カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『百年後の旅路』
見渡す限り、緑……と言いたくなる程広大な、春の草原の片隅を。
見た目はチョコチョコとした感じで、薄茶色のマントを羽織った少年らしき影が、とと……っと駆けていた。
晴天の午後。
トラン共和国の西方、クナン地方に広がる緑の海原の一角で、それは垣間見られた光景だったけれど、少年らしき影が駆けている場所は、街道から若干外れているだけでなく、動物や魔物達の水飲み場になっている小さな川がある為に、人間は余り近付かないような場所だったから。
何処か、慌てた風な顔をして駆け続ける少年の姿を見た旅人はいないだろう。
だから、やがて。
よくよく見てみれば判る、疾走と言うべき速さで草原を駆け抜ける少年の影は、誰にも見咎められぬまま、背の高い草々の中へと消えた。
獣達や魔物達の使う小川より、少し離れた場所にある森の入り口に、門番のように聳え立っている大樹の根元へ、緑の中を一直線に駆けた少年が辿り着いた時。
纏っていたらしい深緑色のマントや、黒い色をした技物らしい棍や、旅に必要と思しき僅かな荷物を傍らに放り投げた、もう一人の少年は、『門番』の根元に座り込み、何処かぐったりと、幹に凭れていた。
「だいじょぶですか? カナタさん」
大して息も切らさず、先程より草原を駆けていた少年は、バタバタと、座り込んでいた少年──百年程前、赤月帝国を滅ぼし、このトランの大地にトラン共和国を建国した『伝説の英雄』、カナタ・マクドールの名を呼んだ。
「……ああ、セツナ。──平気だよ。すまないね……一寸ね……」
けだる気に幹に凭れていたカナタは、名を呼んだ少年──やはり、百年程前、トランの隣国ディナンにて、統一戦争が勃発した際、デュナンという名の新しい国を建国した、これ又『伝説の英雄』、セツナへと、微笑みを向けた。
「ホントですかあ?」
「うん、本当。ほんの少し、だるいだけ」
────デュナンにて起こった戦争が終わって、新国の国王となったセツナが、カナタと共に『出奔』を果たして百年と少し。
それ程の長きに亘り、歳月を共にして来た、外見だけは少年のままある彼等は、今でも尚、『こうしていて』。
どうやら今、誠に珍しいことに……と言うべきか、鬼の撹乱、とでも言うべきか、カナタの体調は、思わしくないようで。
その為に、カナタをここで待たせて、小川へと走ったらしいセツナは、今は濡れそぼっている、たっぷりと水で満たされた、革で出来た二つの水筒を、ぽん、と足許に放り投げると、水筒を掴んでいたのとは反対側の手に乗せていた、小川で漬して来た布を、カタナに背を向けてから絞り。
「…………で? ホントの処はどうなんです?」
にこお……っとした笑いを浮かべてセツナは、あれから百年の年月が流れても、相変わらずカナタがしている若草色のバンダナをちゃっちゃと取り外してから、けだるそうな人の隣に腰掛け、ふんっっと、強引にその頭を自らの膝の上へと乗せ横たわらせると、ぺしり、少しばかり乱暴な勢いで、冷たい布を、カナタの額に乗せた。
「君も、言うようになったよね、最近」
抗うかと思いきや、カナタは大人しく、セツナにされるままになって。
額に乗った布の心地良さに負けたのか、すっと瞼を閉ざして、口先だけを動かした。
「そりゃー、言います。言えるようにもなります。カナタさん、放っておくと、先ず誤魔化しを言うって、この百年で僕は嫌って言う程、学びましたから」
「……そうかなあ……。僕はセツナに、嘘なんて吐かないけど」
「……………………。────少なくとも、自分の体調のことに関しては、カナタさん、ぜっっっったいに、誤魔化しから入る筈ですよ、僕の前でも。だってカナタさん、今まで百年間、いっっ……ちども、具合悪くなったトコ、僕に見せたことないじゃないですか」
「そうだっけ? でもそれは、お互い様だよね、セツナ」
「そうです。お互い様だろうが何だろうが、そうったらそうです。──で? 本当はどうなんですか?」
「……気持ち悪い。吐きそう。頭も一寸、痛いかな……。熱は……微熱程度だと思うけど」
それだけ口の廻る者の、一体何が悪いと言うのだ、と。
思わず言いたくなるようなカナタの軽口に、それでもセツナは付き合い、根気良く問い詰めれば、やがて諦めたように、『恐らくは本当のこと』をカナタが白状したので。
「大丈夫ですか……?」
困ったような、ともすれば泣きそうな、そんな顔をセツナは作った。
気持ちが悪く、吐きそうで、頭も少し痛く、微熱がある、とカナタが言った、ということは。
実際は少なくとも、その二倍から三倍、酷い症状が出ていると計っても間違いはない、とセツナは知っているから。
だが、『これは普通の病ではないし』……と。
どうしよう、そんな風に、セツナは口を噤んだ。
「心配しなくても大丈夫。……情けない話だけれどね、単なる『調整不足』だから。修行が足りないだけなんだよ、僕の。…………ほら、この辺は百年前の古戦場があちこちにあるだろう? だからねえ、もー、あっちでもこっちでも、死霊が湧いてくれて。うざったいったら……。完璧に、感じなくなってくれれば楽なんだけど……」
楽にしてあげたいのに、楽にしてあげることが僕には出来ない、と、そんな雰囲気を、その時セツナが醸し出したのを、知ってか知らずか。
カナタは、口許のみで微笑みながら、瞼を開かぬまま、そう言い。
「そう……ですか……」
「そう。だからね、君が気にすることじゃないし、少し休めば平気。──御免ね、一寸このまま、暫く膝貸して」
彼は、日射しを遮る大樹の根元にて、セツナの膝を枕にしたまま、軽く、身を丸めた。