数年前より。
百年の間、生と死の紋章を宿して来た所為なのだろう、カナタには、判り易い言葉で例えるならば、『霊魂』というものが視えるようになった。
俗に言う、幽霊、という存在が。
未だ、セツナがデュナンの大地の半分を統治していたジョウストン都市同盟の後を引き付いた、同盟軍の盟主だった頃、吸血鬼の始祖、シエラに『予言』されたように、カナタの視界の端を、走るようになった。
始めの頃はそれでも、カナタが見遣る『幽霊』達は、百年前、本当に少年だった頃を過ごした懐かしい者達や、トランやデュナンにて、共に戦場を駆けた仲間達ばかりだったけれど。
それが視えるようになってしまった、ということを、切っ掛け……と言えば切っ掛けにして、この百年、最愛のセツナにすら誤魔化し続けて来た『本当の想い』という物を、カナタがセツナに吐露した辺りから、のべつまくなし、誰彼構わず、ソレは視えるようになり。
挙げ句、『彼等』の、所謂恨み辛みや、生前の思い出、という物すら……否、そればかりか、『肉体的な痛み』すら、カナタには汲み取れるようになってしまったので、古戦場、というような、死人を大量に生んだ場所へ近付こうとしている彼が、体調の一つも悪くするのは、致し方のないことかも知れない。
だが。
だからと言ってカナタは、大人しくそれに甘んじ耐えるような、可愛らしい性格をしてはいないので。
「あー………。頭キた。気持ち悪いったら……。おえ…………吐きそ……」
セツナの膝を枕に、暫くの間、蒼白の顔色で縮こまっていた彼はやがて、セツナの腰辺りにしがみ付くようにして呻き。
「困っちゃいましたね……。──あ、そうだ。目的地、一寸変えましょうか。ほら、カナタさんが何時かはお化けさん達を視るようになるかも知れないって教えてくれた、シエラ様、探してみません? シエラ様ならどうしたらいいか、知ってるかもですし」
「………冗談きついよ、セツナ。あの『おばあ様』に、不様な真似、僕が曝すと思う?」
「思いません……。──えーと……。……あ、じゃあ、ルックかレックナート様──」
「──以下同文。────あーーもう。しんっけんに、腹立って来た。……どうしようかな……。セツナに相手させて、挙げ句『本気』で、って訳にはいかないし……。────決めた。一寸出て来る」
己が背中を摩りながら、あ、と閃いたように言ったセツナの案を却下して、カナタはすくっと立ち上がった。
「出て来る……って、何処へ?」
ぽろりと額から落ちた布を、ぽいっと渡して来たカナタより受け取って、ん? とセツナは首を傾げた。
「そこの、草原。その辺の魔物、一掃して来る」
「………随分と、物騒な八つ当たりですねー……」
「疲れれば、余分な物なんて視えなくなるかも知れないしね。本当は、『古戦場』のど真ん中で、魂喰らいを解放してやりたいくらいだけど。それで、余計な物が消えるかどうかは未知数だから、そこまで過激なことは試したくないし……。──ああでも、いっそその方がいいかもねえ……」
「又、そんなこと言って……。──でも、カナタさん? 具合悪いのに、戦って平気ですか?」
「平気。……ああ、そうそう。危険だから。よっぽどのことがない限り、近付かないようにね、セツナ。『駄目そう』だな、って時だけ、宜しく」
セツナに取られた、若草色のバンダナを巻き直し、大地の上に転がした棍を拾い上げ、待っててとばかりに、にこっとセツナに微笑み掛け。
目指すのは、あの緑の海原、と、カナタは歩き出す。
「『危険』だから……? どんなに具合悪くったって、その辺の魔物なんかじゃカナタさんの相手にすらならな………────。あーーーーーーーっ! 駄目ですってばーーーっ。こんなトコで、魂喰らいなんか起こしちゃ駄目ですってばーーーーーーっ!」
その顔色からは想像も付かぬ程しっかりした足取りで、草原へと向かって行くカナタの背を、セツナは黙って見送ろうとしたが、ふっと、残し置かれた言葉の意味に気付いて、彼も又、ばっと立ち上がり。
「カナタさんっっ! カナタさんってばーーーっ!」
慌てて、カナタの後を追ったけれど。
「来ちゃ、駄目」
何時の間にか、セツナよりも大分先を行っていたカナタは、追い縋る少年をくるりと振り返ると、綺麗に微笑みながらも、嗜めるように言い。
「でも…………」
「いいから」
セツナが足を止めるまで、その柔らかな表情の中に一点、鈍い色を瞳のみに宿して見詰め。
やがて彼は、数週間前、やっと本当の意味で恋人となったセツナより遠く離れ、草原……否、『古戦場』の直中に、一人立ち尽くした。
そうして、彼は。
とん、と、まるで魔法使いの持つロッドのように、一度、棍で以て大地を叩くと。
更なる、西方を、遠く眺めた。
見据えたその先に、かつて、ソニエール監獄、と呼ばれたモノが建っていたのを、知っているから。