同盟軍の盟主だったあの頃。
セツナは、盟主、という己の立場を良く理解していながらも、年上の仲間達を敬称付けで呼ぶことを止めなかった。
中でも彼は、当時齢八百数十歳だった──故に今はもう間もなく、九百数十歳になる──シエラを、必ず、『シエラ様』、と呼んだ。
やはり彼女のことを、シエラ様と呼んでいた、マリー家の跡取り息子に倣った訳ではなく。
セツナはセツナの意志で、シエラ様、と。
その敬称の所以が、当時八百歳、という年齢にあったのか、それとも、月の紋章との関わり合いにあるのか、それはシエラ自身にも判らぬことだったが、何らかの尊敬の念がそこに込められていることだけは、彼女も重々承知していたから。
あれから九十数年が過ぎようとしている今も尚、己を慕ってくれるセツナが、唐突に眼前で泣き出したのを受け。
「何か……あったのかえ?」
吸血鬼の始祖として、数多の子供を産み、数多の子供を失って来たシエラは、優しく、聖なる母のように、悩みがあるならば語れ、と、『少年』を促した。
「どうして……いいか……判らないんです…………」
促しに従い、何とか涙を収めセツナは、グラスの残り半分を、又一息に飲み干し。
訥々、事情を語り始める。
「何がじゃ。……魂喰らいの持ち主と、何か関係があることかえ?」
「……そ、の……。僕……ずっと、カナタさんと一緒なんです。あれからずーっとずーっと、デュナンを出てからもずーーっと、カナタさんと一緒だったんです。今だって……」
「知っておる、そのようなこと」
「もう、ね。四十年以上前のことになるんですけど。最果ての南の国でね。カナタさん……僕のこと、好きだって……。そう言ってくれて。……その、あの、えっと………うんと……あの…………キス……とか、する仲になったんです、カナタさんと……」
「……何じゃ。御主、惚気が言いたいのか?」
セツナが言い出したことに耳を傾けてみれば。
それは彼がカナタと、有り体に言えば恋人同士になった、という告白で。
呆れたような溜息を付き、惚気に貸す耳はない、とシエラは酒を嚥下した。
「そうじゃ、なくって……」
が、セツナは。
そんな話がしたい訳じゃないと、酒場の古ぼけたテーブルの上に乗せた己の両手へと視線を落とし。
「僕……昔から、カナタさんのこと、大好きでした。カナタさんは僕の一等で……今でもね、そうなんです。──僕が、どれくらいカナタさんのことが好きなのかは……言いましたよね、ずっと昔、シエラ様には。『伝説の泉』の話、した時に……」
「……ああ、聴いた。あの時に、確かに」
「僕の気持ちは……あの頃から変わってないんです。──あの頃……カナタさんと初めて逢った夜、カナタさん、『共にゆこうね』って、僕に、僕だけのものをくれて。だから僕、ずっとカナタさんのこと好きで。……最初から、『そういう風』にカナタさんのこと想ってた訳じゃないですけど……カナタさんのこと、幸せにしてあげたくって、僕もカナタさんと一緒に幸せになりたくって……」
「セツナ。それを、惚気と言──」
「──だからっ! だから、僕……好きですって言ってくれたカナタさんのこと……カナタさんに好きって言われる随分前から、そういう意味でも好きで、でもね…………でも……カナタさん最近、時々、いなくなるんです。僕に判らないように、夜中とかにこっそり、何処かに行くんです。朝になればちゃんと帰って来てますけどね……。……結構前から、そんなこと多かったみたいなんですけど、僕、時々カナタさんがいなくなるの気付かなくって、でもこの間、偶然夜中に目が覚めたら、カナタさん居なくって……それで、気付いて……」
「…………それで?」
「……それで、ね……シエラ様……。それに気付いたら、カナタさんが夜中に抜け出した翌朝って、必ずカナタさんから、女の人が良く付けてる、香水みたいな良い匂いがするって……残り香って言うんですよね……それがするの、判っちゃって……。──本当に……本当に、少しだけなんですよ。僕だって気を付けてないと気付かないくらい、ほんの少し……。でも、ほんの少しでも、女の人のなんだなあ……って判る残り香、カナタさんにくっついてるから……。僕、一回、悪いことだって判ってて、カナタさんの後、付いてってみたんです。そしたら……」
「娼館にでも行ったか? あの者」
俯いたまま、ぽつりぽつりとセツナが語ることは、結局惚気か、とタカをくくっていたら。
想いを交わし合った筈なのに、カナタがセツナを放り出して何処かに消え。
消えた翌朝は必ず、女人の残り香を纏わり付かせている、と、話が嫌な方向に進み出したから。
後を尾けたカナタの消えた先を、言い淀んだセツナの代わりにシエラは、杯を重ねながら、事も無げに告げた。
「娼…………──。まあ、その……。そうですね……女の人と……お金でそういうコトする場所……でしたね……」
娼館、という単語がシエラの口から飛び出た途端、セツナは俯かせた頬を真っ赤に染めて……が、それを肯定する。
「何を戯けたことを、やっておるのかの、彼奴は…………」
だからシエラは。
この場にいないカナタの面影を、脳裏の片隅にて思い出しながら、綺麗な紅玉に良く似た色の瞳を、きつく光らせた。