カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『一五〇年の水面』
乗り合わせることになった船に、一体何と言う名が冠されているのか、彼、テッドにとって、それはどうでもいいことだったから、真夜中の今、大海の直中に停泊中であるその船は、見渡す限り海ばかり、と言った風情の、群島と呼ばれる小さな島々が点在するだけのこの辺りでは、滅多なことではお目に掛かれないくらい巨大な船、としか語ることが出来ない。
だから、彼、テッドは唯。
オベル王国と言う、群島の島々の中では最も大きな島を国土と定めている国の王が作った、酔狂なまでに巨大な船の、人気の消えた後部甲板に、今、一人でいる、としか、例えることは出来ないが。
──真夜中を少しばかり越えた、今。
テッドは、己が乗り合わせることとなった、その巨大船の後部甲板にて、一人佇んでいた。
テッド以外にも、沢山の人々が乗り込んでいるこの船の後部甲板は、昼間の内は二人の漁師に占領されている場所で、己達が、この小さな甲板の主だ、と言わんばかりの顔をしているウゲツとシラミネの二人組と、船内の食料を調達する為、漁師達と共に、釣りや引き網に勤しむ者達で賑やかな場所なのだけれども。
不寝番の者達以外、仲間達の大抵が寝床に潜る真夜中を過ぎれば、一切の人気が消えるから、誰にも邪魔されず、夜の海を渡る風に当たるには、もってこいの場所だ。
故に、テッドは、一人。
少しばかり背中を丸めながら、甲板の手摺に両腕で頬杖を付いて、ぼんやり、凪いだ夜の水面を眺めていた。
彼が。
誰の目にも、十代半ばから後半に掛けてくらいの年齢、としか映らない姿をしている……が、実の処、もうこの世界を一五〇年もの間、放浪している彼、テッドが、この巨大船に乗り合わせることとなったのは、一言で言ってしまえば、偶然に偶然が重なったから、と相成るのだろう。
────たまたま、彼は。
とある山奥の中にひっそりと存在していた、小さな村に産まれた。
そこは、たまたま、この世界を支えていると言われている、二十七の真の紋章の一つを隠している村で。
たまたま、テッドの生家は、代々、その村の長を務める家系だった。
そして、たまたま。
今を遡ること一五〇年前。
テッドの故郷である村が、とてもとても長い間隠し、守り続けていた紋章を、奪いにやって来た者達がおり。
その者達から紋章を守る為、彼の祖父は、自身が宿していた紋章を、テッドへと託し。
やはり、たまたま、その村を訪れた、『行きずりの旅人達』──もうテッドは顔すらも憶えていない、旅人達に助けられ、でも。
そこから、一五〇年。
何時、あの時の魔女達に自分は追い付かれてしまうだろうか、何時、誰に追われるんだろうか、何時、誰が、この紋章を奪いにやって来るんだろうか。
そして何時、この紋章は、あの恐ろしい力を振るうんだろうか……と、怯えながら彼は一人、日々を過ごした。
一五〇年前の、今生の別れの際、祖父が言っていた、ウィンディという名の魔女の手に怯え。
未だ幼かった己の目の前で、故郷の小さな村と、村人の全てを焼き払ってみせた、ウィンディ達のやり口に怯え。
祖父から託された、紋章──生と死を司る紋章、その力に怯え。
テッドは月日を過ごして来た。
…………宿した者の、近しい者の魂、大切な者の魂、そればかりを好んで盗み、喰らう紋章。
『極上』の魂ばかりを盗んで、喰らって、その、力を増して。
その代償に、宿した者へ、力を貸し与え。
力を貸し与える代わりに、更なる魂を求める、限り無く貪欲な紋章。
それが、生と死を司る紋章──ソウルイーター、と渾名される紋章の、正体だったから。
この、長かった一五〇年の間にテッドは、その紋章の持つ性を、嫌と言う程、己が目で見続けて来たから。
何時か又、己にとっての近しい者、大切な者、そんな存在が出来てしまった時、ソウルイーターが嬉々として振るうだろう『力』に、テッドは怯えた。
そんなソウルイータを欲して手を伸ばそうとしている、あの魔女の存在に怯えた。
だから世界を彷徨って……、でも、段々。
どうして、自分だけが。
どうして、この紋章の所為で、こんな辛い思いを、と。
ふっ……と、そんなことを考えてしまう瞬間が、テッドには増え。
そんな時、たまたま、彼は。
群島の島々を遠く臨める大陸の、海岸辺りを彷徨っていて。
共に行くなら、その紋章の呪いから解き放ってやろうと、『甘い誘惑』を囁いて来る、人では非ざる存在に誘われ。
誘われるまま、魂喰らいの紋章を渡し、遣る瀬ない想いを振り払って貰う代わりに、人では非ざる存在──テッドは、船長、と便宜上呼ぶことにした存在との、道行きを共にした。
…………たまたま……の、『偶然』が重なった結果乗り込んだ、『船長』が作り上げた、幽霊船のような『霧の船』で過ごすこと、それは。
乗り込んで暫くの間、彼に平穏を齎してくれた。
霧の船の中の時は、明らかに止まっていて、空腹を覚えることすらなくて、一五〇年の時を生きた後だと言うのに、紋章を手放したテッドに、死を齎すこともなかった。
苦しむことは、何一つとしてなく。
嫌な夢ばかりを見せる、眠りに陥ることもなく。
己の紋章がその命を奪ってしまった人々の住まう場所への旅路──即ち、『死』も、遠い。
そんな場所だった霧の船は、テッドにとって、暫くの間は、確かに平穏な場所だった。
…………でも、やはり、何処までも、たまたま。
大海を彷徨う霧の船は、二十七の真の紋章の一つを宿す者乗せた、巨大船と行き会い。
更なる真の紋章を手に入れる為、『船長』が手招いた紋章宿す者は、テッドには信じられぬ程『前向き』に、紋章という存在と向き合っていたから。
何処までも、何処までも、偶然に偶然が重なった結果。
たまたま出逢ってしまった、同じ紋章持ちの彼のひたむきさより、感じる物を得てしまった結果。
テッドは、決別すること叶った魂喰らいの紋章を、再びその右手に宿し。
今日も、乗り合わせた巨大船の中で、動き始めた時をやり過ごしていた。