「芝居は、あれで良かったのかい?」

「すまない。汚れ役だったな……。──この船のリーダーは、あいつなんだ。俺が決めたことだしな。だが、皆、王の俺に気を遣ってしまう。それに俺自身、王国のことを第一に考えてしまう。今は、それではいかん」

「この船にオベルの王が乗っているというのは、余り大っぴらにするべきことじゃないだろうよ。この船の、そしてこの軍の旗頭は、群島そのものの旗頭でなけりゃならないんだ。そうじゃなきゃ、纏まるものも纏まらなくなる」

「ああ。そういう意味じゃ、俺がこの船に乗ってることからして、具合が悪いと言えるがな」

「まあ、あんたは、どう見ても王には見えないから、いざとなれば、乗組員に紛れちまえば見付からないだろう」

「ははは……っ。そうかもな。……しかし、よくこの船に乗る決心をしてくれた。改めて歓迎するよ、軍師エレノア殿」

「止しとくれ、こそばゆい。クレイ──グレアム・クレイには、一寸因縁があるのさ。……それだけだよ」

────そうっと、気配を押し殺して耳押し付けた扉の向こうから聞こえてきたエレノアとリノのやり取りは、そんな風なものだった。

息を殺し、身動ぎ一つせず、洩れ聞こえてくる二人の会話に聞き耳を立てていたヨミは、彼等の思惑に対する己の想像は、やはり正しくはあったんだ、と何処となくホッとし、が、次の瞬間には、少し怖くなった。

この船の、そしてこの軍の旗頭は、群島そのものの旗頭でなければ、との『軍師の言葉』が、とてもとても重たく感じられて。

と同時に、やっぱり、そんな大役……、とも思えてきて、彼は俯いてしまったけれども、足許の茶色い床だけを見詰めていたら、たった今盗み聞きしてしまったばかりのリノの言葉が、彼の耳朶に甦った。

「この船のリーダーは、あいつなんだ。俺が決めたことだしな」

……との、それが。

────リノにしても、エレノアにしても、様々なことを様々にはぐらかしてしまう、『立場を持った大人』でもあるから、公にする必要はないと自身が断じれば、真意だろうと何だろうと、内に秘めて隠してしまう処があるけれど、そんな『大人』な一人のリノが、それでも、言葉にしてそう言ってくれたということは、彼も、その分くらいは自分を認めてくれている証なのかも知れない。

そして、エレノアも、あんな芝居の片棒を担いでも良い、と思える程度には。

だから二人は結託し、エレノアは憎まれ役を買って、リノは負け役を買って、この船の、そしてこの軍の長は自分であると、皆が受け入れられるよう、お膳立てしてくれたのかも知れない。

その割に、一騎打ちの際のリノは、容赦の欠片もなかったが。尤も、その点に関しては、お互い様だけれど。

「そういうこと、なのかな……。でも、そんな風に思うのは、自惚れ過ぎかな…………」

…………先程のリノの言葉を思い出し、彼等のやり取りを思い返し、それって……、と思ったヨミは、俯かせていた面を持ち上げ、「だとしたら、嬉しくはあるけれど……」と思いつつも、「それはそれで、どうしたらいいか判らない……」とも思って、おろおろと焦り、何とか、この訳の判らない気持ちや衝動を抑えようと、暫し悩んでから、タッと身を翻して自室へ駆け戻った。

飛び込むように戻った部屋の隅の、その又隅を漁って、隠しておいた『それ』を引き摺り出したヨミは、亜麻紙で包んだブツを胸に抱えると、慌てた足取りで再びリノの部屋へ向かい、今度こそ扉を叩いた。

「あ、あの……。リノさん? 今、いいですか?」

「おう? ……ん、ヨミか? どうした、こんな時間に」

「……その、一寸」

「何だよ、遠慮してねえで、さっさと入って来い」

申し訳程度だけ扉を開き、遠慮がちに告げれば、部屋主は笑いながら招き入れてくれ、

「エレノアさんもいます……よね?」

そんな風に過ぎるくらい控え目だから、口の悪りぃ海賊連中に、『大人しいにも程がある「壁の花」』なんて、からかわれちまうんだよ、とリノ当人にもからかわれつつ、そろそろと入室したヨミは、二人の大人が酒のグラスを囲んでいた机の脇に、ちょこんと立った。

「ああ、いるよ。あんたが見た通りだ。何か用かい?」

腰掛けたままの自身とリノとを忙しなく見比べている割には、双方と視線を合わそうとしない彼を、エレノアは、じっと見返す。

「えっと、その……。何て言えばいいのか能く判らないんですけど、その……」

「……要点は何だい。はっきりお言い」

「…………御免なさい……。……えっと、今日は、エレノアさんに正軍師になって貰えたし、他にも色々と決まってって言うか、何て言うか、そういう日……みたいな……。と、兎に角、そういう訳で、良かったら、と思って、リノさんとエレノアさんに、これ…………」

途端、元々から口下手なヨミは、常よりも尚辿々しく喋りながら、胸に抱えていたブツを、そろっと二人の前へ置いた。

「こいつは……、カナカンの酒じゃないか。こんなに上等な酒、どうしたんだ?」

何だ? と、漉きの荒い包み紙をガサガサ鳴らしつつ、ブツ──二本の酒瓶を取り出したリノは驚きの声を放ち、

「その……少し前、ネイ島の交易所に行った時、見付けたんです。何で、あそこにこんな物があったのか判りませんけど、資金稼ぎの足しになると思って買って、でも、内緒にしておかないと、お酒好きな人達に飲まれちゃうから、僕の部屋に隠しておいたんです」

実は、とヨミは、飲ん兵衛なら必ず目の色を変える、只でさえ名高いカナカン産の酒の中でも、一級品の物を隠し持っていた理由を打ち明ける。

────偶然と幸運に恵まれ、ネコボルト達の集落にある交易所の片隅に、どうしてか転がっていた処を見掛けて即入手し、その内に転売しようと、仲間の飲み助達からも死守し続けてきた酒達を、彼が二人への差し入れにしてしまったのは、『口実』が欲しかったからだった。

夜半近いこんな時間に、リノの部屋を訪れる為の口実。

そんなつもりは毛頭なかったけれども、盗み聞きする格好になってしまった二人の会話から覚えた、自分にも能く判らない気持ちや衝動を何とか抑える為には、ちゃんと、リノとエレノアの顔を見て、多少なりとも言いたいことを言ってみるのが一番かも知れない、と思い至ったものの、何と言って彼等を訪れればいいのか、ヨミには判らなかった。

だから、咄嗟に、適当な理由を付けて隠し持っている酒を差し入れるという態を取れば、少なくとも訪問の言い訳にはなる、と考えた彼は、その案を実行し、こうして、彼等の眼前に立つことは叶えたのだが。

人となりは良くとも口も態度も荒っぽい海の男達に「壁の花」などと揶揄される通り、控え目で、大人しくて、喜怒哀楽の表現も口も下手で、存在そのものがひっそりしている時すらあるヨミに、自身にも掴み切れていない想いを、世渡りに関しては百戦錬磨な『大人』達にぶつけることは容易でなく。

「へえ……。カナカンの酒の中でも、稀な部類だ。有り難く頂いとくよ。……悪いね、気を遣わせちまったかい?」

さて、何と言って話を切り出せば……、と彼が思い倦ねている内に、エレノアは、さっさと取り上げた瓶の中身を飲み始めてしまった。

「あ、いえ、そんなことは……。昼間、カナカンの酒がどうのって、エレノアさん言ってたから、と思って持ってきただけなんですけど、口に合います……?」

「合うなんてもんじゃない。願ったり叶ったりだ」

「リノさんは……?」

「以下同文、だな。一応は国王な俺だって、こんな酒には滅多にお目に掛れない。……ヨミ。もしかして、未だ隠し持ってんのか?」

リノもリノで、自分の分の封を切って豪快に飲み出し、

「え……。……後一本ありますけど、それは駄目です。カタリナさんのことでお世話になったから、キカさんに、って思ってるから」

「何でだよ。いいじゃねえか。──ケネスやポーラから話に聞いてるぞ。カタリナってな、海上騎士団の副団長だった奴で、お前とは、罰の紋章絡みで云々あったって。なのに、お前が気ぃ廻してやる義理はねえだろう」

「…………でも。駄目です。その……、些細ですけど、僕の気持ちなんです。色々、の」

本当の目的を切り出せぬまま、ヨミは、彼等との全く本意でない会話に興じざるを得なくなった。