カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『刻よ、止まれ』

うっすらと、辺りは闇色に包まれ始めたのに。

だから、見える訳などないのに。

パタリ…………と。

音を立てて落ちて来た、最初の一粒が、大地に浮く、焦茶色の埃を弾き飛ばしながら、埃と同じ焦茶色した大地に吸い込まれて行く様が、はっきりと見えたような気がして。

ふいっと、頭から被ったマントの中より天頂を見上げれば、瞬く間に、数え切れない程の雨粒が降り注いで来て。

瞳の中にも忍び込んで来た、数多の雨の粒より逃れるようにして、彼等は道を行く足早めた。

暫しの間、山道を走れば。

運良く、岩肌に溶け込むような風情で存在していた、小さな洞穴を見付けること叶い。

「うっひゃーーーー」

何の前触れもなく、叩き付けるように降って来た、春の宵の雨に濡れた己達の体を、彼等の内、小柄な体付きをしている方の少年が呪った。

「あー、もーーっ。こんなに濡れちゃって……。ぐしょぐしょ……。最初っから、今夜は仕方ないって思ってましたけど……こんな所で足留め喰らったら、明日だって、お風呂にありつけるか判らないのにぃぃぃっ」

ほんの僅かの間、山道を駆けただけで、雨が滴る程に濡れた焦茶色のマントを脱いで、パタパタと雫を払い、次いで、洞穴の岩壁近くでそれを絞り。

小柄な少年は、ぶつぶつと、文句を零した。

「ま、仕方ないね。諦めるしかなさそうだ。…………ああ、そう言えばこの山道、ここから少し行った所に、小川だったか池だったか、あった筈だから……明日、晴れてくれればね、水浴びくらいは出来るけど……。未だ春先だからなあ。風邪引くかな」

──きゅっと絞ったマントを再びバタバタさせて、布地の皺を小柄な少年が伸ばし始めれば。

彼と同じく、自身が羽織る深緑色のマントが吸った雨を取り去りながら、少年の連れの、やはり『少年』が、ほんの少し考え込みながら、洞穴の入口を振り返った。

「火が起こせれば、だいじょぶだとは思いますけど。この雨じゃ、薪拾いって訳にも行きませんしねえ……。皆、濡れちゃってるだろうし。…………って、あ、カナタさん。僕達、ツいてるかもですよ」

洞穴の入口を振り返って、雨の具合に渋い顔をした少年のように。

小柄な彼も又、難しい顔を拵えたが。

ふと彼は目を凝らし、大して広くもないその場所を見渡し、あっ、と瞳を輝かせた。

「ツいてるって? ……………おや、本当だ」

洞穴の中を見渡した途端、嬉しそうな声を少年が放ったから、カナタ、と呼ばれた彼は、今度は洞穴の奥を振り返って。

何を以て、連れの少年がツいてると言ったのかを知り。

「うん、未だ使えそう。……一寸待ってて、セツナ」

携えていた旅の荷物の中から、火打石とちり紙を取り出して、火を起こし始めた。

今より遡ること百年と少し前に興った、その大陸の南に位置するトラン共和国を、今、カナタ・マクドールという少年と、セツナという小柄な少年の二人は目指している。

……『あれ』からもう、百年と少し、経つから。

カナタ、という彼が、そのトラン共和国を打ち立てた建国の英雄であるのを、見定められる者など殆どいないし。

カナタと共に、永い旅をしているセツナが、トランの隣のデュナンの国を、やはり、今から百年と少し前に打ち立てた当人であるのを見定められる者も、殆どいない。

…………が、宿した者に不老を齎す二十七の真の紋章を有して、この約百年、流れるだけの旅をして来た彼等は、今でも確かに、それぞれの国の英雄で。

あの頃の姿のまま、辺境の村から、トランを目指しており。

春の宵の雨に見舞われ、偶然飛び込んだ洞穴の中で、今、彼等がそうであるように、以前、この山道で立ち往生をした旅人が、そのまま残して行ったのだろう野営の名残りと、燃え残ったまま放置された焚き火の跡も見付け。

「良かったですねー。この山道、結構長いですから。僕達みたいな憂き目に遭った人、きっと他にもいるんでしょうね」

未だ、夜ともなれば寒さを覚えることもあるこの季節、野宿で寒い思いをしなくて良かったと、にこっとセツナは笑い。

「そうだね。濡れた体も暖められるし」

火打石とちり紙で、燃え残りの薪に火を移したカナタも、微笑み掛けて来たセツナへ、笑みを返し。

『あれ』から、百年と少しの間続いている『旅の途中』を、今宵も無事に過ごせそうだと、素直に喜び合った。

滴る程ではなかったが、それなりには濡れてしまった衣装を、潔く脱ぎ捨て。

ほぼ、裸体に近い姿になって彼等は、荷物の中より取り出した、薄い毛布にそれぞれ包まり、燃え残りの再利用、であるが故に、余り逞しいとは言えない火の近くに、寄り添うように腰を下ろした。

風雨は凌げるけれど、洞穴は所詮洞穴だから、そこは、大きめの石塊があちらこちらに転がっていて、決して居心地が良いとは言えなかったが、それでも、座る場所、一晩の安らぎを得る為に横たわる場所、それは何とか見繕え。

「うーわ。春雷ですか」

「季節だものね」

激しい雨が先駆けとなった、春の嵐が齎す雷に、明日も続ける旅への不安を思いながら、ぼそぼそ、話し始めた。

「これから、一雨ごとに暖かくなるよ。今夜の雨は、一寸酷いけどね。……これから先、トランは一番過ごし易い季節だ。…………セツナ、寒くない?」

「あ、僕は平気ですよ。カナタさんの方こそ、寒く有りません?」

「僕も平気だけど。…………セツナが寒いなら、引っ付こうかと思ったのに」

「……そりゃ、まあ? お互い未だ濡れてるってこと抜かせば、引っ付いてた方が楽なんでしょうけど? 不用意にカナタさんに引っ付くと、『後が恐い』からヤーです」

「………………こんな所で、と思う程、僕もけだものじゃ──

──獣でしょうが。どの口が、そーゆーこと言いますか。この間野宿した時、僕のこと押し倒したのは何処の誰ですか」

「……そんなことしたっけ?」

「しました。思いっっっきり、しました。だから、引っ付くのはヤーです」

────降りしきる、雨の音と。鳴り響く、春雷を聞きながら。

毛布に包まり寄り添う二人が交わす会話は、碌でもないそれだった。

…………だが、それも。

仕方がないと言えば、仕方がないことなのかも知れない。

百年の永きに渡り、共に旅をして来たこの二人は、未だ、二人だけの旅路へと赴く以前より、化かし合いのような会話を交わすのが常だったし。

今更、その癖を、変えられはしないのだろうし。

何よりも、今宵、彼等がそうしているように、トランへと向かうべく、『百年後の旅路』に赴こうと決めた日、カナタとセツナの二人は、『本当の意味』で、身も心も交わし合ったばかりだから。

有り体に言うならば、晴れて恋人同士になったばかりの、まあ……百年以上も共にるのだから、決して初々しくはないが、それでも『初々しい』彼等の会話が、そのように流れるのは、致し方ないのかも知れない。

端で聞く者がいたら、馬鹿馬鹿しい、と眉を顰めたくなるようなやり取りを交わす一時ひとときであろうとも。

当人達にとってみれば、その馬鹿馬鹿しいやり取りさえも、噛み締めたい程の、幸福なのだろうから。