カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『洗濯日和』
本当に細やかな、小声の、歌のようなものが聴こえてくる。
ともすれは、鼻歌にも聴こえるような。
でも、決して鼻歌ではなくて、陽気な調子でもなく、細やか以外に、表現の仕様がなく。
小さな小さな声だから、何と歌っているのか、その詩は聞き取れないけれど。
それは、確かに、歌、で。
「…………機嫌がいいのか……?」
彼、テッドは、辺りを覆う雑草の上に胡座を掻いて、小さく小さく歌を歌い続けている傍らの少年、ヨミを、じっと見詰めた。
「……え? 機嫌? 別に、普通だけど?」
思わず、の風情でテッドが問うたことに。
その手を止めて、ヨミは、きょとんと首を傾げつつ、テッドを振り返って。
不思議なことを言う、そんな表情を拵え、又、作業に戻った。
──群島、と呼ばれる、南国の島々の一つ、オベル王国の、雑草だらけの空き地。
そこに今、テッドとヨミの二人はいる。
何の為の寄港か、テッドにはよく判らないが、ヨミが率い、テッドも参加している、群島地方の北に位置する大陸の大国の一つ、クールーク皇国の侵略を防ぐべく戦っている連合軍の本拠である巨大船は、昨日から、オベル王国の港に停泊中で、寄港の目的が果たされるまで、仲間達はそれぞれ、思い思いに過ごしているようで。
そのことに関してテッドは、まあ、クールークの占領下にあったオベル王国は、先の戦いで解放されたばかりだから、色々あるのだろうな、と悠長に構えていたが。
……どうして。
十代半ばから後半程度の年齢でしかないとは言え、巨大船の船長であり、連合軍の軍主であるヨミ自身が、こんな所で一人、洗濯に勤しむのか、それがテッドには理解出来なかった。
────テッド自身にも、どれくらいの期間乗っていたのか判断の付かない『あの船』より、『借りが出来たから』とヨミ達の船へと移って、でも、極力俺には構うなと、そう宣言して歩いたのに、テッドのそんな言い分になど、ヨミは余り耳を貸さないから、それに関してもうテッドは、半ば諦めを付けている。
だから昨日、巨大船がオベルの港に碇を下ろして直ぐさま、「たまには陸の宿屋で眠る?」と、籠った部屋より、ヨミより引き摺り出されたのも。
何だ彼
酒宴が明けて、夜中、こそこそと、下らないとしか言えないお喋りをねだるヨミに付き合わされたのも、まあ、許容の範囲にした。
朝目覚めてイの一番、宿屋の客室の窓辺にて、空を見上げ。
「いいお天気だから、出掛けようよ」
と、言い出したヨミに、結局同行することになったのも。
……でも。
どうして、早めの朝食を摂って、自分を連れ、ヨミが向った先は、この空き地の片隅の、洗濯場だったのか。
何故──洗濯場にいるのだから、当たり前ではあるのだが──、ヨミがここで自らしているのは、洗濯なのか。
それがテッドには判らなかった。
これまで過ごして来た一五〇年の年月の中で、所謂『権力者』なる人種との付き合いなどテッドにはなかったから、どうしたって真実は判らないけれど、どう考えてみても、炊事や、洗濯や、掃除、と言った類いは、少なくとも、一軍を率いる旗頭自らやるべきことと、テッドには思えない。
なのにヨミは、自ら、小さな小さな歌を口ずさみつつ、洗濯をこなしている。
水を張り、泡立てた石鹸と濡らした衣装を放り込んだ盥の中に、剥き出しの両手を突っ込んで、それはそれは手際よく。
…………しかも、どう見積もってみても。
ヨミの脇に積まれた洗濯物は、ヨミ一人が出したそれ、とは思えぬ量だった。
「………………あの、さ」
だから、歌いながら洗濯を続けるヨミへ、意を決したように。
テッドは向き直った。
「何?」
「……その洗濯物、誰のだ?」
「…………え? ……僕のと、リノさんのと、タル達のと、テッドのと……。女の人は、男の僕に洗濯されると嫌な物もあるだろうから……」
「……はい? 俺のも……?」
「うん、テッドのも」
「お前、何時の間に……。──って、そうじゃなくて。百歩譲って、お前自身のはいいとしてもさ。何でお前、俺や、友人や、あの王様の物まで洗濯してんだよ」
「だって……、自分のことくらい自分でしたいし、船の上じゃ、真水は考えて使わなきゃいけないから、こんな風に思い切りよく洗濯出来ないし。だから、今日はお天気もいいし、どうせ洗濯するんなら、まとめて──」
「──だーーーーっ。だーからっ。そうじゃないつってんだろっっ。俺が訊きたいのはっ。どうして、軍主で船長のお前自らっ、洗濯なんかしてるのかってことだっっ」
「………………。こういうこと、嫌いじゃないし、慣れてるし……。洗濯日和だったし、それに……」
「……もういい…………」
けれど。
胡座を掻いた姿勢は崩さぬまま向き直り、思いの丈をぶつけてみても。
きょとんとした風情をヨミは崩さず。
げんなりと、テッドは項垂れた。
「……家事が、好きなのか……?」
だが、項垂れたまま沈黙を決め込むのも、何処となく、バツが悪く。
テッドが若干、話を変えれば。
「ううん。好き、って程でもないよ。嫌いじゃないだけ。…………テッドには、言ったことなかったっけ? 僕、養い子だったんだ。未だ物心付く前に、難破船の破片の上に乗って、海を漂ってた処を、ラズリルの人に拾われて、フィンガーフート伯──ラズリルの領主様に、養って貰ってた。だから、領主様のお屋敷で、ずっと、使用人みたいなことしてて、炊事も洗濯も掃除も、僕にとってはするのが当たり前のことなんだ」
ケロッとした調子でヨミは、洗濯の手を止めぬまま、身の上を語った。
「…………ふーん……。そっか……」
「うん。そういう訳だから、こういうこと、物凄く好きって訳でもないけど、嫌いでもないよ」
「……成程。少なくとも、歌を歌いながらする程度は、好きってことか……」
「………………えっ? 僕、歌なんか、歌ってた……?」
「ああ。何の歌なのか、聞き取れなかったけどな、小さくて」
余りにも、あっけらかんとヨミが、少なくとも恵まれていたとは言えないこれまでを告げたので、そんなもんか? とテッドは頭を掻きつつ話を続け。
歌を、と言われたヨミは、自覚がなかったのだろう、漸く手を止めて、驚いたように、テッドの瞳を覗き込んだ。