カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『真夏の海、真夏の舟』
この数ヶ月の間に、余りにも色んなことが起こり過ぎたから、一体、何時交わした言葉だったのか、咄嗟には思い出せないけれど。
「どうして?」
……と。
咄嗟には思い出せない『何時か』、誰かに、そう問われたことだけは覚えている。
──どうして、そんな風に。
──上手く『使われてる』だけと、感じることだって、あるだろうに。
──なのに、どうして。
──お前は、そんな風に。
──その身を、削る?
………………咄嗟には思い出せない『何時か』の時。
確かに誰かは、そう尋ねた。
どうしてと、尋ねられても困る。
そうしよう、そう思っただけだから。
上手く『使われている』と感じることだって、と。
そう言われれば、否、とは答えられない。否と答えてしまえば、それは何処かで、きっと嘘になる。
なのに、どうして、お前は、そんな風に、と。
そう尋ねられても、困る。
例え、この身を削ってでもと、そう思ったのは、『こうしている』のが、唯単に、幸せだったからだ。
『こうしている』のが幸せで、だから、大切な人達のことを、守れるものなら守りたい、そう思っただけ。
唯、それだけ。
それ以上に深い意味も、意図も、何処を探したって出てこない。
況してや、そうすることから生まれる望みなんて、尚更。
それ以外のことは、所詮自分だけの問題。
罰の紋章のことも、紋章が齎すことも。
それは何処か、諦めに似た境地だと、そう言われてしまえばそれまでだけど、守りたい人や、守りたいことの為に、己の身を削るか否かは、結局の処、自分の中だけの問題だと、そう思う。
それを、するのかしないのか、決めるのは何処までも、自分でしかないのだから。
本当にそんな質で、一軍の主が務まるんだろうかと、内心で、要らぬ心配をしたことだってあるくらい、過ぎる程に控え目で、大人しくて、何処か、壁の花のようで。
そのくせ、何処そこへ行きたいから付き合って、だの何だのと、自分には関わるな、放っておいてくれと、幾度となく繰り返しても、聞く耳を持たぬ強引さでこちらを振り回し、引き摺り歩いて。
或る意味、この、ナユタ、と彼自身が名付けた巨大船の中での、自分にとっての最大の天敵とすら言えるような、そんな彼だけれど。
何を抱えて、どう生きても、不平も不満も洩らさず、笑むことも忘れず、言葉にするなら、『凄い』、と例えられるんだろう『姿』で、日々の中を歩いて来た彼のことは、正直、舌を巻いて、尊敬するしか他になかった。
この戦いが終われば、至極当然、別れがやって来るけれど。
日々を歩き続ける彼の姿を瞳に焼き付けて、己も又、日々の中を歩いて行けば、何時か、自分も彼のようになれるんじゃないかと、そんな風に思えた。
……この船で、一番の天敵は、彼だったけれど。
一番の味方だったのも、又、彼だった。
──一寸した尊敬の念が篭められて、一番の天敵で、一番の味方で。
『前夜』、俺もお前みたいになれるかなと、ぽろりと洩らしたら、彼は微笑みながら、大丈夫と、そう言ってくれた。
………………一番の天敵、けれど、一番の味方。
魂喰らいのことを、気にせずにはいられぬ程の。
だから。
右手に、呪いの紋章を宿す自分が、そんなこと、願っていいのかどうか、判らないけれど。
一番の天敵で、一番の味方で、尊敬出来て、大丈夫だと、微笑んでくれた彼が。
幸せで在ればいいのに、と、そう思わずにはいられなかった。
その姿を、初めて目にした時に。
咄嗟にも、十と余年前のことを思い出さなかった、と言ったら、自分は、大層な大嘘吐きだ。
……良く似ていた。
十と余年前、海の向こうに逝ってしまった、亡き妻に。
瞳の色など瓜二つで、面影もあって、残された娘にも、似ている、と言えた。
年の頃も、丁度合っていた。
あの日、妻と共に海に盗られた息子が、十余年の月日を越えて、帰って来てくれたんじゃないかとすら思い掛けた。
その左手に宿した、罰の紋章のことも相まって。
……そんな想いは、幻想でしか有り得ないと、幾度となく頭を振って、雑念を追い出してはみたが、結局それを追い払うことは、最後の最後まで、叶わなかった。
あいつがあいつだから、気に掛けたのは確かで、手を貸し、貸されとしたのも確かで、あいつをあいつとして認めたことに、間違いはないけれど。
あの日消えてしまった、息子だったら、と。
胸の何処かで思い続けたそれが、あいつに目を掛けた理由の一つであることは、多分、どうしたって否めないと思う。
あいつと息子とを、重ね合わせた訳じゃないが。
重ね合わせられたら、幻影を見ること許されたらと、そう思いたかったのも。
……だから、だろうか。
『夕べ』、部屋の方に、ひょいっと顔を覗かせに来たあいつを捕まえて、下らない昔話を語って聞かせたのは。
──亡くなった妻の話を聞かせた時には、沈痛そうな、けれど、こう……、何とかでもそれを言葉にするなら、「良いなあ……」とでも言う風な、そんな色を瞳の奥に浮かべて。
息子の話を聞かせた時には、心底驚いた様子で、でも、何処となく寂しそうな風情を、あいつは見せた。
だから、もしかしたら自分は、この数ヶ月、大層傷付けただろうあいつを、又、自分の勝手な感傷で、傷付けてしまったんじゃないかと、そんな風に…………。
…………あいつは、確かにあいつで。
あいつの幸せを、真実、願っているのに。
想うことの全て、あいつを傷付けるだけなんだろうか。