翌日の黄昏れ時。
何とか、頬に赤味を戻して目覚めたセツナは、「僕、ユーバーに刺されたのに、どうして……?」と、ぼんやり辺りを見回した後、あっっ! という顔を作って、がばり、跳ね起きようとした。
けれど、血の気が足りている訳ではなかったから、くらっ……と眩暈を起こして寝台に沈み掛け、
「大丈夫?」
傍らに付き添っていたカナタに、傾いで行く体を支えられながら、心配そうな面持ちで顔を覗かれることとなり。
「………………御免なさい……」
絶対、怒られるっ! と彼は身を竦めたが。
「君が無事で良かった…………」
「……本当に、御免なさい…………」
叱られることもなく、唯ふんわりと、心底からの安堵を洩らしたカナタに抱き締められ、シュン……とセツナは、カナタの腕の中で落ち込んだ。
「そんな顔、しなくてもいいよ。何も言わない。君が無事だった、それだけで僕は充分だ。……君を失う……って、そう思わされたあの瞬間が、幻となって去っただけで……満足、だから…………」
ばつが悪過ぎて顔を上げられなくなったセツナの髪を、カナタは唯々撫でるだけで。
「御免なさい…………。本当に、御免なさい……。御免なさい、カナタさん…………」
カナタの声音の加減より、僕はどれだけ、この人を悲しませてしまったんだろう……、とセツナは益々俯き、泣き声になった。
「泣かないの。泣かなくっていいんだから。…………今だけは、紋章に感謝しなくちゃね。君を守ってくれた始まりの紋章と、君の命を救ってくれた魂喰らいに」
「……始まりの紋章が僕を守って……カナタさんの紋章が、僕を救った……んですか……?」
「うん、そう。何がどうしてそうなったのか、未だ一寸、能く判らないけれど。どうやら、そういうことみたい。ユーバーと出会してしまった君が生きているのは、紋章のお陰」
「紋章、の…………」
君が泣く必要なんてないよ、と優しく宥めてくれる恋人が教えてくれたことに、泣き濡れ始めた面を何とか上げて、セツナは呟いた。
「……ああ、そう言えば。何が遭ったの? セツナ。何でデュナンのお城なんて行って、ユーバーと出会う羽目になっちゃったの?」
未だ上手くは動けぬだろう体を支え、己の胸に凭れ掛けさせて、「で、結局、何が?」とカナタは問う。
「うー……その…………。実は…………」
ここで本当のことを白状しなかったら、絶対にカナタさん怒る、と何とか涙を止めたセツナは、渋々ながら、事の顛末をカナタに語って聞かせた。
「あ、そういうこと」
「はい……。竜王剣があったらもしかしてー……、って……それでお城の図書館まで行った帰り、馬飛ばしてたら、何でかユーバーがヌボって出て来たんです。自分を呼び出す方法知ってた人に、僕達の居場所を教えて貰った、とか何とか威張ってましたよ。──ああ、そうだ」
「ん?」
「あの時……ユーバー、変なこと言ってたんですよね。カナタさんの紋章のこと、この世で最も呪われた紋章で、だけど『最も祝福された紋章』でもあるって。で、僕の紋章のこと、この世で『最も呪われる紋章』って。そんな変なこと言ってましたっけ……。むかーし、グリンヒルで言われた……、ほら、紋章がなのか、僕がなのか、真の紋章の宿主がなのかは知りませんけど、永遠に変わらない憎悪の元凶で、悪夢の元凶がどーたら、とかも」
「………………何? それ」
緩くセツナをあやしながらも、聞かされた話に、は? とカナタは訝しがる。
「……さあ……? んで、ユーバーと戦う羽目になって、そうこうしてる内に向こうが紋章輝かし始めたから、僕、一寸驚いて、目、奪われちゃってですね……。それで……その…………」
「そっか。成程ね……」
「……と、まあ……そういう訳なんです、御免なさい…………。──自分だって真の紋章宿してるって言うなら、憎悪がどうとか悪夢がどうとか、何なの? って感じですよねえ……。ワーケ判りません。ホントに、何で僕のこと狙ったんだろ…………」
あの正体不明の男は、一体何を考えているのやら、と不思議そうな顔を作ったカナタに、セツナも又、首を傾げてみせ、
「謎だねえ……。でも兎に角、ユーバーが今でも僕達の敵っていうことだけは、よーーーー……く理解出来たから。……セツナ。君は当分、一人で何処かに出掛けるのは禁止。いい? この言い付け守らなかったら、本気で怒るよ?」
何で狙われなきゃならないのかなー、と考え込み始めた恋人に、にこっとカナタは、腹に逸物隠した笑みを向けた。
「……はぁい…………」
カナタに心配を掛けまくって、悲しませた手前、とーーーぶん、カナタさんの過保護は何時もの三割増だなー、と思いつつもセツナは、大人しく頷いた。
「二度とは御免だけれど、もしも又巡り会うことがあったら、絶対に、只じゃおかない、あの男…………」
素直な返答へ、良く出来ました、と誉めるようにカナタは頭を撫でて返して、しっかりとセツナを抱き締め直してから、低くぼそりと、ユーバーへの怒りを露にした。
「もしもの時は、僕も、お返しは、しっかりばっちりしたいです。…………あ、でも」
滲み出るカナタの怒りの度合いを察し、滅茶苦茶怒ってる……、と背中に冷汗を掻きながらも、セツナは何かを思い出し、顔を綻ばせる。
「何? セツナ」
「僕、今、一つだけ、あの人に感謝してもいいかも、って思いました」
「…………どーして」
「百年前のこととかで、かーなーり、恨み辛みありますけど。今回のことも、結構ムカッ腹立ってますけど。……でも、僕が殺され掛けても、カナタさんの紋章が僕に手を出さなかったって判ったのは、良かったかな……って。カナタさんの心配の種、一つ消えるじゃないですか」
「……それは……、うん……。まあね」
「夕べ、魂喰らいは、僕のこと助けてくれたんでしょう? 理由なんて、判りませんけど。もしかしたらそれって、始まりの紋章が関係してるのかも知れませんけど。死にそうになった僕を魂喰らいが助けてくれたなら、カナタさんの紋章には、そういう力だって、あるのかも知れないじゃないですか。ね? 生と死を司る紋章なんですもん。人の生き死にを左右しちゃう、強い紋章かも知れませんけど……でも、もしかしたら、そういう力だって。……ね? カナタさん。そうやって考えると、僕達の道行き、明るくなりますよー」
……ほんの少し、血の気が戻った顔色をして。
カナタを見上げ、にこっと笑って。
セツナはそう言った。
「……………………そうだと、いいね。────君は、本当に前向きなんだから……」
だからカナタも、セツナの笑みに釣られるままに。
一欠片の希望を見付けた、そんな表情を湛えて、セツナに軽いキスを捧げ、ふわり……と笑った。
ソウルイーターとも、魂喰らいとも渾名される、生と死を司る紋章の正体は、見えぬままだけれど。
生と死が、背中合わせにこの世を漂うように、生と死を司る紋章も又、呪いと奇跡を背中合わせに携えているのかも知れない、と彼等二人は思いたかった。
…………有り得ない、と。そう思っても。
生まれいずるモノ、必ず、滅び。
滅びるモノ、必ず、生まれいずるモノへと還る、この世の理のように。
魂喰らいも、又……と。
…………有り得ない、と。そう思っても。
End
後書きに代えて
このシリーズの魂喰らいさんは一体、何を考えておられるのやら、な話ですが。
取り敢えず、今回『は』セツナのこと、救ってくれた模様です。
良かったねえ、カナタ。今回『は』。
…………泣かせて御免よ(笑)。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。