「トロイメライ?」

「どうして、お父さんが知ってるの? こういう物に、興味なんかないのに」

その曲名を、持ち主の夫だったリノが知っていても不思議ではないが、その手のことには一切の興味を払わない口な彼から、するりと答えが返されたのが意外で、ヨミもフレアも思わず目を丸くし、

「軽く、馬鹿にされてるのは気の所為か? ったく、二人して……。──俺が、あいつに贈った物なんだ、曲名くらい知ってて当然だろう」

親に向かって取る態度じゃない、と憮然としつつも、笑みを浮かべ直したリノは、二人に理由を教えた。

「結婚したばかりの頃に、オベルにやって来た行商人から買ったんだ。確か、ハルモニアで作られた物だって話だったな。正味の話、決して安くはなかったが、一瞬だけ、あいつが欲しそうな顔をしたから、たまにはいいか、って」

「へぇ……。お母さんが。ハルモニア製の珍しい物だったからかしら」

「いいや、そうじゃない。その行商人がした曲の話に惹かれたみたいだった。本当かどうかは知らないが、トロイメライとは、何処だかの言葉で、夢とか夢想とか、そんな意味なんだそうでな。作曲者は、子供の世界とか、子供時代とか、そんな物に憧れてその曲を作ったって逸話があるんだと聞かされたからだろう。……あいつは、本当に子供が好きで、結婚する前から欲しがってた。だが、あの頃は未だ、俺達の間に子供はいなかったからな。それで、授かりたかった子供と、その曲の逸話と、重ねちまったんじゃないか?」

「そうだったの……。その話は、初耳」

「まあ、な。こんな話をする機会も、なかったからな……」

酷く懐かしそうな目をして、オベル王妃の形見のオルゴールに纏わる逸話を語ったリノに、フレアは、しみじみとした声で呟き、ヨミは無言のまま、己の掌の上のオルゴールを見詰めた。

たった今聞かされた話から、「子供時代か……」と思ってしまったが為の、何処となく複雑な顔をしながら。

「さて、と。それじゃあ、戻るか。フレアに見付かっちまった以上、ここで朝まで酒盛りって訳にはいかなくなったからな。戻って寝るぞ、ヨミ。フレアも」

そして、彼の、言葉にするなら寂し気な表情に気付いたリノとフレアは、こっそり頷き合って、オルゴールが奏でていた音色が掠れつつ途絶えるのを待ち、ヨミを促し立ち上がった。

今度は三人水入らずで、散歩に似たゆるりとした足取りで以て長い坂道を登り、戻った王宮に一歩入った所で、ヨミは、二人へ就寝の挨拶を告げようと立ち止まったが。

「何やってんだ、こっちだ、こっち」

「え、こっちって……。客間は、そっちじゃないですよね?」

「いいんだよ。今夜のお前の部屋は、こっちなんだ」

「そうそう。そっちじゃなくて、あっち」

そんな所で止まるなと、リノは彼の二の腕を引っ掴み、フレアはその背を押す風にした。

「でも、えっと…………。……え?」

有無を言わせぬ彼等に連れて行かれた先は、どう鑑みてもリノの私室で、どうして? と訝しんだヨミを、二人は室内へ引き摺り込む。

「三人で寝るにはちょいと狭いが、何とかなるだろう。フレア、落ちるなよ?」

「お父さんこそ。って言うか、落ちるだけなら兎も角、ヨミや私のこと潰さないで頂戴ね」

そうして、戸惑うしか出来ない彼を尻目に、彼等は、さっさと上着と靴だけを脱いだ姿になって、ヨミの上着や腰の得物や靴まで剥ぎ取り、突き飛ばすようにリノの寝台に転がすと、自分達も彼を挟んで横たわった。

「あの……。えっと…………」

「さ、寝ましょう」

「いえ、でも、その……」

「いいから、いいから。親子同士、姉弟同士だ。何にも気にすんな」

「………………気にします。気になります」

「グダグダ言うんじゃない。小さな子供に戻ったと思っとけ」

「そうよ、そう思っておけばいいのよ。所詮、雑魚寝なんだから」

何が何やら……、と思い、リノさんとは兎も角、フレアと一緒に雑魚寝って言うのは問題あり過ぎると思う……、とも思い、ヨミは、何とかこの状況から逃れようとしたけれども、想いを上手く言葉に出来ない彼には真っ当な抗議が出来ず、結局、二人に押し切られてしまって、「お休みー」と、部屋の灯りも落とされてしまった。

ひと度は諦めて、二人が寝入った頃に抜け出せばいいか、とも思ったが、何時の間にか、左右からガッチリ腕を掴まれてしまっていて、当分は脱出不可能と悟った彼は、ぼんやり、辺りを見回す。

開け放たれたままの窓から忍び込む夜風が、それなりには大きな寝台を覆う天蓋の布を揺らす様だけを何となく見詰めて、微かに聞こえてくる波音に耳を傾けていたら、少し、眠くなった。

だから、どうとでもなれ、と、ゆっくり瞼を閉ざしたヨミは、それ程間を置かずに小さな寝息を立て始め、彼がすっかり寝入った頃、気配に聡い彼に気付かれぬよう、そうっとそうっと起き上がったフレアは、同じく、そうっとそうっとオルゴールの螺子を巻き直して、小箱の蓋を開けた。

奏でられ始めたあの曲が暗い室内を満たし始めても、それと知らず眠り続けるヨミを、フレアも、狸寝入りをしていたリノも、暫し見守り続ける。

「やっぱり、強引だったわよね。ヨミは、嫌だったかしら……」

「本当に嫌だったら、こんな顔して寝やしない」

「だといいんだけど……。────ねえ、お父さん。本当なら子供の頃に作れた筈の思い出も、これから先の思い出も、ヨミと私達の間に出来る限り積みたいと願うのを止められないのは、やっぱり我が儘なのかしら」

「……かもな。俺達の我が儘で、只の身勝手かも知れない。行き過ぎなまでに何でもんでも弁えてて、控え目で、そのくせ、とんでもない覚悟を決めちまってるこいつには、迷惑なだけかも知れないが。かも知れないでしかなくとも、俺達は、家族で、親子で、姉弟だ。持たせられる限りのものを持たせてやりたいと思うのは、自然なことだろう」

「…………そうね。私達は十五年も、この子を見付けられなかったのだし。この先だって、何時まで、こうしていられるか……」

「だから、だろう? この先、何時までこうしていられるかなんて、俺達には判らない。多分、ヨミにも。…………だから」

────己の寝顔を、息を潜めて見詰めるフレアとリノが、彼等自身にも聞こえ辛い程の小声で、そんなことを語り合っていたとは知らず。

眠り続けたヨミは、その夜、夢を見た。

怖いくらいに幸せで、けれど、止まってしまった刻の向こう側にしかない、決して手の届かぬ夢を。

End

後書きに代えて

本当に久し振りに、幻水4時代の話を(以下略)。

んで以て、故に恐らく、他の幻水4時代が舞台の話とは、書き方その他に相違が(やはり以下略)。

──数年振りに幻水4のゲーム画面を眺めて、エンディングなんかもチョロっと見たら、ヨミ@4主にも、幸せなひと時があったんだよ的な話を書いてたくなった。猛烈に。

真実、幸せなひと時か否かは兎も角。

これは、そういう動機で書いた話。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。