カナタとセツナ ルカとシュウの物語
『戀人』
巡り逢ったばかりの頃も、共に過ごした百年の間も、出逢いから百有余年が過ぎた今も。
彼を知る者達には、トラン共和国建国の英雄、と呼ばれ続けているカナタ・マクドールは、やはり、当人を知る者達には、デュナン建国の英雄、と呼ばれ続けているセツナを、変わらず溺愛している。
歳月の流れが、向ける溺愛の質こそ変えさせたものの、昔も今も、彼は、現在では真実の意味で恋人同士となったセツナを、まるで掌中の珠の如く、大切に大切に扱う。
彼にとって、セツナは、唯一無二──失ったら最後、生きることさえ危うくなるまでの存在。
……が。
そのように、百年もの間、溺愛し、甘やかし続けてきたセツナ相手に、カナタは今、本気で腹を立てていた。
カナタ自身、ここまでセツナを叱るのは、これが最初で最後かも知れない、と思う程、きつい態度で接していた。
「……御免なさい………………」
「それはもう、聞き飽きた」
「…………でも、御免なさい……。……あの、僕、本当に反省してるんですよ……?」
「それは、僕にも判ってる。反省もしてなかったら、この程度じゃ済まさない。だから、僕が怒っているのは、そこじゃない。──セツナ。くどいようだけど。さっきから何度も言っているけれど。どうして君は、僕の言い付けを守らなかった?」
「……えと、それは、その。大人しく──」
「──それも、もういい。幾度も聞いた。大人しくしてるのに飽きたから、僕の言い付けを破って宿を抜け出した挙げ句、云々、なんだろう?」
「はい……。でも、あれは不可抗力って言うか……」
「…………でも? セツナ、今、でも、って言った? その科白が出てくるってことは、本心では反省していないということだね」
「え? いえ、そんなことないです! ちゃんと反省してます!」
「じゃあ、今の『でも』は何?」
「……御免なさい…………」
────半月程前より、二人は、デュナンの一都市、サウスウィンドゥに逗留している。
数十年振りにデュナンを巡ってみようと決めた際に立てた薄らとした予定では、疾っくに発っていた筈の街だったのだが、見たくもなかった『古馴染み』に、セツナが、生きるか死ぬかの目に遭わされてしまった為、彼等は未だ留まり続けており、サウスウィンドゥに到着した日以来世話になりっ放しの宿屋の己達の部屋の床に、カナタは、もう四半刻以上もセツナを正座させ続け、しょぼん……、と身を小さくしている彼の眼前に仁王立ちしつつ、説教していた。
そんなことになってしまった発端は、カナタの弁通り、セツナが、「僕がいいと言うまで、ちゃんと療養し続けること。勝手に一人で出掛けないこと」との、彼の言い付けを破った所為だ。
……確かに、セツナは生死を彷徨うような羽目になったが、それも、もう半月も前の話。
未だ、貧血の気は多少残っているものの、紋章のお陰で傷は疾っくに癒えており、血の気が足りない以外に気を遣わなくてはならぬこともないのに、何時までも、凄いお年寄りみたいな生活なんかしていられない、と彼は、少しの間ならバレない! とカナタが不在だった隙を狙い、無断で宿を抜け出した。
半月前に起こった事件が事件とは言え、正直、只でさえ自分には過保護なカナタの、普段の三倍増な過保護っぷりにセツナはうんざりしていて、が、やはり事件が事件だったから、彼の気持ちは判らないでもないし、辛い想いをさせたのは事実、と、うんざりを直接彼に訴える気も勇気もないセツナは、息抜きがてら、ほんの少し散歩をするだけのつもりだった。
しかし、そこで又、事件が起きた。
百年前とは大分様変わりをしたサウスウィンドゥを探検、と洒落込んでいた彼を、少年と判っていてナンパした強者がいたのだ。
常にカナタと連れ立っている、外見は十四、五程度にしか見えない少年──即ち『子供』に、粉を掛けようなどという酔狂な者は先ず滅多におらぬし、敢えて子供を引っ掛けるような手合いが彼に近付いた際は、カナタが尽く退けてきたので、真っ向から、しかも男に、大変判り易いナンパなぞされたのは、セツナには生まれて初めての経験で、普段ならば容易くぶっ飛ばせる軟弱そうな青年を、彼は上手く蹴散らせなかった。
デュナンの覇権を制した同盟軍盟主時代の彼を、恋愛対象として見ていた数名の少女達は、カナタ、という存在の所為もあって、皆、そういう意味では積極的に彼に接しようとはせず、国王時代の彼に、そのような気持ちを抱いた者は皆無で、カナタと二人、デュナンよりのトンズラを果たして以降は……、だったので、言葉で誘われるだけでなく、強引に腕を掴まれ抱き込まれそうになっても、混乱してしまい、逃げよう、とすら思い付けなかったセツナに出来た唯一のことは、半べそでカナタの名を叫ぶ、それだけだった。
幸い、人目に付かない暗がりに引き摺り込まれる直前、彼の脱走に気付いたカナタが捜しにやって来たので事なきを得たが、セツナ相手に不埒極まる振る舞いに及ぼうとした青年に『それなり』の制裁を加えても、カナタは立腹しきっていて、セツナを連れ宿へ戻った途端、怒りも顕な説教を始め……────。
「気持ちが判らない訳じゃないよ。大人しくしてるの嫌いだからね、セツナは。だから、少しくらい……、と思ったのだろうけれど。半月前も、今日も、君曰くの『直ぐに戻るつもりだった外出』で、碌な目に遭っていないのは事実。……言い分は?」
「ありません……」
淡々とした低い声で言いつつ、据えた目でカナタはセツナを見下ろし続け、セツナは、「でも、半月前も今日も、運がなかっただけで、僕は悪くないと思うんだけどな……」と、胸の中でのみ愚痴垂れた。
「本当に、もう…………。……まあね、君自身には非がないと、僕にも判ってはいるんだけど」
ひたすらに詫び、反省し、としつつも、いい加減堂々巡りになっている説教に、むー……、とセツナが密かに口尖らせたのが判ったのだろう、大きな溜息を吐いて、やっと、カナタは小言を切り上げる。
「……それ、はー……、何と言いますかー……」
漸くお許しを貰い、痛かったぁ……、と足を崩してセツナは、ごにょごにょ言いながらそっぽを向いた。
「セツナ。お願いだから、これ以上僕の寿命縮めないでくれる? あんな軟弱な馬鹿男程度、どうとだって出来るのに、変な所に引き摺り込まれそうになってるし……。何で抵抗しなかったの」
「はぁい……。──僕だって何とかしたかったんですよ。何とか出来るのも判ってましたけど、経験不足が祟ったと言うか……。も、頭の中真っ白になっちゃって、どうすればいいの!? って焦っちゃって……」
「……ああ、まあ、その言い分は理解出来るけどね。今でもセツナ、そういう方面はアレだし、その手のことには触れさせずにきちゃったから。でもね、僕が間に合わなかったら、セツナ、自分がどうなっちゃってたか判ってる?」
「……それは、まあ……。正直、想像もしたくないですけど……。……御免なさい…………」
「うん、もういいよ。……御免ね、セツナ。僕も少し言い過ぎたかも知れない」
実