カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『残り香』

夜の帳が降りて間もなく。

ふらふらと宛もなく、カナカンの国のとある街を彷徨っていた時。

一人の、強烈に見覚えのある女性が、滞在中らしい宿屋の主人と、宿の玄関先で揉めているのをセツナは見掛けた。

「…………シエラ……様……?」

だから、かつて、現・デュナン国にて起こった統一戦争の折、同盟軍の盟主を務めていたが故に、見覚えのあるその女性が、あの当時の仲間の一人だった、シエラ、と言う名の、吸血鬼の始祖であり、真なる月の紋章を宿している彼女と同一人物であると断じたセツナは、思わず彼女の背中に向けて、声を掛けていた。

「何…………──────セツナ? セツナではないか。御主、何をしておる? このような所で」

何を揉めているのかは知らないが──と言っても、何処か恐る恐る苦情を申し立てている宿屋の主人と、何を言われても何処吹く風であるシエラの様子からして、昼間の内は寝ていたい、という欲求を、大抵の場合押し通すシエラを、宿屋の者達が不審がったという想像に間違いはないだろうとセツナは踏んでいたが──、宿屋の主人を無視して、掛けられた声にシエラは、妾の名を呼ぶは何者? と振り返り。

そこに、かつての同盟軍盟主がほんわり立ち尽くしているのを見付け。

流石に驚いたのか、彼女は目を丸くして、が、直ぐさま、懐かしそうに頬笑んでみせた。

「何してるんですか? シエラ様」

「……何、何時ものことぞ」

「あ、やっぱり」

問いに返されたシエラの答えより、己の想像が間違っていなかったことを知り、セツナはにこっと笑って。

「お久し振りです、シエラ様。お元気……そうですね。あの……良ければ少し、何処かでお茶でもしません?」

彼はシエラの腕を掴み、偶然の邂逅を喜び合おうと誘った。

「ふむ。まあ、御主の誘いなら、乗っても構わぬが。……そうじゃな……」

にこにこと、あの頃の風情のまま、幼い微笑みを投げ掛けて来る彼を、暫しの間シエラはじっと眺め。

構わぬ、と笑み返し。

訴えていたこの苦情を一体どうすれば、と憮然とした宿の主人を尻目に、逆にセツナの手を引いて、街の通りを歩き出した。

「ほんに、久しいのう。相変わらず、旅から旅への日々かえ? ……今は一人のようじゃが……連れ合いはどうした? 御主の連れ合いの、魂喰らいの持ち主は」

その、とある街の目抜き通りを抜け。

宵の口だというのに客もまばらな、寂れた酒場の扉を潜り。

店の片隅の、目立たぬ席に腰を落ち着けるなりシエラは、数十年振りの再会の始め、そう言って、セツナを見た。

正確には、デュナン統一戦争が終結してより、九十数年振りとなる、再びの巡り会いの始まりに。

「カナタさんですか? 今も一緒ですよ。但、一寸……その……所用、で」

すれば、セツナは。

オーダーに従って運ばれた、冬という今の季節が旬の、林檎のジュースを取り上げながら、何処か言い辛そうに、カナタは一人出掛けている、と告白した。

「……ほう。珍しいこともあるものじゃの。あの者が、御主を一人、放り出しておくなど」

セツナ同様、オーダーした赤ワインのグラスを片手に、カナタがセツナを残して何処かに行っている、という事実にシエラは、心底意外そうな顔をする。

「直ぐに、帰って来ると思いますよ。多分……直ぐ…………」

「……どうした? セツナ。御主には似合わぬ、随分と暗い顔をしおって。あの者が、何事かやらかしたのかえ?」

「……いえ、そういう訳じゃないんですが…………」

「ふん…………」

カナタがセツナを一人で、という状況が、余りにも意外で、故に正直に、それを言葉と態度で示したら、らしくないセツナの態度が、より暗くなったから。

シエラは片手を上げて、酒場の店主を呼び付けると、ワイングラスをもう一つ運ばせ、ボトルより、手ずから酒をそれに注ぎ、すっと、セツナの前に押し出した。

「え? 僕……」

「おや。あの戦争が終わってそろそろ、百年は経とうと言うに。相変わらず御主は、子供だったあの頃同様、酒精は好まぬか? 多少は飲めるようにもなったろうに」

「それは、まあ……その……少し、は」

「なら、良かろう」

勧められたワインに尻込みをして見せたセツナより、シエラは半ば強引に、林檎のジュースを取り上げ。

飲め、と促した。

全く、酒という物に馴染みのなかったあの頃のように、今でも酒は得意ではない、と、セツナは少々長過ぎる間、グラスを掴むべきか否か、悩んでいる風だったけれど。

「……じゃあ……」

折角だから、少しだけでも、と思ったのだろう。

漸くそれを取り上げて、少しきつめに目を瞑り、一息に、半分程を飲み干して。

「………………シエラ、様……。あの……。あのね、あの…………っ……」

途端、堰を切ったように、彼は。

シエラの赤い瞳を覗き込みながら、ぽろぽろ、泣き出した。