でしかない彼等にも救いの手を差し伸べてくれたリノの下で働くようになって以降、ヨミは、「豪快過ぎる性格の人だから、ちょっぴり苦労しそうだけれど、こんな人がお父さんだったらいいのにな」と、思うことすらあった。
────故に。
南進政策を掲げ、群島の島々への侵略を始めた、北大陸最南部を領土とするクールーク皇国より一度
仲間達と共に集った巨大船の作戦室にて、そのエレノアに、
「侵攻して来るクールークに対抗するには、ここらの島々にある小さな勢力を、本気で一つに纏め上げて立ち向かうしかない。その為には、強いリーダーが一人必要なんだが……。──ヨミ、あんたが本物のリーダーかどうか試させて貰う。現状、王に従いたいと言う人間も多いだろう。ここで、リノ・エン・クルデスと決着を」
と、突然に告げられた挙げ句、是非もなく決着を付けろと決め付けられてしまった時から、ヨミは、言葉には出来ない、如何んとも例え難い感情を引き摺り続けていた。
エレノアだけでなく、肉親という存在に絡む秘かな想い『も』寄せていたリノにも、当然の如く、そういうことなら、判り易く腕っ節で決着を付けようじゃないか、と迫られてしまった所為で。
…………新米だが海上騎士団員だったとの経歴があろうと、剣の腕前は素晴らしかろうと、一介の少年でしかないヨミが、クールークに立ち向かう為の人材集めとは露程も思わず、リノに乞われるがまま『人集め』に勤しみ続けたのは、それを『仕事』と思っていたからだ。
無実の罪で流刑に遭った己にも、仲間達にも身の置き場を与えてくれ、衣食住の保証までしてくれたリノへの恩返しにもなる仕事、と。
集った人々の中心的な人物、という位置に己が立ってしまったのは、ヨミにとっては何処までも結果論でしかなく、それとて仕事の一環、と受け止めていた彼には、何故、自分が、クールーク皇国から群島諸国を守る為の軍を率いなくてはならぬのか、能く判らなかった。
どうして、皆の前で、エレノアがそんなことを言い出したのかも、リノが、仲間達に見せ付けるように、一騎打ちで片を付けよう、と言い出したのかも。
──フィンガーフート伯爵家の使用人であり、嫡男であるスノウの『親友という名のお付き』であるからにはと、最低限ではあったが教育と名の付くものを受けさせて貰った経験も、ガイエン海上騎士団で受けた教練その他の経験もあるから、何となくだけれど、ヨミにも、エレノアやリノの思惑は読めた。
クールークとの戦いには、オベル王国や王の存在を出さぬ方がいい、と二人は考えているのだろう、と。
彼の皇国に立ち向かわなくてはならぬのは、オベルでなく群島諸国そのもの、という大前提を確固たるものにする為にも、群島内の如何なる勢力とも関わらぬ者が軍主でなければならないのだろう、とも。
…………けれど、自分は、『人に使われる者』であって、『人を使う者』ではない。傀儡にするにしても役者不足だ、と思うことをヨミは止められなかった。
リノさんが駄目でも、キカさんでも駄目でも、もっと他に相応しい人がいる筈なのに……、と。
戸惑うしかない現状に、『己のこと』は簡単に諦めてしまう自身の性分に、周囲や周囲の思惑に、何よりも、運命とやらに、流されているだけのような気もした。
でも。
己が、ほんの数刻前に自身で命名した『連合軍』の軍主として在れば、一度ならず、いるかどうかも判らぬ実父の幻を重ねてしまったリノや、仲間達や、集まってくれた人々や、群島の島々の為になるなら……、と思うことも、彼には止められず。
「………………ちゃんと、改めて話してみようかな……」
作戦室にて行われたリノとの一騎打ちを終え、正式に旗揚げを宣言した軍の旗頭として立つことになった、その日の夜半近く。
己と共に、只の自室や個室でなく、『軍主の自室』と相成ってしまったそこに一人籠って悶々と考え続けていたヨミは、漸く意を決して、膝を抱えて転がっていた寝台から起き上がった。
巨大船──やはりその日、ヨミ自身が『ナユタ』と名付けた、彼等の本拠地であり家でもあるその船の第一甲板にあるのは、三部屋のみだ。
彼の自室、リノの自室、それに、それまでは空き部屋だった、エレノアに宛てがわれた部屋。
故に、自室の扉を開けた直ぐそこにある、数段程の短い階段を降りて、少々だけ通路を行ったヨミは、通路を挟んで向かい合っている彼と彼女の自室を見比べた後、やはり、話をすべきはリノだろうと、彼の部屋の扉前に立った。
ノックをしようと腕を持ち上げ掛け、が、もう寝てしまっていたら……、と躊躇ってしまったヨミは、リノが起きているか否かが知れぬかと、そっと、扉に耳を押し付け聞き耳を立て、結果。
未だ起きていたリノと、訪問中らしいエレノアとの会話を、盗み聞きすることになってしまった。