カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『魂の行方 ―これまで―』

おかに上がって、先ず揺れることなど有り得ぬ何処かで寝ているのではないか、との錯覚を、その巨大船に乗り込んだ人々が覚える程、その夜、群島の海は凪いでいた。

闇色の空に月はなく、唯、星だけが瞬いて、故に世界は仄暗く。

寄せては返す波音は聞こえず、余りにも静か過ぎて。

………………だから。

「…………でな。そいつは、毎夜毎夜、今夜こそは、海に出て行ったきり戻って来ない恋人が、自分の許へと帰って来てくれるんじゃないかと信じて、浜辺に立ち続ける女のことが不憫に思えてきて、ある日、言ってやったらしいんだ。『どんなに待ったって、お前の恋人は戻って来ない、難破した船と一緒に、海の底へと沈んじまったんだ』、って。でも、女はそれを信じなくて。そいつだけじゃなく、他の誰にそう諭されても、あの人は絶対に帰って来てくれる、そう言い張って、毎夜毎夜、浜辺に立ち続けるのを止めなかったんだと」

「……で? それで? どうなったの……?」

「まあ、そんなに先を急がせるなって。──で。帰って来ない男のことを、待ち続けるのなんか止めろって、その女に言い聞かせるのを、その海賊団の連中が諦めた頃。ある夜、突然その女が、そいつのねぐらを訪ねて来たらしいんだ。その女ってのは、恋人が行方知れずになってから、一回も笑うことなんかなかったらしいんだが、その夜に限って、やけに晴れ晴れとした顔で笑いながらやって来て」

「…………うんうん……」

「『酷いわね、皆』……って」

「……酷い……?」

「…………ああ。『酷いわ』って。『どうして皆して、あの人はもう帰って来ない、なんて嘘を吐いたの? あの人は、ちゃんと帰って来てくれたわよ、ほら』。……そう言いながら、その女は徐に振り返って、釣られたようにそいつが女の背中を覗き込んだら、そこには、海藻をびっしり全身に張り付かせた骸骨が、女の背中に負ぶさるように────

「ちょ……。一寸、イヤーーーーーーっっ。止めてってばーーーっ。どうしてそんなに気持ち悪い話すんのよ、ハーヴェイさんの馬鹿ーーーーーっ!!」

──巨大船のサロン一階、ルイーズの店の前に屯った、群島の島々を侵略しようとしているクールーク皇国と戦うべく集った仲間達の一部は、そんな風に声高な声で、怪談話を語っていた。

陽気な酒が好みらしい、女海賊キカ率いる海賊団の一員ハーヴェイが、やけに神妙な顔をしながら、リタやノアと言った少女達なら怖がってくれそうなネタを披露すれば、あちらこちらから、若い女性の悲鳴が上がって、そこに、それを聞き付けたハーヴェイの、してやったり、と言った感じの笑い声と、楽しそうな相棒の様に、思わず苦笑めいた声を洩らした、やはり海賊団の一員シグルドのそれが混ざって。

「古典的な話一つで、なーにを自慢げにしてやがる。……今度は俺が、とっておきの奴を話してやる」

更に、オベル王国々王リノ・エン・クルデスの、納得いかなそうな声が折り重なり。

「……あんなに穏やかで陽気な国に、それ程の怪談話などあるのか……?」

低く静かに、素朴な疑問を吐いたキカの声までもが入り交じって。

その夜の暑さも手伝い、数多の人々が座を囲む、一寸した『肝試し』会場と化したルイーズの店先は、それはそれは賑やかだった。

後部甲板へと続く、第二甲板の通路にまで、人々の声が響き渡る程。

「…………何を騒いでやがるんだか……」

──その喧噪を。

今正に、第二甲板の通路を抜けて、後部甲板へと向おうとしていたテッドは聞き付け。

だが彼は、怪談なんて馬鹿馬鹿しい……、と肩を竦め、人々が洩らす賑やかな声など存在していないかのような素振りで、目的の場所へと続く、小さな扉を開け放った。

「……何だ、又いるのか」

一五〇年前から、その右手に宿している『生と死を司る紋章』──ソウルイーターと渾名される、宿した者の、愛しい存在、大切な存在、それを喰らう二十七の真の紋章の所為で、テッドは他人との接触を極力避けて通しているから、誰にも邪魔されず、一人きりで海を眺める為に、彼はよく、真夜中、人気の絶えた後部甲板に身を置くのだけれども。

彼の『お気に入り』の場所は、ナユタ、という名らしいと最近になってテッドは知った、この巨大船の船長であり、クールーク皇国と戦う一団の軍主である少年ヨミも又、『お気に入り』らしく。

テッドが、後部甲板を『お気に入り』と定めてよりこっち、幾度となく、テッドとヨミは、それぞれの『お気に入り』であるそこで、鉢合わせており。

今宵も又、鉢合わせた。

「うん。……でも、テッドだって」

狭いその甲板の両脇を囲む、手摺に凭れて佇んでいたヨミに、又か、とテッドが言えば。

肩越しにヨミは振り返って、仄暗い星明かりの中、静かに笑んでみせた。

「俺は、いいんだよ。俺には俺の、事情があるんだし」

「……あ、その言い方は狡いと思う。僕にだって、僕の事情がある」

「あー、そうかい」

俺は、一人になりたくてここに来たんだけどな……、と。

ヨミの笑みへ、テッドは仏頂面を返したが、テッドの不興など、何処吹く風でヨミは流して、再び彼は、海を眺め出した。

……口下手で、過ぎる程に控え目で、大人し過ぎる質で、仲間達からは、どうしてそんなに思慮深い、と、時に嗜められる程のヨミであるのに。

テッドが、彼が左手に宿している『罰の紋章』と同じ、二十七の真の紋章の一つ、ソウルイーターを宿している『仲間』であるからなのか。

それとも、初対面の騒動の時、「友達になろう」と自ら吐いた科白を実践しているのか。

ヨミは、テッドの前では比較的、普段よりは態度があからさまで、口数も多く、『一寸した我が儘』も通す。

それ故に、もう、何を言っても無駄だな、とテッドは悟って、諦めた風に、佇むヨミの隣に腰を下ろした。

──己が宿したソウルイーターの真実を、ヨミには白状してしまった所為だろう。

ヨミが、テッドの前でだけは、『テッドの前でだけ取る態度』を見せるように、最近のテッドも又、ヨミの前でだけは、『ほんの少しの気安さと、ほんの少しの気楽さ』を見せられるから。

無理矢理、ヨミを退けることもなく、部屋へ引き返すこともせず、テッドはヨミに倣うように、その隣で、海を眺め始めた。