カナタとセツナ ルカとシュウの物語

Traumereiトロイメライ

北大陸最南部を領土とするクールーク皇国が、南進政策を掲げ、群島諸国への侵攻を開始したのを切っ掛けに勃発した、今では群島解放戦争と呼ばれているあの戦いが終ったのは、去年のことだ。

太陽暦で言えば、三〇七年。

既に、半年も前のことになる。

彼の戦争に勝利を収めたのは、群島諸国の者達が結集し立ち上げた『連合軍』で、激戦の果て、領内南部に於ける最大の軍事拠点だったエルイール要塞をも失ったクールークは撤退したが、群島諸国も、戦勝を、そして終戦を、手放しでは喜べなかった。

エルイール要塞という、皇国が群島地方へ打って出る為には不可欠な拠点を破壊せしめたとは言え、クールークが、完全に南進を諦めた保証は何処にもない。

群島諸国の中では最も西に位置する、群島最大の島を国土とするガイエン公国は、戦前から、クールークと事を構える気は皆無という姿勢を崩さなかったばかりか、戦中は、自領だったにも拘らず、クールークに一時占領されたラズリルを事実上切り捨て、終戦から半年が経った今も、単身、黙りを決め込んでいる。

……要するに、群島諸国の者達が、群島解放戦争で掴んだ勝利と平和は、そういう意味で脆かったのだ。

故に、連合軍の重要人物の一人でもあった、オベル国王リノ・エン・クルデスは、故郷の海の将来を見据え、戦中から群島の各首長達に根回しをし、終戦を迎えると同時に、オベルを盟主国とする群島諸国連合を発足させた為、あれから半年が経って年すら跨いでも、彼もオベル王国も、戦後処理のみならず、そちら絡みの件でも忙殺されていた。

一方。

連合軍の軍主であり、彼等の本拠地ともされた巨大船ナユタの船長でもあった少年──ヨミは、この半年、ラズリルの島にて日々を送っていた。

元々は、ガイエン海上騎士団──現在のラズリル海上騎士団の一員だったという事情もあり、ラズリルがクールークに占領された際、半ば瓦解してしまった騎士団の立て直しに助力したかったし、物心付く以前に孤児となった己を育ててくれた、故郷同然のラズリルの復興にも手を貸したかったし。

その本音が何処にあったにせよ、孤児だった彼を引き取り養ってくれたのは事実である、かつてのラズリル領主のフィンガーフート伯爵嫡男、スノウ・フィンガーフート──挟持だけを押し通して、戦場と化させてしまうよりは遥かにましな道の筈だ、と思い定め、クールークにラズリルを差し出し、結果、島民達に裏切り者と見做された彼の。

ヨミにとっては、かつては『親友という名の主』だった、なれど、やはりあの戦争を経て本当の親友になれた彼の力にもなりたかったから。

それでも、出逢って以来、ずっとヨミを気に掛け目も掛け、親しくもしていたリノは、忙しさの合間を縫っては、

「お前が連合軍の軍主だったんだから、ちったあオベルに帰って来い。薄情な真似ばかりしてないで、とっとと帰って来い」

と、矢のように催促して来たが、ヨミは、やんわりと、彼よりのそれを袖にし続けた。

──当人の認識や想いは兎も角、客観的には群島解放戦争に於ける一番の立役者だった軍主で、クールークとの最終決戦直後には、リノや、彼の長子であるフレア王女との間に血縁関係があるかも知れない、と判明したヨミが、この半年、頑なまでにオベルの地を踏もうとしなかったのは、その、あるかも知れない、と判明して『しまった』血縁関係の所為だ。

……オベルには、性別を問わず、王、又は女王の第一子に王位継承権を授ける慣しがある。

故に、ヨミが、今より遡ること十六年前の、リノの妻──かつてのオベル王妃が、襲撃してきた海賊船より自国の哨戒船や共に乗り込んでいた子供達を救うべく、宿していた罰の紋章の力を振るって命を落としてしまったあの出来事の際、二歳になったばかりだったにも拘らず、やはり亡くなってしまったと思われていたリノの第二子──即ち、オベル王子やも知れぬ、と相成っても、表立った波風は立たない。

オベルを担う次代の国主は、王女フレアであるのに変わりはない。

だが、群島解放戦争の英雄となった、誰もが死んだと思っていたオベル王子かも知れない存在は、かも知れない、でしかなくとも火種に成り得た。

……彼の王国の者達は、皆、おおらかな質をしている。島民以外には理解し難い拘りは少なく、余所者にも優しく、容易に受け入れる。

王家の者達からして庶民的で親しみ易く、特にリノは、細かいことには拘らない。拘らなさ過ぎる、とも言えるが。

だから、例えば、フレアを廃嫡し、先の戦争の英雄でもある王子のヨミを……、と企むような不届き者が出る余地は余りないけれども、やはり例えば、クールークやガイエンや、北の赤月帝国の者達には、その程度の陰謀は朝飯前だろうし、本当にそんな事態が引き起こされてしまったら、再びオベルが、延いては群島が、戦の危機に晒さ兼ねない。

それに加え、連合軍の軍主となる少し前より、彼の左手には、二十七の真の紋章の一つ、『罰の紋章』──償いと許しを司る紋章が宿っている。

力を振るう度に宿主の命を削り、やがては宿主そのものを喰らい、新たな『獲物』を求めて無作為に人に取り憑く、酷く質の悪い紋章が。

どうしてなのかの『正しい理由』など、ヨミには到底思い至れぬが、戦争を終えた直後から、罰の紋章は力を振るっても彼の命を削らなくなり、或る意味ではすっかり大人しくなった。

とは言え、あの戦争の最中、幾度か彼の前に姿を現し、レックナートと名乗った不可思議な魔女がクールークとの決戦前夜に言っていた通り、彼が紋章を手放したり命を落としたりすれば、全ては元の木阿弥なのだろうから、何時何時までも、ヨミは罰の紋章と付き合っていかなくてはならず、又、その覚悟は疾っくに彼の中で定まっている。

…………だから。

質の悪さのみだけでなく、真の紋章が宿主に齎す、不老という名の『不要な恩恵』とその理に従い、大切な人々が年老い逝ってしまおうと、如何に世界が変わろうと、永劫の刻を生き続けなくてはならぬ彼には、父かも知れぬリノに何と乞われようとも、おいそれとオベルの地は踏めなかった。

真の紋章狩りに熱心だと言う、世界最大の大国ハルモニア神聖国に、何時目を付けられても不思議ではない、との事情も相俟って。

成長という意味でも、老いるという意味でも刻を止めてしまった、己から離れれば又もや『呪いの紋章』と化すそれを携えたまま、様々な意味で火種に成り兼ねぬ自分が、オベルを訪れるなんて……、と。

ラズリルからも、そろそろ去らなければ、と思っているのに……、とも。

────だが、それでも。

終戦から半年が経ったその日の日没間際、ラズリルとオベルを結ぶ定期船から、オベル港の船着き場にヨミは降り立った。

姉かも知れないフレアよりの手紙で、『もうこれ以上、貴方に会う為だけにラズリルに乗り込み兼ねないお父さんを抑え込む自信がないから、一度、オベルに来てくれない?』と、泣き付かれてしまったから。

仕方ないなあ……、との態を取って、渋々。

けれど、フレアから届いた手紙は、そして内容は、実の処、ヨミにとっては有り難いものだった。

実の親兄弟の顔も知らず、そんな者達が存在しているか否かも定かでなく、拾われた子であり、フィンガーフート伯爵家の下男として在るしかなかった彼は、言葉や態度に出さぬだけで、人一倍強い、肉親に対する憧れの情を隠し持っている。

故に、本心では、『かも知れない』でしかなくとも、『かも知れない』のまま、実の父やもなリノに、実の姉やもなフレアに、息子やも知れぬ者として、弟やも知れぬ者として、甘えてみたかった。

但、控え目にも程がある性格な彼だから、己の立場や、『質の悪過ぎる真の紋章を宿し、不老となった先の戦争の英雄』という存在の意味や意義や、宰相のセツを筆頭とするリノ達に忠誠を誓う者の気持ち等々のみを慮って、自身の気持ちや願いは押し殺し、我慢を重ねていただけだったのだが。

とうとう、肉親への憧れを堪え切れなくなったヨミは、フレアの手紙を渡りに船として、半年振りに、オベルに──家族かも知れない者達の許へ戻った。