御主でも、ああなるとは思わなかった、とか何とか、ぺちゃぺちゃ喋り続ける星辰剣を強引に鞘に収め、セツナの体を気遣いながら進んだカナタがサウスウィンドゥの街に帰り着いたのは、夜明け間近だった。

そのような頃合いに宿屋の扉を開いた、どう見ても少年にしか見えない逗留客に、宿屋の主は驚きを向けたけれど、一寸、魔物と出会ってしまってと、半ば本当の話を抱き抱えたセツナを気遣いつつカナタが聞かせたら、それは大変だったろうに、と主は二人へ同情を寄せ、出来ることがあったら言っておくれ、とも申し出てくれたので、礼を述べ、暖かい茶を所望してカナタは、客室へと引っ込んだ。

セツナは未だ意識を取り戻さないけれど、もう彼の命が脅かされることはないとカナタは知っているから、しっかりとした手付きでセツナの服を脱がせ、血の跡を拭い、寝間着を羽織らせ寝台に横たえ、一度だけ強く抱き締めると、彼は、白々と夜が明けてゆく窓の外を眺めつつ、恋人の傍らに腰掛けた。

程なくして扉を叩く軽い音と共に訪れた宿の主より、頼んでおいた茶を受け取り、噛み締めるようにそれを飲み下した彼は、漸く普段の落ち着きを取り戻す。

己の指先よりセツナの命が吸い取られるのではないかとの絶望を覚えたあの瞬間を振り返ると、彼と言えどカタカタと音を立てて体は震えそうになるが、それでも、常の仕種、常の表情、それを見せることは出来て、

「…………星辰剣」

窓辺に立て掛けた剣を取り上げ、二、三度柄を突いて、カナタは夜の紋章を呼んだ。

『何じゃ。さっきは儂を黙らせたくせに』

「ぎゃあぎゃあと、底意地悪く人のことからかうから、そういう目に遭うんだよ。──さっきのあれ。どういうことだと思う?」

『……ふん。やっと、元に戻ったか』

先程は眠れと命ぜられたのに、今度はコツコツと叩き起こされ、挙げ句、持ってると疲れる、とセツナの眠る寝台の足許に放り投げられて、不機嫌そうに剣は言う。

「やっと、は余分」

『どうでもいいわ。……まあ……あれはどう見ても、御主の魂喰らいがセツナを助けたとしか思えんな』

「セツナを助けた……ねえ………」

『……納得いかぬか? だが、そうとしか思えまい?』

「まあね。…………この紋章は一体、何を考えているのやら。僕にも一寸、謎だな……。そう言えば、あの、セツナを包んでた螢の光みたいな淡いそれは、何だったんだろう」

『始まりの紋章じゃろう?』

「始まりの紋章の、『何か』を訊いてる」

『さあな。判らんな。…………が、真の紋章は宿主を守ることがある、との伝承もあるから、始まりの紋章は始まりの紋章で、セツナを守ろうとしたのやも、とは思う』

「守る、か。多分、それが正解なんだろうと、僕も思うよ。始まりの紋章は確かに、セツナを守ってる。でなきゃ、助けを、なんて魂喰らいに訴えたりはしないだろうから。魂喰らいは僕に対して、そんな殊勝なことしてみせた試し、一回もないけど」

何処となくつっけんどんな言い方を続ける星辰剣の話に、本当なのだろうかと、カナタは首を傾げた。

『セツナの紋章が、「始まりの紋章」だからではないのか』

すれば剣は、何処か厳かに、始まりの紋章、という言葉を口にした。

「『剣』と『盾』が、二つに合わさった紋章だから? もう離れたくないと、紋章がそう思ってるから? ……そう言いたいのかい? 星辰剣」

『…………と思うがな、儂は』

「あやふやなことばかり言うね、自分だって紋章なのに」

『……まあ、な。じゃが儂とて、判ることと判らぬことがある。況してや、始まりの紋章は長きに亘り、剣と盾の二つに分かたれておったのだから』

その名を口にするのは憚られる、とでも言う風な厳かさで、始まりの紋章、と言った星辰剣に、カナタはその時違和感を覚えたが、魂喰らいがそうであるように、星辰剣も又、始まりの紋章に対して思う、何らかがあるのかも知れない、と考え。

「まあ、いいか。もう少し考えてみるとするよ。今回は、魂喰らいに助けられたらしいことだけを喜んでおいた方が、僕の精神衛生には良いから」

深く追求することなく、軽い調子で肩を竦め、カナタは立ち上がった。

『…………カナタ』

しかし、立ち上がった彼を星辰剣は重苦しく呼んで。

「……何?」

『御主…………セツナの傍に、居続けるのか』

剣は、そんなことを問うて来た。

「手放せるなら、疾っくの昔に手放してる。諦められるなら、百年の昔に諦めてる。手放せるくらいなら、諦められるくらいなら、百年も費やして、己の物にしようなんて、思ったりしない。………誰にも何も、言わせない。僕は、覚悟の道を歩いてる。振り返らないよ、何が起ころうとも。覚悟と言うのは、そういうことだから」

重苦しい声を放った星辰剣を、立ち尽くしたまま見下ろし、カナタはその時、そう答えた。

『……そうか』

「そうだよ。──お休み、星辰剣」

そしてもうそれ以上、彼は何も告げず、夜が明け切って、朝の光を射し込ませて来る窓辺を閉ざすと。

セツナの傍らに潜り込み、いまだ冷たい体を掻き抱いて、己が温もりを分け与えつつ、眠りを得るべく瞼閉ざした。