カナタとセツナ ルカとシュウの物語

『揺籃の師』

──気が付けば。

当てのない旅路を彷徨い続けていた、カナタ・マクドールとセツナの二人は。

何時しか、トラン共和国をもう直ぐそこに臨むこと叶う、辺境の町へと舞い戻って来ていた。

……本当の本音、という奴を、カナタにも、セツナにも、それぞれ語らせてみれば。

多分彼等は異口同音に、その旅路の目的を、語ってはくれるのだろうけれど。

彼等が、それぞれの『居場所』を後にしてより、百年以上の年月が流れた今となっても、その旅の目的へと、彼等が『向かう』ことはなく。

二人は唯、世界を彷徨い。

…………そうして、何時しか。

恐らく、『始まりの街』……と例えても許されるだろうトランへ、引き寄せられるように、その足先を運んでいた。

──その日。

長らく続いた野宿の日々に疲れて、たまには宿でも取ろうかと、そう語り合った二人が転がり込んだ、小さな宿屋の一室で。

真夜中、夜着姿のままカナタは一人、浴室の片隅にある、古ぼけて、映りも余り良くない、小振りの鏡を見詰めていた。

……ぼんやりと、鏡面を眺めていれば。

ここ数年、『そうである』ように、鏡に映る己が姿の背後に、在る筈のない影が映り始め。

ああ、やっぱり……と、彼は自嘲の笑みを浮かべた。

────何時の頃からだろう。

カナタの記憶が正しければ多分、それは彼が、初めてセツナを抱いた頃からだから、そう遠くはない昔……数年程前、の筈だ。

鏡を覗き込む度。

彼はそこに、存在する筈のない影が、ぼんやりと映っているのを感じるようになった。

最初の内は、視力でも悪くなったかと、カナタ自身、大して気にも止めなかったが、やがてそれは、頻繁に現れるようになり。

どうやら、視力が衰えた訳でも、幻覚を見ている訳でもない、という現実を、彼は認めざるを得なくなった。

試しに、セツナを鏡の前へと引き摺って来て、影が見えるか、と問うてみたら、何か映ってますか? と首を捻られたから。

それを見遣ること叶うのは、カナタ一人だけなのだろうが、でも、確かに。

……確かに彼が鏡を覗き込む度、鏡面に映る、有り得ざる影はゆらゆらと揺れて、月日が暫く流れた後には、明確な形を取るようになった。

──懐かしい、あの頃。

百年前の、あの頃。

真実大切だった人達の、面影、という形を。

影は何時しか、取るようになった。

故に、ある日。

ふっ……と鏡を覗き込んだ折、生涯唯一の親友、テッドの形を影が取ったのを受けて、カナタは、もしかしたらこれを世間では、『幽霊』とか『幽体』とか言うのではなかろうか、と思い始めた。

……確か、『大昔』。

未だ、セツナが同盟軍の盟主だった頃、偶然、グレッグミンスターにあった、マクドール邸の台所より、特製シチューのレシピを見付けて。

それを作りたいけれど……と思い悩んだ挙げ句、亡くなってしまったグレミオと『話』をしてみれば、シチューを作れるかも知れない、と考えたセツナが、吸血鬼の始祖、シエラに聞いたという話をカナタは、何故か思い出したから。

──カナタ、という『大切』な存在の為に、見えざるモノ……この世にはもう、存在しないモノ、それらと話がしたいのだ、とねだったセツナに、シエラは言ったそうだ。

「あの者は年季が足りぬ若造故、今は無理かも知れぬが、真実あれが、魂喰らいを従えること叶っておるなら、幽体を呼び出すことくらい、何れ、容易になるであろうよ……」

──と。

だから、もし。

その時シエラがセツナへ語ったことが、真実であるならば。

自分が今視ているのは、幽霊、という奴なのかも知れない、とカナタは、鏡面の中で、うっすらとテッドの形を取り続ける『影』を、そう結論付けた。

しかし、カナタは別段、自分がそんなものを見遣れるようになったらしい事実に、大した感慨など示す質ではなく。

その現象は長らくの間、放り出されていた事柄だったのだけれど。

…………数週間程前。

大切な灯火『では』あり、大切なタカラモノ『では』あるセツナが、己の知らぬ間に、儚いだけの微笑みを浮かべるようになってしまった、と気付いた辺りから。

鏡に映り込む影『達』を、見て見ぬ振りすることが、カナタには難しくなり始めた。

────映り込む、影は。

鏡と言わず、窓ガラスと言わず。

所構わず姿見せるようになった影達は。

日を追うごとに、鮮明さを増した。

……初めの頃は、テッド一人だけだった。

が、やがて影は二人と増えて。

亡き父の、面影を宿すようになった。

二人目の影が、己が父親である、と気付いたら。

今度は影は、三つになって。

三つ目の影は、実の家族よりも近しかった従者、グレミオの形を取った。

グレミオの形となった影が、何処か寂しそうにしている、と気付いたら。

影は、四つに増えた。

多分、そうなるんだろうな、とのカナタの想像に違わず、オデッサ・シルバーバーグの姿となって。

四つになった影達は……鏡面の世界から、カナタをじっと、見詰めて来た。

…………そうして、この一、二週間の間に。

又、鏡に映る影達は、数を増やし始めた。

一つずつ増殖していった影が、今回に限り、どうやら一度に二つ、増えそうだから。

もしかしたら今度は、ビクトールとフリック、とか、クレオとパーン、とか、その辺りが姿見せるのかも知れない……と。

日々、ぼんやり……とカナタは、彼等は一体、どうして現れたのだろう、何か、訴えたいことでもあるのだろうか……、そう考えながら、影の正体を悟り始めた、この数ヶ月間にも増して、鏡面から視線を逸らし続けていたけれど。

先日、偶然見遣ってしまった鏡面の中で、もう、表情さえ手に取れる程に鮮明な姿となったテッドが、やけに哀しそうに、物言いたそうに……唯じっと、己を見詰めて来たから。

ふっ………と、又。

カナタは何時ぞやの、シエラの台詞を思い出した。

──それは、カナタにしてみれば、忌々しいだけの記憶なのだろうが。

セツナを、本当に『征服』してしまう為に、『残り香』という最低な方法で彼の背中を押して、そして追い詰めた、あの時。

偶然再会したシエラに、

「……最低じゃな、御主。──御主の揺籃の師が、何と言うかの、あの世で」

……と吐き捨てられた、あの台詞。

それをカナタは、忌々しい記憶の底より、拾い上げていた。

嘆き、としか例えられぬ、テッドの表情を見てしまったその時。