嫌だ……と。

その時セツナが抗ったから。

「……嫌って? 何が嫌? セツナ。こうされるのが? それとも、舐めて欲しいのは、こんな所じゃないっておねだり?」

幾許か、機嫌を損ねたように、カナタは瞳を細めた。

「そ……じゃなくって……っ」

己の足許に蹲るカナタを、極力見ないように視線を逸らしていたセツナは、ほんの少し、温度の低いトーンを放ったカナタをその時、見詰めてしまい。

何故なにゆえに流しそうになっているのか、己だけが知る、涙で滲む視界の中に、カナタの半眼を映してしまって彼は、ぱっ……と、瞼を閉ざした。

「…………ああ。もう、欲しいの? ──欲しいなら、幾らでもあげるけど。……堪えること、忘れちゃった? セツナの躰は」

……瞳の中より己を追い出した、その行為が。

恐らくカナタは、気に入らなかったのだろう。

底意地悪く、セツナを嬲るような台詞を吐いて、屈めていた身を起こし、押さえ込んでいた両手首を、漸く解き放ち。

顔を背けながら、恐る恐るまなこ開いたセツナへ見せつけるように、ぴちゃぴちゃと、自身の指先を舐め濡らし、徐に、セツナの片足を、膝が胸に付く程高く持ち上げ、露にしてやった、『奥』へと続くそこへ、カナタは長い、指を忍ばせた。

「いっ……。カナタさ……っ……」

濡れている、とは言え、いきなり指先を射し込まれて軋んだ入口の放つ痛みに、セツナは強く顔を歪め。

カナタに縋るように、両腕を伸ばした。

伸ばされた腕は、辛うじて布が纏わり付いているセツナとは違い、大した乱れも見せてはおらぬ、カナタの背の、白い夜着を、爪先で掻き毟りながら絡み付いて。

「……セツナ。そうしておいで、セツナ」

布越しに伝わるセツナの温もりに、はたと何かを思い出したのか、カナタはやっと、小柄な躰に労りを与え出し、声音を和らげた。

「カナタ……さん……? 愛して……ますよ……? 愛してる……んですからね…………」

ようよう、穏やかな声を放ち、指先に温もりを灯し、左手で、背なを抱き支えてくれたカナタへ、セツナはそんな囁きを洩らす。

「……知ってる…………」

「ホント、なんです、から…………っ。カナタさ……。愛し、て……っ……。んっっ………」

判っているよ、と。

セツナの囁きに、カナタが応えても。

指先達に、奥を弄ばれながらもセツナは、言葉を留めなかった。

「大丈夫。……判ってる。信じてる。僕にも、セツナだけだから……」

だからカナタは、幼子を眠りへと連れ出すに似たトーンで、セツナに囁き返し。

この言葉には、何処にも偽りはない、と、蠢かせていた指先を引き、己が欲を、セツナの奥へと続くそこへ、宛てがい。

満たされる、その瞬間。

又、瞼を閉ざしたセツナは、ホロ……っと、頬に涙を伝わせた。

情事の後、気怠気に投げ出された四脚を掬い、抱き上げて、ベッドに横たえ。

結局打ち捨ててしまった夜着を、窓辺より取り上げ、彼へと着付けてやる途中。

「…………カナタさんの、ドスケベ…………」

されるがままになりながらも、それはそれは冷ややかな一瞥が、セツナよりくれられたので。

「僕も一応、男だし…………」

苦い笑みを拵えながらカナタは、そっぽを向いた。

「それを言うなら、僕だって男ですよ。でも僕は、カナタさんみたいに、ドが付く程スケベじゃありませんーーー、だ……。……僕、前にお願いしませんでしたっけ。時と場合と場所と、考慮されてるといいなー、って思うーって。いきなり、押し倒さないで下さいーって。……言いませんでしたか……?」

が、流石にそれしきのことでは当然、セツナの根深い御機嫌斜めが、回復される筈もなく。

「御免」

一応の謝罪を、カナタは口にした。

「……謝るだけで、済ましちゃうんですから、カナタさんってば…………。──ここ出る時は、朝早く出ましょうね……。あーもー……お向かいさんの誰かに見られちゃってたら、どうしよー……。僕もう、消えたい…………」

しかし、カナタの告げる詫びなど、所詮は口先だけだろうと、重々セツナは承知しているから、ぶちぶち文句を零して挙げ句、恥ずかしくて消え入りたい、と、カナタに背を向け嘆き始めた。

「……何もそこまで大仰に」

「僕にとっては、大問題ですっ!」

「だから、御免ってば。…………御免ね、セツナ。ホント、反省してる」

「…………ホントですかぁ?」

「うん、ホント。……反省してるから。お願いだからこっち向いて? ほら、そうじゃないと、寝間着の着付けも出来ない」

「……カナタさんの所為でしょうに。僕がこんな格好なの…………」

身を丸め、拗ねるセツナを宥めれば、疑わしそうな目付きをしながらも、振り返ってくれたので。

着せ掛け途中の夜着の前を、綺麗に合わせようとカナタは、腕を伸ばし。

「……あ…………」

布地を捌いたその刹那、小柄な躰の脚を伝い始めた、己の欲の残滓が視界に飛び込んで来て、彼は動きを止めた。

「…………あ、えっと…………」

カナタが、何を見て動きを止めたのか、それを悟ったセツナも、頬を赤らめ顔を背けた。

「……もう一回、お風呂行かないと、だったね……」

「…………はい……」

「連れてってあげるから。一寸だけ待ってて」

「はい……」

互いに、余りにも気まず過ぎる想いを齎す残滓に、カナタもセツナも、眼差しを合わせず。

客室毎には浴室のない、この宿屋の廊下を行く為、着替えるよりも手っ取り早いし、もう時間は夜半過ぎだから、宿内を彷徨く者もいないだろうし、とカナタは、セツナと己の為に、上着代わりにと、それぞれのマントを取り上げるべく、部屋の隅を向き直った。

………………と、その時。

今宵、セツナを愛した窓辺に嵌る、ガラスが彼の視界を掠め。

瞳の端を掠めただけのそこに、この数年、何故か『視える』ようになった、『幻影』が映っていることも知り。

映る『幻影』が、『懐かしい人々』の面影を象っていることも知り。

窓辺より、視線を逸らしたままカナタは、つかつかと歩み寄って。

手荒く、カーテンを引いた。

「……カナタさん? どうか……しました? あれですか? 最近、カナタさんが、いよーーーに鏡見たがらないのと、一緒の何かですか?」

何処となく、腹立たしそうな足取りで、窓辺に近付き布で覆ったカナタに、セツナが訝し気な声を掛けた。

「…………いや、何でもないよ。……何でも。御免ね? 待たせちゃったね。……お風呂、行こうか」

だが、カナタは。

そんなセツナを振り返り、にこやかに笑い。

何でもないよ、とだけ告げて。

後ろ手で、引いたばかりのカーテンの端を、引き裂かんばかりに強く……そう、布地を掻く爪先が、掌に食い込み血が滲む程に。

固く固く、握り締めた。

──そうしていないと。

セツナを捕らえ、一夜情ばかりを繰り返し、積み重ね続ける己の愚かさを、『懐かしい幻影』に、詰られそうで。

己の愚かさを、『懐かしい幻影』に詰られているのだと知る、己の『心の意味』に、気付いてしまいそうで。

カシャリ……とカナタは。

布地ごと握り締めたその手で、細やかに、覆い隠した窓ガラスを叩いた。

End

後書きに代えて

セツナが不憫……なのは間違いない。多分。

──一夜情イーイェチン』は中国語です。

意味は、要するに「One-night Love.」。一夜限り(若しくは一回限り)のsex。

…………このシリーズをお読み下さっている皆様よりの投石を、甘んじて受けたいと思います。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。