「……そうですね」

「セツナは覚えてる? 何時だったかな……もう、三十五年は前のことになるのかな。ほら、グラスランドで、ルックが馬鹿やった時。ビュッテヒュッケって云ったっけ、あの頃の宿星達の城にお邪魔して。シーナと結婚したんじゃなかったっけ? って、再会したアップルについ尋ねたら、思いっきり睨まれたこと」

────あああああ! ありましたね、そんなことっ。懐かしーーーっ」

宿屋の客室、と云う物は、寛ぐ為の場所でもあるから、二人きりで居る今、手袋を外した剥き出しの両手で以て、カナタに頬を捕まれ。

そうされるのも当たり前ならば、頬に添えられたカナタの両手に己が掌を重ねるのも当たり前のこと、とでも云う風に、腕を持ち上げながらセツナは、うわー、懐かしいーーーっ! と、はしゃぎ出した…………が。

「でね、その後、僕達に意趣返ししようとしたのか、アップルが、あの戦争当時の僕達の噂がどうのこうの、って言い出して」

「はいはい、そうでしたねー」

「その時、僕達は清い仲だけど、僕達が出逢って、丁度五十年目になったら、キスくらいしてもいいかなって思ってるって僕が云ったの、覚えてる?」

「……………………ああ、そう云えば……って……今、思い出しました、けど……。────まさか……カナタさん、本気ですか……?」

グラスランドに、今も建つだろう城での一幕を、懐かし気に思い出したまでは良かったものの。

あの時カナタが云っていた、キスの話をも思い出して、てっきり、冗談だと思ってたのに……とセツナは、おどおどと、カナタを窺い見た。

「本気。物凄く本気。真面目に僕は云ってるんだけど」

けれどカナタは、セツナの困惑など取り合うつもりは更々ない風に、一層笑みを深め。

「…………何で、ですか……? どうして、ですか……?」

「好きだから。……他に、理由が要る? 君に接吻くちづけをする理由は、それだけで充分だ。──だからね、セツナ」

「は、い…………」

「君が、好きです。接吻をさせて下さい」

「…………………その、あの……。えっと……ですね……」

「……キス、させて?」

落ち着きをなくし、頬を真っ赤に染め。

きょときょとと、視線を彷徨わせ始めたセツナの頬に添えた手に、僅か力を込めて。

「カっ…………カ……カナタ、さん………っ!?」

「こう云う時は、瞼を閉じる」

叱るような口調で、瞳を閉ざせ、と云われ、反射的にギュっと目を瞑った彼の唇を。

「……愛しているよ、セツナ……」

ふんわり、柔らかく、カナタは奪った。

「初めてのキスの味は、どうだった?」

そうして彼は、くすくすと忍び笑い、頬に乗せた手を滑らせ、セツナをきつく抱き込む。

「どっ……どどど……どーして、僕がキスするの初めてだって、知ってるんですかーっ!」

閉じ込められた胸の中に、火照り過ぎた顔を埋め隠しつつも、カナタのからかいにセツナは喚いた。

「そりゃあ、君のことだもの。何だって判るよ」

「相変わらず……意地が悪いですね、カナタさん…………」

「知ってるだろう? そんなこと、疾っくの昔から。……でも、セツナ? 共にゆくのだと、君は答えてくれたろう?」

「そうです……。そう、なんです、けど…………。だけど、急にって云うのは、卑怯ですぅっ。急に、接吻とかキスとか云われたって……」

抱き締められたまま、わたわたと暴れ、わたわたと喚けば、或る種、『殺し文句』に等しい台詞をカナタに告げられ。

がっくりと肩を落としつつセツナは、慣れぬ──と云うよりは未体験の──ことに対する心構えをする時間が欲しかったのに、と、伏せていた面をやっと持ち上げ、恥ずかしさの余りだろう、潤み始めてしまった瞳で、カナタを睨んだ。

「大丈夫。大体ね、キスなんて急にすることだし。その内、慣れるから。……うん、二、三日もすればセツナだって、充分慣れるよ」

「……急にすること……。ホントですかぁぁぁ? って、二、三日で慣れるって……毎日する気ですか……」

「当たり前。──だから、セツナ…………」

カナタにしてみれば、可愛らしい、としか言えない『睨み』を寄越す彼へ、何時までも笑みを消せぬカナタはもう一度、軽い音を立てるキスをして。

──何です?」

「ん…………。何でも、ない。──雨が止んだみたいだ。代わりに、お月様も隠れてしまったけれど」

云い掛けた言葉を飲み込み、セツナを促し、彼は窓ガラスの向こうの夜空を見上げた。

満月を厭う『記憶』など、君にはもう必要無い。

そんな記憶は手放して。

僕だけを見詰めて。

僕と共に在ればいい。

君は、僕だけの君。

君は、僕のモノ。

接吻をあげる。

柔らかいキスを、『今は』君にあげる。

満月を厭う記憶を、手放させる代わりに。

──君は、僕だけの君だから。

僕は、満月が嫌いじゃないから。

満月を厭う君を、僕は許さない。

満月を厭う記憶が、この五十年、君に、僕の『手』を拒み続けさせたのかも知れない……なんて。

僅かな可能性でしかないだろうけれど、僅かな可能性でしかなかろうとも、そんなこと、僕には許せない。

君は、僕だけの君だから。

君は、僕のモノだから。

セツナ。

キスを、しよう。

End

後書きに代えて

やっと、チューした。

──どうしようもなく問題児なのはカナタ方ですが、実年齢六十過ぎてファーストキスなセツナも、問題だと思う。うん。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。